ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

ぷち旅 高野山~卑弥呼を求めて編*7~ちょっと休憩~

2010年10月26日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

夕べ(深夜)から今日の夕方5時まで、ココがメンテナンスだったから、
ロングなぷち旅記録を綴れなくって、ごめんよぉ~( ̄▽ ̄;)ゞ 

ちょうどイイトコなんだけどさ~
今日は、ちょっと休憩ね!

で、画像は、こっち↓

ここ↑は、奈良の有名な遺跡です。
今回のぷち旅で後に訪れた場所です。

 この遺跡の名前がわかるかな?

   不思議な写真が撮れたんだよね~ココ↑ (o ̄∀ ̄)v
   本編をお楽しみにー!


↑こっちは、何に見えるかな?

ぷち旅 高野山~卑弥呼を求めて編*6~奥の院への参道1~

2010年10月25日 | ぷち旅

こんにちは~^0^

ぷち旅の続きいっきますよ~(=^エ^=)w

浪切不動尊でニャンコに出逢って嘘の様に痛みが無くなったホイミの指、

いったい、何だったのだろう??

と思いつつ、この時は、深く考えずに、次の目的地、奥の院を目指します。

いつもの如く、ホイミ一行は、目的地の下調べもせず、
ただ漠然と高野山を目指してきたので、これから訪れる奥の院も、この地にやってきて初めて知ったワケょ^^;
(お四国八十八ヶ所詣りを済ませて最後に納経に来るのは、高野山の奥の院なのですって。一番最初でもOK!っつか、納経帳の最初のページが奥の院だから、最初がイイのかも^^;)

浪切不動尊から車で、奥の院の中の橋駐車場到着!

立派な門があり、参道が真っ直ぐ延びています。


南無大師遍照金剛と書かれた立派な石柱の間を抜けて、一路奥の院を目指します。


その瞬間、収まっていた指が、また疼きだしたんだ。。
(マジで、一体何なのだろう?気持ち悪い。。ナンカ、ヤな予感がするょ。。)


頂上の奥まったところに「奥の院」という霊地があり、私達はそこへ今向かっているのだが、そこは空海の遺体が葬られた場所である。

しかしこのお山では空海は死んだのではなく、この山に「入定(にゅうじょう)」しているといわれている。
定とは瞑想のこと。すなわち空海は仏となって、永遠の瞑想に入っているというわけなりニャ。
死を超越した即身成仏の姿を求めようとしているのであろうか。。
弘法大師信仰の究極の形なのかもしれない。。


ガイドマップを見ると、何やら聞いた事のある歴史の武将の名前が沢山あるでは、ないですか~!! (墓!? それとも、墓碑???)
と、ちょっと見して、とりあえず目的地を目指します。

急に墓地っぽくなった参道。。

いきなし、目に入ったのはこのロケット↓

ロケット制作会社の供養塔みたい。。


土木建築会社の供養塔。。

ほか、キリンビール・UCC・福助・・・と有名企業がずらり。
企業の供養塔がやたら目に付く。
キリンビールは麒麟の像、UCCはコーヒーカップ、福助はお座布団に座ってハハーm(__)mってしているチョンマゲ頭君。
各それぞれのイメージキャラクターの像が立ってたりします。

ここは、一体何だろう、企業の広告?みたいなのが所狭しとひしめきあっていたので、アトラクション気分で最初は、気軽に写真を撮っていたが、会社に従事している途中で亡くなった方の供養塔と気づき撮影は控えました。

そして、しばらく人の流れについて行くと、分岐の立て札が出ています。

左が一の橋、右が奥の院となっていました。

右に行けば、目的地の奥の院なのだけれど、さっきのガイドマップが頭に入っていなかったので、一の橋が何の事か理解できず、有名な橋があるのかと思い、まずは左から回って見ようとなった。
(今思えば、素直に奥の院を目指せばよかったの。。)

このT字路に入った瞬間、それまでの和やかだった空気が激変した!!
さっきまでとはあきらかに違う重圧感、あたりは重苦しい空気に包まれてしまった。。。
指はますます痛みだし、鳥肌ブー!!!

