こんにちわ^0^
たくさんの励ましや応援のメッセージを有難うございました!
ホイミ、頑張りまっす(ノ´▽`)ノオオオオッ♪
さてさて、今日はホイミの思い出話にお付き合いください。
去年の今頃、とても悲しい別れを経験しました。
ブログをいつもお読みくださっている方はピン!と来るかもしまれませんね。
大切な家族だったルイボン(=^エ^=)との別れがありました。
明日がルイボンの命日となります。
歯周病がきっかけで、歯茎に膿が溜まり、更に上顎の骨がボロボロになりオトコマエのお顔が変わってしまう病でした。(癌もできていたようです)
1年2ヶ月の闘病生活を強いられ、痛みに耐え抜いて最後は安らかに天使になりました。(享年17歳・・人に換算すると、84歳ぐらいかな。)
病気が判明して医師に決断を迫られた時、当時15歳だったルイボンには手術に使う麻酔すら危険な年齢で、手術をしたとしても麻酔により肝機能が弱ってしまい命は確実に短くなると究極の選択を迫られ、非常に悩みました。
お家の人以外の人を恐れるルイボンは医師を怖がり激しい痛みと精神的苦痛に耐えられない事を考えると、悩んだ末に出した結論は、手術を行わずに抗生物質と痛み止めのみで自然治癒を選びました。
お顔に穴が開いた時は安楽死の選択も迫られましたっけ。。(即答で却下しましたけど)
ルイボンはやんちゃな男の子。とても優しくて頼り甲斐のある子です、食欲も旺盛で、我が家の主(ヌシ)のような存在でした。
彼の前では、ぶぅ子(ニャン)も小さくなってました。
痛むであろう上顎も彼の食欲のほうが勝ってた。
思えば、彼の食欲は今までのどの子よりも遥かに強く、こと【食べること】においては凄い執着を持っていた子だったと思います。
通常のごはんの量ではもの足りず、冷蔵庫を力ずくで開け、中の食材を食べあさることもあり、ジャガイモやお米まで袋を破いてかじっていたこともありました。
さすがに食べてはいけないものまで食べられては困るので、届かない棚へ隠すこと度々。
しかし、その棚へもどうやって上がったのか、家へ帰ったら棚の上の至福の寝顔を見て驚くことも。。^^;
食べ物を隠す側と見付ける側のイタチゴッコ。
人間のお薬(バファリン)をまるごと食べられたのには恐れ入りました。
開けてもいない真新しい箱を開け、プチプチと錠剤を器用に出して、全て平らげていました。
1錠や2錠でも眠くなったりフラフラしたりする薬なのに、、平然としていました。
(猫には効かないのでしょうか^^;)突然こん睡状態になってしまわないかとヒヤヒヤさせられました。
(ちなみにテン助(ワンコ)には、正露丸を2瓶やられましたけどね^^;)
それほど【食べる事】に強い執着を持っていた子だったから、1年以上生きられたんだと思います。 医師には食べられなくなったらすぐです。と言われていましたから。。
上顎の骨が腐り鼻の半分の骨も腐り顔に大きな穴がぽっかり開いても彼は食欲がありましたから、医師は本当に強い子だと驚いていました。
とんでもなく激しい痛みがあったはずです。
痛みに気がおかしくなっていたのかもしれません、思うように食べられない時は、ぶぅ子にやつ当たりしたりもしてました。
けれど、人にはいつもプライドが高く、痛みなど無いような振る舞いをしていました。
私が辛そうな顔をすると、プィ!と寝床へ行ってしまう。
かぁたん お腹空いたニャ~とフラフラしながらもフードが皿に盛られるのをお行儀良く待っていました。
おトイレも亡くなる直前まで自分の力でお砂場まで歩いて行ってました。
本当に、飼い主の手を煩わせない賢い子でした。
