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ルイスと映画泥棒

中国・韓国映画を中心に毎日観た映画の感想を記録。おすすめ度を☆で採点、☆四つ以上は必見の映画。

「アバター」ジェームズ・キャメロン

2010年01月13日 | 監督
 ジェームズ・キャメロンと言えば、「タイタニック」であり、「エイリアン2」「ターミネーター」等で有名だ。そして映画史上、歴代売り上げ一位が「タイタニック」である。ちなみに、2億ドルの制作費で18億5000万ドルを売り上げた。
『アバター』 (Avatar) は、ジェームズ・キャメロンによるSF超大作3D映画。構想14年、製作に4年以上の歳月を費やして完成させた。この「アバター」が昨年12月に公開され、公開からわずか20日間で全世界興収ランキングの歴代第2位に躍り出た。
 「アバター」の世界興収は1月6日時点で11億3500万ドルを突破(内訳は、北米が約3.74億ドル、それ以外の世界が約7.61億ドル)。これまで11億2000万ドルで第2位だった「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」(03)を上回った。世界興収18億4200万ドルで不動の歴代第1位の座にあるのは「タイタニック」(97)。これで、1位、2位ともにキャメロン監督作品が占めたことになる。
 そして、「アバター」が売り上げ世界一になるのは、時間の問題かもしれない。

 つまり、それぐらい衝撃的な映画が「アバター」なのである。

 ジェームズ・キャメロンは3編までの続編の構想を持っているので期待したい。



 1954年8月16日生まれ  カナダ/オンタリオ州出身

 本名はJames Francis Cameron。カリフォルニア州立大学で海洋生物学、物理学を学び、卒業後に短編SF映画を制作。やがてロジャー・コーマンの主催するニューワールド・ピクチャーズに加わり、「宇宙の七人」などで美術デザインを手掛け(「ニューヨーク1997」でも特撮スタッフのひとりとして参加)、その傍らで脚本を書きまくり、81年の「殺人魚フライング・キラー」で監督デビュー。しかしプロデューサーに内容を大幅に改変されたため、怒りと失望のあまり高熱で倒れ込んでしまう。が、その際に観た悪夢を原案として「ターミネーター」を制作し、低予算ながら世界的に成功を納めた。その後その実績を買われて「エイリアン2」の監督に大抜擢。そしてここでも前作「エイリアン」からのプレッシャーをモノともせずにSFアクションへと昇天させて作品は大ヒット。以後はアクション大作路線を突き進み、多くの話題作を提供。97年に難産の末完成させた「タイタニック」は制作中から“失敗作”と言われ続けていたが、封切りしてみれば記録的は興収とアカデミー総嘗めと言う快挙を作り出して実力を再認識させた。結婚は85年に女優と離婚後ゲイル・アン・ハード(85~89)、キャスリン・ビグロー(89~91)、リンダ・ハミルトン(97~99)と続き、00年にスージー・エイミスと再婚した。自らの制作会社『ライトストームエンターテイメント』とSFXスタジオ『デジタル・ドメイン』の創設者でもある。弟はスタントマンをしている。

ジョン・ウー

2008年11月10日 | 監督
1946年5月1日生まれ 中国/広州出身

幼い頃に香港に移るが、貧民街ですさんだ幼少期を送る。しかし唯一の娯楽であった映画館に入り浸り映画製作を志すように。71年にショウ・ブラザースに入社、73年の「カラテ愚連隊」で監督デビュー。その後しばらく作品が低迷するが、83年にツイ・ハークと会ったことで転機が訪れる。86年にこれまでの香港アクションの常識を覆すテイストの作品「男たちの挽歌」を発表し香港で記録的ヒットとなる。その後も独自の感覚を駆使してアクションファンを魅了。93年にはハリウッドに招かれて「ハード・ターゲット」を閑静。その後は活躍の場をアメリカに移し、「ブロークン・アロー」、「フェイス/オフ」そして「M:I-2 ミッション:インポッシブル2」といったアクション大作を次々と世に送り出している。ハトと二丁拳銃、そして舞い踊るようなアクション・シーンをスローモーション撮影するのがトレード・マークだ。



ウォン・カーウァイ

2008年10月14日 | 監督
 1958年7月17日生まれ 中国/上海出身

 五歳のときに香港へ移住し、香港理工学院へ入学。卒業後はテレビの現場を経験し、脚本家として映画界へデビューした。88年の「いますぐ抱きしめたい」でメガホンを取り、主演のアンディ・ラウを一躍大スターにした。ラテン・アメリカ文学を思わせる、不思議な浮遊感やタイム・リミットへのこだわりが特徴。代表作に、「恋する惑星」、「天使の涙」、「ブエノスアイレス」、「花様年華」などがある。

他に
「2046」
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(2007)など。




チャン・イーモウ監督

2008年01月26日 | 監督
951年11月14日生まれ 中国/西安出身

 高等中学を卒業後、農村や紡績工場などで働く。78年に北京電影学院撮影科に入学、卒業後に広西映画製作所に配属され、カメラマンとして非凡な才能を発揮した。

 チェン・カイコー監督の「大閲兵」などで巧みなカメラワークを披露し、87年の「古井戸」では撮影と共に主演も兼ねた。87年の「紅いコーリャン」で監督デビューし、同作品はベルリン映画祭でグランプリを受賞。

 近年は「HERO」(2002)「LOVERS」(2004)と娯楽超大作を立て続けに手掛け、エンターテインメントの分野でも力を発揮できる懐の深さを証明した。他の代表作に「菊豆(チュイトウ)」、「紅夢」、「上海ルージュ」、「初恋のきた道」、「あの子を探して」などがある。


■作品リスト

単騎、千里を走る。(2005)
LOVERS(2004)
「あの子を探して」ができるまで(2002)
至福のとき(2002)
HERO(2002)
あの子を探して(1999)
初恋のきた道(1999)
キープ・クール(1997)
龍城恋歌(1996)
上海ルージュ(1995)
活きる(1994)
画魂-愛、いつまでも-(1992)
秋菊(しゅうぎく)の物語(1992)
紅夢(1991)
菊豆(チュイトウ)(1990)
テラコッタ・ウォリア/秦俑(1989)
ハイジャック/台湾海峡緊急指令(1988)
紅いコーリャン(1987)
古井戸(1987)

チェン・カイコー監督

2008年01月26日 | 監督
1952年8月12日生まれ 中国/西安出身

 父は著名な映画監督、母はシナリオ編集者という映画一家に育つ。文化大革命時には紅衛兵として造反運動に参加した。その後、雲南省の山村に下放して樹木の伐採をし、軍隊生活を経験。78年に北京電影学院の監督科に入学、在学中にテレビ・ドラマの助監督などをつとめた。

 卒業後、北京映画製作所に配属され、84年に処女長編「黄色い大地」を発表した。本作は国内では賛否両論だったが、ロカルノ映画祭銀賞を獲得して世界的な注目を浴びた。

 二作目の「大閲兵」もモントリオール国際映画祭で審査員特別小を受賞。「さらばわが愛、覇王別姫」が高く評価され一躍著名監督となる。

 1998年、日本との合作で超大作「始皇帝暗殺」を監督。その後も、北京ヴァイオリン、PROMISE プロミスと傑作を手掛ける。



主な作品

PROMISE プロミス(2005)

10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス(2002)

北京ヴァイオリン(2002)

キリング・ミー・ソフトリー(2001)

始皇帝暗殺(1998)