妖怪アンテナが、じわりじわりと逆立ち始めます~>< 
(ホイミは、髪の毛が逆立っちゃうんだにょ^^;)

ああ!この痛みは何かを警告していたのかと、やっと解りました。

至る所から降り注ぐ視線や背中がゾクゾクとする感覚を覚えながら、出来るだけ上を見ないで歩こう。。(たいがい変なヤツを見る時は上の方にフワフワと佇んでいるので、絶対見たくない。 コワイモン。。><)

そんなホイミの緊迫した心の内を知らず、
『へー、変わった所やな!ふーん♪』などとほざいてる呑気な助さんがいたょσ( ̄∇ ̄;)

しばらく歩くと、汗かき地蔵がありました。

その傍ら(右側)には姿見の井戸があったけど。。


とりあえずおさい銭を入れてお参りしたらしいのだが、恐怖で固まっていたホイミは、この時の事は全く覚えていなかった。。

覚えているのは、自分の腕に着けたブレスちゃんに必死に守ってくださいとお願いしていたことぐらい。

(たくさんの参拝者が歩いていたはずなんだけど、この人達って『人』だよね? 自分が感じる変な気分をすれ違う人達は感じてはいないのだろうか。。)

汗かき地蔵さんの参拝を終え、すぐそばの中の橋を渡った先には、明智光秀・石田三成の供養塔がある。そして、その先の薩摩島津家の辺りで、それは突然やって来たんだ。。
(後で知ったが、ココは4番石と呼ばれているらしい)

ホイミの少し前を歩いていた助さんが
『うわぁあ・°・(´Д⊂ヽ・°・』と、突然絶叫!!

次の瞬間、ホイミに未知の強大なエネルギーが伝わってきたの。
髪の毛を抑えながらスーパーサイヤ人(?)になりかかったホイミを見て、助さんが、聞いてきた。

助:『今・・来た?一体何なんだ!? 何かとてつもなく凄いものが来たけど、何か見える?』

ホ:『何か大きなエネルギー体だったな、、でも、アタシャ見えないょ。。っつか、見たくねぇー!!』
(マジで、見たくなかったので、下ばっか見てたんだもん。)

助:『今の凄いのはいったい何だろう。背中にモロ来たで!
   霊かそれとも電磁波かな?  とにかく得体の知れない猛烈な何かが来たよ!

  これだけ墓があれば霊も居るかもしれないけれど、きっと電磁波だろうな!  墓石は落雷すると、磁気を帯びて変な磁場が発生するらしいからきっとそれだろう!』

と、一人で科学的に分析しながら、必死で自分に言い聞かせていた助さん。。

ホイミも、見てはいないけど、、(怖くて下しか見ていないが)妖怪アンテナはバリ3 MAXや!!)
ホ:『きっと電磁波ょね!うん!!そうしとこ。』

と、二人で言い聞かせながら先に進んだ。

この後何度も、得体の知れない物に撫でられ、すっかり撮影を忘れ無口になっていく助さん・・・(写真部部長~撮影しろよぉ!)

ホイミにはフルパワーチャージしてきたブレスちゃん4本が守ってくれてるから、大丈夫・・・たぶん。。^^;


助:『なあホイミ、ココってなんか変じゃないか? 
結構人は居るけど他の人は何ともないのかな?
あそこまで凄かったのはさっきのだけだけど、ゾクゾクが多過ぎやわ!

今まで出るっていわれる所もいろいろ行ったけど、ここまで多いのは、初めてだょ!幽霊よりも生きてる人間の方がよっぽど怖いってのが持論(人の不安感を煽って法外な金銭を要求する詐欺紛いな輩がいる。)だけど、このイヤ~な感じは、( ̄~ ̄)う~ん・・』

