盛岡市で今日なかなか良い集会が行われました。「ゆるせない!集団的自衛権行使、憲法改悪。 ナツメロを聴いて歌って平和を語るつどい」です。ナツメロと戦争法反対をつなげた、国会審議開始後岩手では最初の戦争法案反対集会ではないかと思います。岩手県ではなかなか難しい一致点での共同ができた集会でした。それだけ戦争法案に対する危機感が高まっているのだろうと思います。
中国に租借地や権益を持つ外国は、日本のほかにもあったが、なぜ特別に「排日」「抗日」が激しくなったのだろうか。
山東出兵は、1927年5月、28年4月、同5月と三回にわたって行われた。特に第三次出兵では、山東省の州都済南市への総攻撃が行われ、同市をほとんど壊滅させた。乱暴な軍事行動が山東出兵後「排日」を激しくさせ、日本軍の暴虐は世界でも有名になったという。教科書ではこうしたことにはふれずに、「排日が激化したので満州事変が起こった」かのように説明している。
満州事変は、激しい「排日」運動が広がったことと無関係でない。たしかに、1927年~28年に、中国国民の「日貨排斥」運動は、中国本土、満州、さらには東南アジアの華僑の間でも激しく展開され、たとえば日本からの綿布・綿製品輸出額は激しく落ち込んだ。
しかし、満州事変が起こった根本の原因は別なところにあった。
山東出兵が行われている最中の1927年7月、田中内閣の下で外務省と陸海軍の首脳部を出先の幹部まで集めた東方会議において「対支政策綱領」が決められた。
「極東の平和を確保し日支共栄の実を挙ぐること我が対支政策の根幹なりとす。而して之が実行の方法に至っては日本の極東における特殊の地位に鑑み、支那本土と満蒙とに付き自ずから趣を異にせざるを得ず」
このように日本政府は初めて「満蒙」を中国から切り離して日本の支配下に置くという計画を国策として正式に決定した。そして、反日勢力の弾圧と日本の権利・利益が侵害されたときの取り締まりは断固として行うこと、また、権利と利益が侵害される恐れがあるときも断固として自衛の措置をとることを表明した。
ここでも「極東の平和」、「共栄」など国民をだまして戦争を始める常套句がつかわれている。権益を守るために必要ならば軍事行動も辞さないという「対支政策綱領」に沿って、張作霖爆殺という謀略まで行って、日本が無理やり「満州事変」を引き起こしたというのが歴史の真実である。
中国に租借地や権益を持つ外国は、日本のほかにもあったが、なぜ特別に「排日」「抗日」が激しくなったのだろうか。
山東出兵は、1927年5月、28年4月、同5月と三回にわたって行われた。特に第三次出兵では、山東省の州都済南市への総攻撃が行われ、同市をほとんど壊滅させた。乱暴な軍事行動が山東出兵後「排日」を激しくさせ、日本軍の暴虐は世界でも有名になったという。教科書ではこうしたことにはふれずに、「排日が激化したので満州事変が起こった」かのように説明している。
満州事変は、激しい「排日」運動が広がったことと無関係でない。たしかに、1927年~28年に、中国国民の「日貨排斥」運動は、中国本土、満州、さらには東南アジアの華僑の間でも激しく展開され、たとえば日本からの綿布・綿製品輸出額は激しく落ち込んだ。
しかし、満州事変が起こった根本の原因は別なところにあった。
山東出兵が行われている最中の1927年7月、田中内閣の下で外務省と陸海軍の首脳部を出先の幹部まで集めた東方会議において「対支政策綱領」が決められた。
「極東の平和を確保し日支共栄の実を挙ぐること我が対支政策の根幹なりとす。而して之が実行の方法に至っては日本の極東における特殊の地位に鑑み、支那本土と満蒙とに付き自ずから趣を異にせざるを得ず」
このように日本政府は初めて「満蒙」を中国から切り離して日本の支配下に置くという計画を国策として正式に決定した。そして、反日勢力の弾圧と日本の権利・利益が侵害されたときの取り締まりは断固として行うこと、また、権利と利益が侵害される恐れがあるときも断固として自衛の措置をとることを表明した。
ここでも「極東の平和」、「共栄」など国民をだまして戦争を始める常套句がつかわれている。権益を守るために必要ならば軍事行動も辞さないという「対支政策綱領」に沿って、張作霖爆殺という謀略まで行って、日本が無理やり「満州事変」を引き起こしたというのが歴史の真実である。