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ルイスと映画泥棒

中国・韓国映画を中心に毎日観た映画の感想を記録。おすすめ度を☆で採点、☆四つ以上は必見の映画。

NHKスペシャル「北朝鮮」

2006年11月06日 | 韓国
昨日、一昨日と深夜のNHKスペシャル「北朝鮮」を観た。

一昨日は第1集と2集。昨日は第3集であった。

第1集は、キム・イルソンが旧ソビエトに押されて首領になった経緯。

第2集は、キム・イルソンから息子キム・ジョンイルに権力を委譲する経緯が中心。

昨日(今日)の第3集は、北朝鮮が核を持つまでの経緯を中心に構成されていた。

この番組は、よくできていると思う。特に、第1集のキム・イルソンが北の首領になる過程が

見ごたえがあった。抗日運動の司令官というでっちあげの経歴が、実際の当時の上官によって

検証され、若きキム・イルソンが、ロシアの傀儡(かいらい)政権として作られた経緯がよくわかる。

思い込みの取材ではなく、そうそうたる人物が登場し、当時の出来事に対し、証言している。

キム・イルソンの出世がロシア主導で傀儡だったとしても、その後、彼は実力でのしあがった。

政敵の粛清、プロパガンダなどによりキム・イルソンは北の首領に名実とものなってしまった。

そして「主体思想」により、自主独立の道を歩み始める。



第2集は、息子(長男)キム・ジョンイルが周到な計画のもと、権力を引き継ぐ過程を見せる。

若きキム・ジョンイルが、父であるキム・イルソンに好かれようと尽くす姿が印象的だ。

その姿は、精悍なイメージさえ漂わせる。

そこには、尊敬する父の理想を引き継ぐ強固な意志が感じられる。

息子への政権委譲は「マルクス主義に反する」という中国の反対にあい、

なかなかキム親子の思い通りにならなかったが、その間、周到な準備期間ともなった。

そして、結局世界でも例がない、共産主義国の世襲を実現してしまう。


第3集は、核である。

キム親子にとって、「核」は悲願であった。

旧ソビエトに合同研究所を持ち、若き人材を送り込みソビエトの研究者を招き軽水炉を建設した。

当時招かれたソビエトの研究者の取材でも、彼等は平和利用と信じていたが、実際は違う。

したたかなキム・イルソンの戦略である。

日本人拉致問題にしても、理由は明確だ。

北の南方作戦(日本経由での韓国への工作員活動)に、日本人の情報が必要だったからだ。

つまり、工作員教育のために、日本語や日本の習慣を教える人材が必要だというわけだ。

そのために拉致という手段を選んだ。そこには、人権も道徳もない。

韓国を攻略し一つになるという「時代錯誤」の戦略の一端なのだ。

そしてこれは、すべて、党中央(キム・ジョンイル)の指示だという。


こんな「北朝鮮」は、国として認めることさえむつかしい。

世界からも「手がつけられない国」と思われ、今や中国やロシアさえも手を焼いている。




じわじわと経済制裁で追い詰め、暴発するのを待つのだろうか。

暴発を理由に、「キム・ジョンイル」を追い落とし(亡命?)、

国際協調ができる政権を作るしかないのか。

その時、洗脳された国民はどうするのか? 軍はどう動くのか?


むつかしい問題だ。





大長今テーマパーク・宮殿の門

2006年08月22日 | 韓国
大長今テーマパークの宮殿の門は、ドラマでもチャングムが宮殿に出入りするシーンで良く使われている。実際の門は、敦化門であればもっと立派なのだが、ドラマではどの門を模しているのか解らない。敦化門は屋根が二層だが、ドラマの門は1層でこじんまりした印象だ。雰囲気は良く似せてある。

晶徳宮・仁政殿

2006年08月22日 | 韓国
晶徳宮(チャンドックン)・仁政殿

お盆を利用しての「チャングム・テーマパークツアー」の初日、8月13日に中部国際空港(セントレア)からソウルに向かった。朝の便だから昼にはソウルに着いた。昼食を冷麺とピビンバで済ませ、夕食の「宮廷料理」まで時間があるので、 晶徳宮の見学に行くことになった。 晶徳宮はソウルにある4つの宮殿の一つで1997年に世界文化遺産に登録された。知らなかったのだが、明日行く予定の「大長今(デチャングム)テーマパーク」はこの 晶徳宮を模したものだとわかった。ドラマ「チャングムの誓い」の実際の舞台は 晶徳宮であり、それを模したセットが撮影所であった「大長今テーマパーク」と知った。この選択は、正解だと思い、日本語ガイド付きの観覧ツアーに参加したのである。

観覧ツアーは、 晶徳宮の基本的な建築物を効率良く廻るコースだが、4.2kmを1時間半かけて見学するもので、途中で抜けるわけにはいかない。30分もすると、汗が流れ落ちる状態になって、たまらず、シャツを脱ぎ、タンクトップ1枚になる。1時間もすると脱水症状とはこんな状態だろうと思われる状況になった。やっと唯一の売店を見つけ、ポカリスエットで水分補給。なんとか持ちこたえたのであった。