5階のマンションのベランダから鳩を捕まえようとダイビングして、1階のコンクリートへ転落。顔の骨を折った事もありました。(その時も5階のお部屋まで血をボトボト流しながらも自力で帰ってきて、ドアの前で開けてニャ~!と呼んでいました。)あの時は肝を冷やしたな。。;;;
彼は人語を理解していて、少しでも悪口を言うと、シッポをバタンバタンと床に叩きつけながら不機嫌になっていたし、誉めるとフフン♪とシッポを高々にひらひらさせていました。
ぶぅ子がお砂場でウンウンをして砂でウンPを隠さないで、サッサと戻ってきた時も、
後をチェックして、『コラコラ・・ちゃんとウンP隠さニャきゃダメだぞぅ!』と自らの手でお砂をかけて後処理してくれていました。
(ちゃんと、ぶぅ子のお手本になっててくれてたんだ^^)
ホイミが涙を流したら、優しく涙を舐めてぬぐってくれた。
シッカリ者なのに、一番の甘えん坊でお膝に乗るのがダイスキ。(デカくて重いから長いこと乗せられなかったけど;;)
おトイレに座っていると、必ずドアを開けて足元でくつろぐ。。
どんなに重い扉も怪力で開けちゃうし、熱いコーンスープが入ったカップにそっと手を突っ込んで手に付いたスープを旨そうに飲んでいる素振の可愛かったこと。。
メロンがダイスキで食べ終わったメロンの汁を旨そうに舐めていた。
楽しかった思い出がどんどん浮かんでは笑いと涙が溢れる。。
いつまでも忘れないホイミの大切な家族。
お別れの日から1年経っても、この先何年経ってもきっとずっと変わらない思い。
もし、究極の選択を迫られた時、思い切って手術をしていたら、まだ生きてくれていたかもしれない。。と未だに自分を責めてしまう。。
けれど、今は痛みもなく、自然の大空の下、風になり山を駆け上っているのだろうな。。
明日は彼が永遠の風になった山へ行ってみようと思います。
===================
お店はいつもどおり稼働中ニャ~(=^エ^=)w
たくさんの励ましや応援のメッセージを有難うございました!
ホイミ、頑張りまっす(ノ´▽`)ノオオオオッ♪
さてさて、今日はホイミの思い出話にお付き合いください。
去年の今頃、とても悲しい別れを経験しました。
ブログをいつもお読みくださっている方はピン!と来るかもしまれませんね。
大切な家族だったルイボン(=^エ^=)との別れがありました。
明日がルイボンの命日となります。
歯周病がきっかけで、歯茎に膿が溜まり、更に上顎の骨がボロボロになりオトコマエのお顔が変わってしまう病でした。(癌もできていたようです)
1年2ヶ月の闘病生活を強いられ、痛みに耐え抜いて最後は安らかに天使になりました。(享年17歳・・人に換算すると、84歳ぐらいかな。)
病気が判明して医師に決断を迫られた時、当時15歳だったルイボンには手術に使う麻酔すら危険な年齢で、手術をしたとしても麻酔により肝機能が弱ってしまい命は確実に短くなると究極の選択を迫られ、非常に悩みました。
お家の人以外の人を恐れるルイボンは医師を怖がり激しい痛みと精神的苦痛に耐えられない事を考えると、悩んだ末に出した結論は、手術を行わずに抗生物質と痛み止めのみで自然治癒を選びました。
お顔に穴が開いた時は安楽死の選択も迫られましたっけ。。(即答で却下しましたけど)
ルイボンはやんちゃな男の子。とても優しくて頼り甲斐のある子です、食欲も旺盛で、我が家の主(ヌシ)のような存在でした。
彼の前では、ぶぅ子(ニャン)も小さくなってました。
痛むであろう上顎も彼の食欲のほうが勝ってた。
思えば、彼の食欲は今までのどの子よりも遥かに強く、こと【食べること】においては凄い執着を持っていた子だったと思います。
通常のごはんの量ではもの足りず、冷蔵庫を力ずくで開け、中の食材を食べあさることもあり、ジャガイモやお米まで袋を破いてかじっていたこともありました。