ホ: 『今見えている人達ってさ・・・ヒト・・だよね?』

助さんは、へyellow25?と、一瞬、ぽかんとしたが、次第に無口になって、黙々と歩き出した。

こういう時は、キョロキョロせずに、ひたすら歩く事に専念するべし。
鈍い助さん(ホイミに比べると)でも、感じるエネルギーは相当だ。

けれど、興味本位にキョロキョロして、エネルギーと波長が合ったりしちゃうと、
大変なことになる。

もし、そうなったら、ホイミが助さんを守らなきゃならない。
自分を守ることまでは手が回らないかも、しれない。。

進みだした道を途中で引き返すか・・一の橋まで行き着けたら、、、
またこの道を戻らないといけないのか。。。先の事を考えながら、さてどうしましょうか。。。

ちなみに、この参道には、有名な武将の慰霊碑がたくさんある。
伊達政宗・上杉謙信・武田信玄・大岡越前などなど・・

ホイミは松平家にも手を合わせといたょ。

有名な武将もだけどさ、苔むした変わった形のお墓がいっぱいで、
超キモチワルー!デス><

ホイミ的には、この道さえ外れなければイケル気がしていましたけれど。。


中の橋から一の橋までのたった900mの道のりは非常に長く感じ、

まだ~?一の橋は!! 

いったい・・・一の橋には何があるんだ~???

中の橋ってただのちっこい『橋』だったょ。

もしかすると、一の橋ってのもただのちっこい『橋』なんじゃないの?

。。。( ̄▽ ̄;)ゞ そうだね、立て札が有ったので、見たら、中の橋とさほど変わりばえのしなさそうな『ただの橋』じゃねぇか!!

アイタタタ~~o(*≧ω≦*)o  
もう引き返そうか。。。一の橋がすぐ側に見えてきた。

やっぱ、期待はずれ。。。

引き返しだしたホイミ達であったが、、、

ふとあることに気づく二人。

あれほどたくさん人が行き交っていた参道が・・・
人が全く居なくなっていたことに気づいた。

なんだか落ち着かなくなった助さん。

また元来た道を戻れるかな。。。戻るしか無いが。。
(ホイミ、かなり心配;)

。。っと、今日は、ここまでデス(〃⌒ー⌒〃)

怖くなかったでしょ?( ̄∀ ̄*)イヒッイヒッ

ちょっぴり寒気がしたかな??
夏場じゃなくてゴメンネー!!


ん、、、っとね、

この話はこれだけでは終わりませんのょ~(;´▽`A``

本番はココからじゃょ。

このあと、助さんのとった無謀な行動とは!
果たして、ホイミ達は無事にこの地を抜け出す事ができるのか?

次回をお楽しみに~(((°Д°)))

また真夜中にお会いしましょう~グフフフフ(o ̄∀ ̄)ノ”

   決してひとりでは読まないでくださいね~ 

            (((((((o≧▽≦)oギャハハハハ

 ※この話は、フィクションではありません(((;゚Д゚)))ぷるぷる






ぷち旅 高野山~卑弥呼を求めて編*5~周辺探索3~

2010年10月24日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ショップのお引越し作業が思った以上に大変~( ̄▽ ̄;)ゞ 
もう脳みそ爆発中ですにょ~~(T△T)

受注中の作業もボンミス発覚で ひょえぇぇぇ~~~><
自身のアホさにゲンナリですゎ;;;アタシのドアホー!
土日返上してセッセと梱包ちぅです~頭シャキとさせて頑張らねば~
(リ●D飲んで働けホイミーっ!!!)

さて~
今日もぷち旅記録の続きを書くね。

前回ご紹介した根本大塔周辺から駐車場へと歩き出しましたが、
お隣の常喜院のお庭がちょこっと気になったので立ち寄ってみまぁす(〃⌒ー⌒〃)


門をくぐると、まず大きな木が・・・おや?


