みんなしてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

沖縄県民頑張れ!安倍独裁政権をうち倒そう!!

2015年03月24日 | 憲法守るべし
沖縄県知事が、辺野古での作用を停止するよう国に指示したことに対して、官房長官が「我が国は法治国家だ。この期に及んでこのようなことは極めて遺憾だ」などと、「この期に及んで」を4回も繰り返したという。  
よく言うよ!って感じだ。


まず、「法治国家」をいうならば、主権者は国民であって国も自治体も主権者の意思を最大限尊重した政治をおこなう民主主義が前提だ。都合よくこの言葉を使って、政権の意思を国民に押し付けようとするならばそれは独裁だ。
何よりも一番の関係者である沖縄県民が、辺野古基地建設反対の意思を再三再四表してきた。それも最も民主的な意思表示の方法である選挙でだ。
次に、本土の国民は沖縄県民の意思を無視して工事を強行する政府のやり方に反対する意見が多い。翁長知事に会うことさえ拒否している政権の態度を厳しく批判する声が強い。
強権政治、独裁政治を進めながら「法治国家でございます」とは許すことができない手前勝手な言い分だ。
「この期に及んで」もまた手前勝手な暴言だ。
「普天間基地は県外に移設」を公約して当選した仲井間前知事が、どのようにして辺野古移設賛成に変わったのかは、今後の検証で明らかにされるだろうが、安倍政権は知事選で負けるかもしれない情勢が見えてくると大急ぎで工事に着手して、あげくの果ては任期切れ目前の仲井間知事に設計変更承認のハンコを押させて既成事実を積み重ね、県民・翁長知事が反対してもどうしようもないほど工事を進めようと躍起になってきた。

辺野古基地反対が多数を占めるだろうことが予想され、それが現実になったにもかかわらず必死に悪政推進をはかる、まったく「この期に及んで」何たることか。官房長官にこの言葉をそっくりお返ししようじゃないか。そして、安倍独裁政権には退陣してもらうのが一番。退陣しないならば倒すほかない。

東京と沖縄で大集会

2015年03月23日 | 憲法守るべし
昨日、東京日比谷野外音楽堂と国会の周りで、14000人が参加した「安倍政権NO!☆0322大行動」が行われた。おとといは沖縄県名護で3900人が参加して辺野古に新基地をつくらせない県民集会が行われた。
どちらも、例によってメディアが報道しないあるいは小さく取り上げる程度で、たぶん国民の多くは知らないだろう。


安倍首相が防衛大の卒業式で「切れ目のない対応をするための準備を進めていく」と述べる姿の方が、「国民の意見をきいて政治をしてほしい」、「平和に暮らしたい」などと必死に訴える国民の集会より価値ありとする日本の巨大メディアはやはりおかしい。
もちろん首相が何を言ったかを国民に知らせることが不要というものではない。国民に判断する材料を公平に伝えるのがメディアの役割ならば、政府とは異なる考えで政権を批判する集会などもしっかり取り上げるべきではないか。ましてや国民の相当多くが関心を寄せている問題に関するものならばなおさらだろう。

翁長沖縄県知事は、先ほど辺野古の岩礁破砕許可の取り消しに向けて新たな一歩を踏み出した。知事の決断は翁長さんの信念に沿ったものであり、県民に支えられてなされたものである。3900人の集会は、翁長知事とともに辺野古に基地をつくらせない沖縄県民の気持ちを代表する(その後ろに何十万もの県民がいる)人々が結集したものととらえたら決して小さな集会ではなかったはずだ。
東京の集会では、原発、集団的自衛権、秘密保護法、沖縄新基地建設、TPP、社会保障、消費税増税、憲法改悪などなど、どれも国民の反対が強い問題について次々に発言がされ、また国会包囲行動では、2度にわたり参加者が国会を切れ目なく取り囲んだということだ。
非暴力を貫いて主権者が政権批判をする大きな集会、これも小さな出来事ではないはずだ。