この 晶徳宮は、とにかく広い。敷地は縦長で観覧ツアーのコースはその半分程しか見ていないにもかかわらず、疲れてしまう。写真は、 晶徳宮の一番の建物である仁政殿(インジョンジョン)だ。

臣下の礼、外国使臣の接見など王様の公式行事が行われる儀式の建物である。たてもの正面には位の名が刻まれた石が並んでいる。臣下が王様に接見する時の位置を示したものだ。

北京の故宮ほどではないが、立派である。また、柱の茶色と窓の緑青色が韓国独特の風情をかもし出している。

大長今テーマパーク

2006年08月21日 | 韓国
大長今テーマパークは、人気ドラマ「チャングムの誓い」の主な撮影場所だったヤンジュオープンセットの常設施設にいろいろな見どころやイベントを加えてオープンした韓国で始めてのドラマ・テーマパークである。ソウル市内から車で2時間ほどで行ける。

この写真は、水刺間(スラッカン)である。ドラマの前半で良く撮影された場所である。印象は、もっと広いと思っていたが、意外に狭いというのが感想だ。逆に、建物の数や一般家庭の村など、その規模の大きさには感心した。建物一つ一つに、実際に撮影されたシーンの写真がサインとしてつけられており、興味深い。

8月15日ソウルにて

2006年08月17日 | 韓国
8月15日は終戦記念日である。

小泉首相は、イタチの最後っ屁とやらで靖国神社に参拝した。まるで、子供の所業である。こんな男が日本の首相を永年務めていたのだ。中国や韓国の立場で考えたら、何故、戦争を美化した施設まで併設するまがまがしい靖国神社に参拝する必要があるのか、自分達に危害を加えた戦争責任者を敬うような紛らわしい行動は慎むべきだと言っているだけだ。戦争責任者については触れず、「戦争で命を亡くされた人々を参るのが、何故批判されるのか、これは心の問題である」などと、論点をすり替えていなおる小泉は、まさにけんかを売っているとしか、考えられない。コイズミは9月で辞めるからいいはずはない。悪しき慣習は次期首相にも、受け継がれようとしている。次期首相候補ナンバーワンのアベは、態度をあやふやにして、情勢を観察している。

コイズミが靖国神社に参拝している時、我がお気楽4人組はソウルに滞在していた。お盆を利用して13日より、2泊3日の「チャングム・テーマパークツアー」に参加したのだ。16日の新聞を見るとソウル支庁前の広場で日本に抗議の集会(4000人)があったらしい。我らは、集会は目撃できなかったが、その広場の飾り付けを何度も車から観た。ガイドに伊さんによると、韓国では、8月15日は戦勝の記念日で祭日であり国をあげて祝う日なのだそうだ。日本の報道を見ると、韓国中が、小泉靖国参拝に反対して、抗議一色だと感じてしまうが、実際は少し違うようだ。小泉靖国参拝には、反対の立場ながら、報道の落差を感じずにはいられなかった。これは、昨年の中国でも同じだ。その日の上海は、まったく平穏だったのだ。

では、我らホニャララ探検隊は、15日に韓国で何をしていたか。

実は、真面目に烏頭山(おずさん)統一展望台を見学していた。烏頭山は、ソウルから1時間ほど車を走らせた場所で川を挟んで、北朝鮮が真近に見える展望台があるのだ。あいにく霧がかかり、対岸の北朝鮮はぼんやりとしか見えなかったが、模型や映像、展示パネルにより充分に内容は把握できた。驚きは、この展望台ができたら、北朝鮮が対抗して、3階建ての洒落たアパートを何十棟も建てたという話しだ。自分達の文化度をアピールするための策だそうだ。為政者の悲しい見栄のはり方は哀れでもある。

考えさせられたことは、ロシアとアメリカに国を2分された国の悲劇を、人間の叡智でなぜ解決しないのか?という素朴な疑問である。心情的には、世界の誰もが平和的な統一を望んでいる。ドイツが統合された時、反対した人はほとんどいなかったはずだ。韓国・北朝鮮の統一も同じだ。韓国の経済が破綻するとか、中国に難民が押し寄せるとか問題はあるだろう。そんな事は、世界が支援すれば何とかなるだろう。日本はODAを優先的にまわすことで多大な貢献ができるはずだ。

人間の叡智は、統一のプロセスのシナリオがかけないのか、日本人の拉致問題の悲劇も、元をただせば韓国・北朝鮮の分断に行き着く。対立のなかで、工作員教育の一環から日本人が拉致された。孤立した国家・北朝鮮をどうするのかという議論を始める時期だ。偽札や麻薬で外貨を稼ぐ国家など、もはや国家ではないはずだ。

ガイドの伊さんの話しでは、北朝鮮では、少しずつ韓国のテレビ放送やラジオを見たり聞いたりしているらしい。長い目で見たら、体制を崩壊させるには、一般市民レベルの情報の拡散が一番かもしれない。

8月15日、そんな事を考えさせられた1日でした。