よく見ると、この木は・・
立派に枝を延ばした木の幹の下の部分が土みたいなんですよ。
大きな土柱の上に乗っかってるみたい。

土中から円筒形にくり抜いて、この場に置いたような。。
それとも、この木を残して、周りの土を取り除いたのかな。。
土に見えるところには木の根が下に向かって這っているっぽいし。。

土柱の上から根っこを下ろして逞しく生い茂っていることに、
何なんだ、この木は?
永遠の謎ですにゃo(*≧ω≦*)o

更に奥へ進むと、


お習字教室がありました。

寺子屋みたいなイメージかな。

小学校の時、ホイミもこんなお習字教室に通ってたょ(o ̄∀ ̄)w

仏様の手がありました。

座ると、ご利益があるんだそうですょ^^
もちろん^^座りましたとも~^0^ゴリヤク♪ゴリヤク♪
おしりが温かくなった~(〃⌒ー⌒〃)

湯蔵地。。。地蔵湯か^^;。。"湯"と付くと銭湯yuか? それとも酒蔵!? 
入り口は裏路地に隠れた居酒屋みたいな雰囲気なんだけど・・


覗いてみると、なんかありそう。。こっち側は裏のようですね^^;表に回ってみましょう♪

あらまぁ~^0^ 表は、炉端焼き屋さんみたい。。ぼそっ

内部は雑然としていて、入口のすぐ脇に全身真っ赤なお地蔵様が鎮座していて、一瞬ギョッ!

さすり地蔵

「自分の体の悪いところを、タワシでさすり、次いで、赤地蔵の体をさすって下さい」とのこと。

怖いけど、恐る恐る。。置いてあるたわしを取り、頭をゴシゴシしてみるホイミであった。。( ̄人 ̄;)アタマヨクナリマスヨウニ


本尊 赤地蔵さんをはじめ 聞き耳地蔵さんほか たくさんのお地蔵さんが並んでます。結構不気味だったりしますが。。ぼそっ
ミニチュアの水かけ不動明王さんもあり、ここは地蔵堂のようです。

次はお隣の大きな建物、大師教会へ
駐車場から歩き出してすぐのとき、ココでホイミの薬指が痛み出したんだよね。。今は治まってきているけど、、大丈夫かな。。(身構えてます)


大師教会と増福院が繋がっていました。


中はキンキラキンkirakira


高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されています。
大講堂は1925年、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。

指がまた腫れたり引っ込んだりしてました。。

なんなんだ? いったい。。(;´д`) 

さて、駐車場に戻ってきました。
ココからは、車で移動です。

少し離れた女人堂へ向かいます。
長い坂道・・良かった車で^^;

着きました^^

昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていました。1872年に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物となります。




お向かいには、お竹地蔵さんが厳粛なお顔で鎮座しておられました。

こちらは30年高野山に年期奉公で働いていた横山 竹さんという女性が安政の大地震の被災者や父母の弔いのために自費で建てた地蔵尊です。
縁談・進学・子授け・水子供養に良いそうです。

次は、徳川家霊台へ。
中に入るには拝観料がかかるので、外からパチリ。遠くから(=^人^=)ナムー


側の浪切不動尊へ



おや?ココで飼われている猫ちゃんでしょうか。
こちらをチラチラと気にしています。

目が合ったので、近づくと、ニャ~ォと小声で鳴きました。
ナニナニ? お腹をさすれって?

ヨチヨチ。。おや? あなたは身籠っておいでですね?

元気な赤ちゃんが生まれますように。安産でありますように。とお腹を撫でてあげました。

不思議と指の痛みが治まっていました。

あら? あなたも?

ハイハイ^^* 軽トラのご主人さんを待っているんですね、イイコだ~ナデナデ^^*
ふふっ^^* 片耳だけピーン!と立ててご主人さんの足音を探っているのかな? (〃⌒ー⌒〃)

さぁて~お待たせしました。。
お次は、遂に問題の地~恐怖の奥の院へ突入です。
でも、今日はここまでね。。

次書くのが怖い気がしゅる。。(((;゚Д゚)))ぷるぷる

ぷち旅 高野山~卑弥呼を求めて編*4~周辺探索2~

2010年10月23日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅記録の続きでぇす~^^*

刈萱堂から金剛峯寺まで戻ってくると、曇ってた空から晴れ間が見え出しました。(雨予報はどこへやら。。)

先にご紹介した画像の金剛峯寺は暗~いので、もう一度撮影しなおします。



金剛峯寺から、今度はさっき行ったのとは反対側へ歩きます。

細い真っ直ぐな道。 散歩道にはイイかもしんない。
(アタシャ足がもう笑ってりゅけど・・・ゞ(_△_;〃ピクピク)


