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「北方領土」は4島か?  その2

2016年09月02日 | 憲法守るべし
からしだねさん、コメントありがとうございます。ロシアに行くならサンクトペテルブルグを訪ねるようおすすめします。それも短い秋、紅葉の頃がいいようです。

外務省ホームページに「北方領土」が載っていて、「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」では千島列島、樺太などをめぐって日本とロシアの間で取り決められた条約などの説明をしている。

※ 日魯通好条約(1855年) 日露両国は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。
※ 樺太千島交換条約(1875年) 日本は、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)を   ロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。
※ ポーツマス条約(1905年) 日露戦争後の条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けたました。
※ 大西洋憲章(1941年)、カイロ宣言(1943年) 米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署   名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。カイロ宣言は、この憲章の方針を確  認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。
※ ポツダム宣言(1945年)
※ サンフランシスコ平和条約(1951年) ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しまし   た。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利    を主張することはできません。

尖閣問題と同じで、日露戦争によって奪い取った領土を「譲り受けた」と記して、いかにも合法的に獲得した印象を与えているところを除けば、この歴史的経緯の説明に間違いはないと思う。
これらから、「択捉島までが日本領土であること」が19世紀の半ばには確定したこと、「ウルップ島から北の島々が千島列島であること」を日ロ両国が確認していたことが分かる。(日魯通好条約及び樺太千島交換条約)。
さらに、樺太千島交換条約により、「千島列島は日本領土、樺太(サハリン)はロシア領土」として19世紀の内に確定していた。平和的に、国際法に則した交渉で取り決められた「領土」である。

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