菅原文太さんの〝遺言〟を引き継ごう

2015年03月21日 | 憲法守るべし
やはり公明党には何もできなかった。いろいろなポーズをして自称平和の党を演出したが、結局は安倍・自民党の思い通りに進んだ安保法制与党協議であった。
公明党が主張していた三つの歯止め=「国際法上の正当性」、「自衛隊員の安全の確保」、「国会関与等の民主的統制」=なるものは、実際には歯止めにならないことを政府・自民党は百も承知で受け入れたに違いない。
たとえば、自衛隊が活動する地域が「戦闘現場」になったら活動を中止するというが、これで自衛隊員の安全は確保できるのか。国会審議でいっそうの危険にさらされることになると指摘され、首相はまともに答弁できなかったではないか。
「自衛隊員の安全」を言うならば、憲法を遵守して海外派兵などしないことだ。
何よりも政府与党は国民に、これまでの政府がダメと言ってきたことが、どうしてこれからは良いとなるのか説明すべきだ。政治家ならば、政府・与党の結論を国民の納得抜きに押し付けるなどは、民主主義の国では許されないことぐらいの常識は持ってほしい。


菅原文太さんが、たしか昨年の沖縄県知事選挙で翁長候補を応援して「政治の役割は、絶対に戦争をしないことだ」と演説した。
文太さんの遺言ともいえるこの言葉を忘れず心に抱きつづけ、政治家に突き付けていきたいとおもう。

また〝安倍政治ノー〟とでた

2015年03月17日 | 憲法守るべし
朝日新聞が「自衛隊の海外活動を拡大すること」について世論調査を行ったところ、反対が52%、賛成は33%だった。これでまた安倍政権が進める重要な問題に国民の多くが反対(の傾向)であることが示された。同じ調査で、集団的自衛権を使えるようにする法案に反対が44%、賛成は32%となっている。
他の調査も見なければ断定はできないが、憲法「改正」、消費税増税などにつづき安倍政治NO!となった。これほど立て続けに重要課題が国民から反対されながら、「粛々と推進」すると言い続ける安倍内閣はもう「打倒」するしかないのではないか。

大阪ではパワハラ教育長が辞任に追い込まれた。府民の辞任を求める運動が広がったことと、自分と異なる意見を持つ委員や職員に暴言、脅しで従わせようとした、あるいは排除しようとしたことが第三者委員会によって認定され、府内各市町村の教育長たちから「リーダーたるべき教育長がかかる問題を起こしたことは極めて遺憾」と追求されたうえで、しぶしぶ辞任したようだ。

「維新」の松井府知事や橋下市長はいまだにかばっているようだが、どんなに権力をもつ者が強そうに見えても、国民が主権者であることを覆すことはできない。国民が安倍政治NO!の気持ちを一つに力を合わせれば安倍内閣を退陣させることもできる。こんな政治はお断りと思ったら、できることから行動に移すこと。


あぁ、平和っていいな

2015年03月15日 | 憲法守るべし
今日は3月の中日の日曜日。
久しぶりにもう風呂に入って炬燵で夕焼けの空を眺めながら一杯いただきながら書いている。
平和はいい。本当にきれいで穏やかな夕方で平和っていいなぁとつくずく思う。
今飲んでいるのは日本酒だが、こんな日、こんな夕やけ空を眺めながら飲む酒はワインでもビールでもよい。もう少しうす暗くなったらウィスキーがいいのかな・・・などと楽しんでいる。


エマの疑問にこたえる(つづき)

2015年03月13日 | 憲法守るべし
なんとしても守らなければならなかった「国体」とは何か?
〝万世一系〟の天皇を頂点とする絶対主義国家の仕組みを国体ととらえていたのだが、もちろんこれで間違ってはいなかったけれども、木戸幸一内大臣が残した日記を知って驚いた。
数知れない日本国民の命と引き換えに守ろうとした「国体」の本質は「三種の神器」だったのだ。「国体」をつき詰めると鏡と剣、そして曲玉であり、その三物を「護持」するために講和先延ばしを続けたのか。
臣民の命は三種の神器よりもはるかに軽しと心得よ!! なんということだ。