赤く染まりつつあるもみじ。


道を抜けると、お堂がずらりと立ち並んでいました。

手前から智泉廟(ちせんびょう)・東塔(とうとう)※三昧堂(さんまいどう)※三昧堂は、歌人西行が1150年頃やってきて30年にわたり修行をしたそうで、京都へ※勧進して高野山の運営を支えたそうです。(※勧進:人々に仏の道を説いて勧め、善導する。堂塔・仏像などの建立・修理のため、人々に寄付を募る。)

 東塔(手前)・三昧堂(奥)を過ぎると、


↑大会堂(だいえどう)・↓愛染堂(あいぜんどう)と続く。


不動堂

1198年 鎌倉時代の書院造り様式を採用し行勝上人が建立。(国宝指定)

そして、ひときわ派手な根本大塔(こんぽんだいとう)がある。

完成に70年もかけ、弘法大師~真然僧正(弘法大師の弟子)と二代で建立。
(ご覧の大塔は、1937年に再建されたものだそうです。)

根本大塔の朱色とはうって変わって真っ白な鐘桜。
何度も火災に遭って何度も建て替えられているのだとか。

立入禁止なので、突けません^^;(溜まった煩悩を払うのはいつの日か。。笑)
直径2.12mの鐘の音はどんなものなのでしょうねぇ~(o ̄∀ ̄)w
日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれています。

金堂(こんどう)

高野山開創当時は講堂と呼ばれていたそうですが、平安時代半ばから総本堂となったのだそうです。(1932年に7度目の再建) 薬師如来像を拝観できます。

御影堂(みえどう)

弘法大師の持仏堂。

准胝堂(じゅんでいどう)
弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊。

ここの准胝観音は、伽藍が建立された当時、食堂に安置せられていたと伝えられています。その後、天禄4年(973年)頃になって、この堂が建立され、移動されたということです。幾度も焼失し1883年に再建。

孔雀堂(くじゃくどう)

本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、現在は霊宝館に収められています。
鎌倉時代の初めの夏、近畿地方に長い期間雨が降らず、干ばつが起こった時、朝廷の命令で、お坊さんが雨を降らすことを祈る「請雨経法」が行われていました。孔雀経法は、雨を降らせるのに効果てきめん!
延杲僧正の法力の偉大さに朝廷・後鳥羽院からのご褒美として孔雀堂を建立することを許されたのだそうです。

西塔(さいとう)

根本大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています。現在の塔は1834年に再建。

御社(みやしろ)

山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守。社殿は三つあり、一宮は丹生(にう)明神、二宮は高野明神、三宮は十二王子・百二十伴神がまつられています。

山王院(さんのういん)

御社(みやしろ)の拝殿として建立され、両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物。地主の神を山王として礼拝する場所の意味であり、1594年の再建で重要文化財。

こちらにも鐘桜がありました。 


六角経蔵  (別名:荒川経蔵)

鳥羽法皇の菩提を弔うため、鳥羽法皇の皇后の美福門院が、一切経を納めるために建立された経蔵。(一切経は重要文化財として、霊宝館に有ります。)

経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができるようになっていて、回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれます。

蓮池(はすいけ)

橋を渡ってみました。


小さな祠(ほこら)がまつられています。1771年頃、干ばつが度々起こり、民衆は苦しみました。そこで善女竜王(ぜんにょりゅうおう)像と仏舎利(ぶっしゃり)を蓮池の中島に小さな祠を建立しておまつりすると、たちまちに霊験が現れたとの事です。

はぅ。。(;´д`) 

ご紹介長いぞぅ~~( ̄▽ ̄;)ゞ

コレでもかなりハショったのにぃ~~ (o_ _)ノ彡☆バンバン 


ぷち旅 高野山~卑弥呼を求めて編*3~周辺探索1~

2010年10月22日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅記録の続きでぇす~(=^エ^=)w