さすがに食べてはいけないものまで食べられては困るので、届かない棚へ隠すこと度々。
しかし、その棚へもどうやって上がったのか、家へ帰ったら棚の上の至福の寝顔を見て驚くことも。。^^;
食べ物を隠す側と見付ける側のイタチゴッコ。
人間のお薬(バファリン)をまるごと食べられたのには恐れ入りました。
開けてもいない真新しい箱を開け、プチプチと錠剤を器用に出して、全て平らげていました。
1錠や2錠でも眠くなったりフラフラしたりする薬なのに、、平然としていました。
(猫には効かないのでしょうか^^;)突然こん睡状態になってしまわないかとヒヤヒヤさせられました。
(ちなみにテン助(ワンコ)には、正露丸を2瓶やられましたけどね^^;)
それほど【食べる事】に強い執着を持っていた子だったから、1年以上生きられたんだと思います。 医師には食べられなくなったらすぐです。と言われていましたから。。
上顎の骨が腐り鼻の半分の骨も腐り顔に大きな穴がぽっかり開いても彼は食欲がありましたから、医師は本当に強い子だと驚いていました。
とんでもなく激しい痛みがあったはずです。
痛みに気がおかしくなっていたのかもしれません、思うように食べられない時は、ぶぅ子にやつ当たりしたりもしてました。
けれど、人にはいつもプライドが高く、痛みなど無いような振る舞いをしていました。
私が辛そうな顔をすると、プィ!と寝床へ行ってしまう。
かぁたん お腹空いたニャ~とフラフラしながらもフードが皿に盛られるのをお行儀良く待っていました。
おトイレも亡くなる直前まで自分の力でお砂場まで歩いて行ってました。
本当に、飼い主の手を煩わせない賢い子でした。
5階のマンションのベランダから鳩を捕まえようとダイビングして、1階のコンクリートへ転落。顔の骨を折った事もありました。(その時も5階のお部屋まで血をボトボト流しながらも自力で帰ってきて、ドアの前で開けてニャ~!と呼んでいました。)あの時は肝を冷やしたな。。;;;
彼は人語を理解していて、少しでも悪口を言うと、シッポをバタンバタンと床に叩きつけながら不機嫌になっていたし、誉めるとフフン♪とシッポを高々にひらひらさせていました。
ぶぅ子がお砂場でウンウンをして砂でウンPを隠さないで、サッサと戻ってきた時も、
後をチェックして、『コラコラ・・ちゃんとウンP隠さニャきゃダメだぞぅ!』と自らの手でお砂をかけて後処理してくれていました。
(ちゃんと、ぶぅ子のお手本になっててくれてたんだ^^)
ホイミが涙を流したら、優しく涙を舐めてぬぐってくれた。
シッカリ者なのに、一番の甘えん坊でお膝に乗るのがダイスキ。(デカくて重いから長いこと乗せられなかったけど;;)
おトイレに座っていると、必ずドアを開けて足元でくつろぐ。。
どんなに重い扉も怪力で開けちゃうし、熱いコーンスープが入ったカップにそっと手を突っ込んで手に付いたスープを旨そうに飲んでいる素振の可愛かったこと。。
メロンがダイスキで食べ終わったメロンの汁を旨そうに舐めていた。
楽しかった思い出がどんどん浮かんでは笑いと涙が溢れる。。
いつまでも忘れないホイミの大切な家族。
お別れの日から1年経っても、この先何年経ってもきっとずっと変わらない思い。
もし、究極の選択を迫られた時、思い切って手術をしていたら、まだ生きてくれていたかもしれない。。と未だに自分を責めてしまう。。
けれど、今は痛みもなく、自然の大空の下、風になり山を駆け上っているのだろうな。。
明日は彼が永遠の風になった山へ行ってみようと思います。
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お店はいつもどおり稼働中ニャ~(=^エ^=)w