木戸日記
(昭和二〇年)七月二十五日
「・・・大本営が捕虜となるというが如きことも必ずしも架空の論とは言えず。ここに真剣に考えざるべからざるは三種の神器の護持にして、之を全うし得ざらんらんか、皇統二千六百有余年の象徴を失うこととなり、結局皇室も国体も護持し得ざることとなるべし。・・・」と天皇に言上したと記している。
後日、天皇より「・・・先日内大臣の話した伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思い、種々考えて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近にお移ししてお守りするのが一番良いと思う。・・・信州の方に御移しすることの心組で考えてはどうかと思う。・・・」とお話があっとも書かれている。

朝ドラ エマの疑問にこたえる

2015年03月12日 | 憲法守るべし
NHK朝ドラ「マッサン」はいよいよ最終盤。食糧難など生活苦や数々の悲しみを背負いながらも解放された人々が生き生きとしている。そんな中、エマが「どうしてもっと早く戦争をやめなかったのか」と問うせりふがあった。


1941(昭和16)年12月8日、マレー半島上陸作戦と真珠湾奇襲作戦による戦果で、国民の多くが「日本は勝つ」と信じ(させられ)た。マッサンにもそんな場面があった。
しかし、半年後からは日本軍は敗戦に次ぐ敗戦で制海権、制空権を完全に奪われて、補給も援軍もなく孤立した部隊は「玉砕」あるいは「転進」する最中に多くが餓死した。日本兵の死者の半数以上が餓死者・病死者と言われている。
こうした中、1944年7月、東條内閣が倒れた時が戦争をやめるチャンスだったが、「国体護持の講和を実現するためにもう一度勝たねばならない」として戦争は続けられた。ところが、もう一度勝つためのフィリピン戦も死者50万人(投入兵力の97%以上)とも言われる大敗北であった。
森野一馬さんは、この戦いで死んだのではないかと想像しているのだが、盛岡の墓地でもレイテ、ルソン島などとフィリピン戦の戦地を刻んだ墓石が数多くみられる。
このとき=1945(昭和20)年2月マニラが陥落したとき講和を決断していたら、東京大空襲も沖縄戦もなかったはずだが、重臣たちの「敗戦はもはや必至だから一日も早く戦争終結の方途を講ずべき」との上奏にたいして、昭和天皇の判断は「もう一度戦果を挙げてからでないと」というものだった。
竹やりで上陸してくる米軍を迎え撃つくらいの能力しか残っていないにもかかわらず「もう一度・・・」となったところに日本が起こしたこの戦争の本質が見える。国を守るため、愛する家族を守るためなどの戦争では決してなかった。
3度目、最後のチャンスは、1945(昭和20)年7月にポツダム宣言が発表された時だった。すぐに受け入れたならばヒロシマ、ナガサキもソ連の参戦とシベリヤ抑留も中国残留孤児もなかっただろう。ここでも「国体護持」のための駆け引きに時間を費やし決断を先延ばししたために数十万の国民の命が失われた。


それでは、守らなければならないとされた「国体」とは何か?



時宜にかなったTV番組でした

2015年03月11日 | 憲法守るべし
今日は3月11日。東日本大震災・大津波から4年。茨城県や千葉県等々これまで「被災地」としての状況があまり報道されてこなかった所に、今朝のNHK「あさいち」が目を向けさせてくれた。すべての災害被災地、被災者が復興・救済されることを願いながら見た。
9日夜のTBS系IBC・TV「わたしたちの街も戦場だった」もまた製作者の熱意とスポンサー企業の良識に敬意を表したい番組だった。戦争は勝った方にも負けた方にも悲しみを残すことを実写の映像とインタヴュー、事実に基づくドラマで伝えてくれた。
TVに限らず報道関係者は、ジャーナリズムに携わる誇りにかけて頑張っていただきたいと思う。