当初の目的地である金剛峯寺を参拝した後、
さぁ~次はどうしようかな。。

高野町のメインロードを歩き出してすぐ周辺マップをゲットgood

色々と探索するポイントがたくさんありそう♪

どこから行こうかなぁ~^^

歩ける距離は歩いて、遠い所は車で行こう。

ひとまず、刈萱堂(かるかやどう)を目指そうと歩き出す。

派手な建物が見えてきました。

タイの寺院のミニチュア(?)な感じ。

この建物は、摩尼宝塔(まにほうとう)といいます。


「成福院」前住職、故・上田天瑞(てんずい)大僧正(元高野山大学学長)が、南方仏教研究のためにタイ国に渡り、戦争勃発。自らも戦場へと駆り出され、戦争を経験。戦後、ビルマ各地に日本語学校を設立し教育に挺身し、自らもビルマ僧となって修行。ビルマ仏教協会より贈呈された釈迦仏像と大蔵経を奉持され、帰国後、この仏像をご本尊としてビルマ戦没英霊を高野山において供養されました。その後、大僧正の意思を継いで、三層八角の宝塔の完成させたとの事です。

ブッダ(お釈迦様)の像がありました、空海(弘法大師)の伝えた真言宗も仏教ですものね、オオモトのお釈迦様はやっぱ外せないか・・^^; (ブッダはインドだ!とか、ツッコミなしね^^;)

延命なで地蔵さんにも出会いました。
 
ナデナデしとこ。。  ヨチヨチ\(=^エ^=)


やっと刈萱堂に到着~ゼィゼィ;;


中はこんな感じ。↓



刈萱堂で、中の写真を外から撮ってたら、中に入ったら撮影禁止ですよ~と
おじさん(僧侶)に言われたので、残念ながら、中の画像はありません。

中は、高野山にちなんだ昔話を絵にした大きな額縁がダ~!と並んで展示されていました。

刈萱堂を見学した後、外に出ると、長イス発見!

ちょいと休憩(〃⌒ー⌒〃)
  (歩き疲れたのさ~)

座っていると、通りすがりのおじさんが近寄ってきました。
ニコニコ顔で話しかけてきましたよ^^

あなた達、観光ですか~?

ハイ^^*

高野山の観光するには順番があるのだょ。
まず、バスで奥の院に行ってから、歩きでこっちまで戻ってくるんだ。
そして、最後に女人堂に寄ってバスに乗ってケーブル駅まで行くんだよ。

(私達が、車で来ているのではなく、電車で来ていると思って親切に説明してくださった。)

それはそれは、どうもご親切に有難うございます。とお礼を言うと、
おじさんは、さも満足げにニヤリと笑いながら、ホイミ達の座っている側に駐車している車に乗り込んだ。

やたらこの町に精通しているげなおじさんは、地元の人だろうと思っていたのだが、、、


去っていくおじさんの車のナンバープレートを見て、ビックリw( ̄Д ̄;)wワオッ!!

大分ナンバーやんけー!!! ゞ(_△_;〃どてっ

やけに詳しすぎるっ!!! 大分と言えば、つい2週間程前に行ったばかりだにょ~~(((((((o≧▽≦)oギャハ
しかも、ホイミ達より遠いぢゃんっ!!!(大分から高野山は遠いっス)

さて、ここまでは、歩きで来たけれど、どうやら(大分の)おじさんの話が本当なら、この先の奥の院は遠そうだ。。車で行くべ。

トコトコと来た道を再び歩き出す。

すると、お稲荷さん発見!!

清高稲荷大明神



ものすごい数の鳥居さんがずらずら~と並んでますわ~

行ってみましょう~♪


おやおや。。 だんだん鳥居が古めかしくなって来ました。


あまり人が来ないのか、誰も居なくて、お稲荷さん寂しいかも。

こぢんまりとした佇まいのお稲荷さん。


お稲荷さんは、神様なので、神社だよね。

だから、両手を合わせてパンパン(^人^)ヨロシゥニ


さてと♪
金剛峯寺まで戻って、ついでだから、周辺探索もしちゃおう♪

早くも歩き疲れてるんだけど~~~^^;

っっ。。今日はここまででぇす( ̄▽ ̄;)ゞ

 ん? ちっとも怖くなかった? 

  ムフフフフ。。。まだまだ~((((((≧∇≦))))))