一方、安倍政権の“憲法感覚”がきわめてゼロに近いことを日々感じて恐ろしくなる。
安保法制をめぐって次々出されてくる中身は、これまでの自民党政権でも違憲あるいはそのおそれありとしてきたことばかりではないか。
首相が、内閣が思えばたちまち憲法違反ではなくなる、違憲としていたことがどうして合憲となるのか、国民が理解できるような説明はまったくない。「国民の“代表”である総理大臣がそう思ったからだ」という程度にしか聞こえない説明では困る。
首相はベラベラよくしゃべるけれども、肝心のところは避けて言葉数でごまかしている印象を受ける。


空襲被害者たちの集会

2015年03月08日 | 憲法守るべし
3月10日は東京大空襲があった日。
米軍による無差別空爆などで殺されたり家を焼かれた人たちやその遺族たちが、政府に「民間人の戦争被害」の解決を求める集会を行ったそうだ。
従軍慰安婦とされた人々の尊厳の回復と補償の問題のほかにも、“隠された”補償問題があることを知った。

戦場で死んだ兵隊だけを英霊と呼んで靖国神社にまつり、首相は「国に殉じた御霊に誠をささげて何が悪い」と国内外の厳しい批判に耳をかそうとしない。何が何でも靖国参拝をしたがる政治家たちが、同じ戦争の空襲で殺された民間人犠牲者にはほとんど関心を払っていないからこの集会が行われなければならなかったのだ。
国民の多くも注意を払ってこなかった。小林節慶応大学名誉教授は「今までこの世界を知らず、人生観が変わるほどショックを受けている。多くの人に広げる必要があるし、同時に記録もしていかなければなりません」と語っている。


戦没者(兵士)も民間人犠牲者も人命軽視の上にすすめられた国策の犠牲者だ。当時の国民(臣民)は「軍人勅諭」などで、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ、と天皇のため死ぬことを強要され、「防空法制」で逃げるな、お国のため命を捨てて火を消せと強要されていた。このため死なずに済んだかもしれない多くの命が失われた。“戦地の兵隊さん”も“銃後の国民”も、どちらも「誤った国策」による犠牲者であった。

安倍首相などの政治家たちが「英霊」とか「国に殉じた」というとき、そこには誤った国策という認識も死が強制されたという意識もなく、「美しい死」という感覚だけが響いてくる。



威勢は良いが?自民党稲田政調会長

2015年03月06日 | 憲法守るべし
自民党稲田朋美政調会長は「朝日新聞は100人斬りも検証せよ」とも言っているようだが、これもまたおかしな発言だ。

従軍慰安婦問題での“誤報”を念頭に発言しているのは明らかだが、朝日新聞が報じた「吉田証言」は、研究者からは初めから疑問視されていたし、河野談話作成過程にも影響していなかったことは確かめられている。しかし、朝日が訂正したことで、それ見ろとばかりに「従軍慰安婦問題はウソだった」と彼女らは、この問題のすべてを否定しにかかっている。
この問題の本質は慰安所での強制=性奴隷にある。それは「吉田証言」が否定されても全く影響されないところだ。


稲田政調会長らは、「中国は南京で30万人が虐殺されたとウソを言っている、だから南京大虐殺なんて信じられない、それはなかったのだ。」と言い続けてきた。
確かに、30万人という数字の根拠は不明とも言われている。
しかし当時の文書や日本軍人の日記、目撃者の証言などからも、日本軍によって多数の中国兵捕虜や民間中国人が殺され、暴行されたことは明白である。その数は数十人という単位でない膨大な数であることも明らかである。おそらく万単位であることは間違いないだろうと思う。
もし、数十人ならなかったことにできるのか。数百人ならなかったとしてもよいのか。


稲田政調会長は、「100人斬りはウソだから南京大虐殺はなかった」と言い張りたいのだろうが、これまた白を黒と言いくるめようとするものだ。
なんにんも斬ったと自慢している証言もある。たとえ「100人」斬りは大げさな数字だったとしても、それで「南京大虐殺」が薄まるものではない。

こんな素人でも分かることを、政治家のしかも自民党政調会長という要職にある人物が分からぬはずはない。彼女らは、なんとしても美しい「日本を汚す」史実を消し去りたい、この一心でなりふり構わず言いがかりをつけているとしか思えない。
これまた東京裁判についての主張と同様、日本を孤立の道へと導く発言だ。