みんなすてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

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育鵬社版歴史教科書を読んで  その6の2

2015年05月31日 | 憲法守るべし
盛岡市で今日なかなか良い集会が行われました。「ゆるせない!集団的自衛権行使、憲法改悪。 ナツメロを聴いて歌って平和を語るつどい」です。ナツメロと戦争法反対をつなげた、国会審議開始後岩手では最初の戦争法案反対集会ではないかと思います。岩手県ではなかなか難しい一致点での共同ができた集会でした。それだけ戦争法案に対する危機感が高まっているのだろうと思います。


中国に租借地や権益を持つ外国は、日本のほかにもあったが、なぜ特別に「排日」「抗日」が激しくなったのだろうか。
山東出兵は、1927年5月、28年4月、同5月と三回にわたって行われた。特に第三次出兵では、山東省の州都済南市への総攻撃が行われ、同市をほとんど壊滅させた。乱暴な軍事行動が山東出兵後「排日」を激しくさせ、日本軍の暴虐は世界でも有名になったという。教科書ではこうしたことにはふれずに、「排日が激化したので満州事変が起こった」かのように説明している。

満州事変は、激しい「排日」運動が広がったことと無関係でない。たしかに、1927年~28年に、中国国民の「日貨排斥」運動は、中国本土、満州、さらには東南アジアの華僑の間でも激しく展開され、たとえば日本からの綿布・綿製品輸出額は激しく落ち込んだ。
しかし、満州事変が起こった根本の原因は別なところにあった。

山東出兵が行われている最中の1927年7月、田中内閣の下で外務省と陸海軍の首脳部を出先の幹部まで集めた東方会議において「対支政策綱領」が決められた。
「極東の平和を確保し日支共栄の実を挙ぐること我が対支政策の根幹なりとす。而して之が実行の方法に至っては日本の極東における特殊の地位に鑑み、支那本土と満蒙とに付き自ずから趣を異にせざるを得ず」
このように日本政府は初めて「満蒙」を中国から切り離して日本の支配下に置くという計画を国策として正式に決定した。そして、反日勢力の弾圧と日本の権利・利益が侵害されたときの取り締まりは断固として行うこと、また、権利と利益が侵害される恐れがあるときも断固として自衛の措置をとることを表明した。

ここでも「極東の平和」、「共栄」など国民をだまして戦争を始める常套句がつかわれている。権益を守るために必要ならば軍事行動も辞さないという「対支政策綱領」に沿って、張作霖爆殺という謀略まで行って、日本が無理やり「満州事変」を引き起こしたというのが歴史の真実である。
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育鵬社版歴史教科書を読んで  その6

2015年05月30日 | 憲法守るべし
第一次世界大戦後しばらく国際協調の動きが続き軍縮が行われたことなどが記述され、202ページから「第二次世界大戦終結までの日本と世界」の節に移る。「世界恐慌と協調外交の行きづまり」「共産主義とファシズムの台頭」「中国の排日運動と満州事変」「日中戦争(支那事変)」「緊迫する日米関係」「第二次世界大戦」「太平洋戦争(大東亜戦争)」・・・とこの節は展開されるが、この教科書の特異さは戦後の歴史教科書では使われていなかった用語をわざわざ復活させて併記していることにも表れている。

支那事変、大東亜戦争ともに当時の日本政府が用いた呼び名だが、「支那」は中国にたいする蔑称で、石原慎太郎が意図的に使ってひんしゅくを買ったように、今では極右・差別主義者だけが使っている。
「大東亜戦争」の呼称について「戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)が大東亜戦争の名称を禁止したので、太平洋戦争という用語が一般化した」(214ページ)と解説している。「大東亜戦争という正しい名称を禁止されて仕方なく太平洋戦争といっているのだ」と思う生徒も多いだろうなと感じる解説だ。「大東亜戦争」は、戦争指導者がこの戦争を大東亜新秩序建設のための〝正当な〟戦争と主張するために命名したもので、わざわざ〝復活〟させたのは戦争指導者と同じ立場に立っていることの表れではないのか。


まず、「満州事変」から「太平洋戦争」までの記述をみてみる。
「中国の排日運動と満州事変」の題からも見当がつくが、満州事変が起きたのは、中国の排日運動のせいであるかのような書き方がされている。(206ぺーじ)
中國では辛亥革命のあと、軍閥による地方政権が各地に分立していたが、国民党の蒋介石が南京に国民政府を樹立して中国の統一をめざし、北伐を開始したことの説明につづけて満州事変が起きるまでを次のように説明している。、

「国民党軍に危機感をもったイギリスは、それまでの権益を守るため、列強に共同出兵を強くうながしました。・・・外相の幣原喜重郎は出兵に応じませんでした。しかし、1928(昭和3)年、北伐を進める国民党軍が済南にせまると、田中義一内閣は日本人居留民保護のため山東省への出兵を決定し、日中両軍は衝突しました」・・・「済南での日本軍との衝突以降、中国では、国民党が中心となって、日本の中国権益の解消をめざす排日運動が強化されました。排日運動の激化に対し、日本国内では日本軍による満州権益確保への期待が高まりました。1931(昭和6)年9月、満州を軍事占領して問題を解決しようとした関東軍は、奉天郊外の柳条湖で満鉄を爆破し、これを中国のしわざとして軍事行動を起こしました。(満州事変)」

欧米列強は出兵しようとしたが日本は出兵せず、済南まで迫ったとき居留する国民を守るために出兵した。その後排日運動が激化したので権益を守るため軍事行動を起こした。と、このような説明がされている。

今国会で論戦中の「戦争法案」でも、在留日本人保護のため自衛隊を海外派兵するというが、「在留邦人保護」はしばしば戦争の口実として使われてきた。「居留民保護」が理由の山東出兵後、なぜ「排日」運動が激化したのか。教科書には説明がない。







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育鵬社版歴史教科書を読んで  その5

2015年05月27日 | 憲法守るべし
岩手県内では6月8日から教科書展示会が始まり、一般県民は初めて来年度以降の中学校用教科書を目にすることになる。育鵬社版も改訂されたものが登場するだろうが、それを読むまでは現在発行中のもので検討を続ける。

教科書「新しい日本の歴史」では、189ページから「二度の世界大戦と日本」の章が始まる。
ヨーロッパで三国同盟と三国協商の国々の対立とサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が始まったことを説明した後、「わが国は、日英同盟に基き三国協商側に立ち、ドイツに宣戦布告してドイツの租借地だった山東半島の青島や太平洋上のドイツ領の島々を占領しました。・・・」、「大戦のさなか、わが国は、山東省のドイツ権益を日本に引きつぐことや関東州・南満州鉄道の租借期限の延長などを中華民国政府に要求しました。」と日本が参戦したことを説明している。


この教科書は、「その後も政府は朝鮮に開国を求める交渉を進めましたが・・」「わが国の軍艦が砲撃された」事件をきっかけに(157ぺーじ)とか、「(清が出兵したことを)認めないわが国も、清との取り決めに基づいて出兵したため・・・」(171ページ)、「ロシアの極東での軍備増強をこのまま黙認すれば、わが国の存立の危機をむかえる」(173ぺーじ)というように、日本の領土拡張への欲求などは後方に押しやって、日本はやむなく戦争した、さらに条約に則った戦争であったと「正当さ」を印象付ける説明を繰り返してきたが、第一次世界大戦への参戦についてもまた同様に、日英同盟を結んでいたので戦争に加わってドイツ領を攻撃し中国に21か条の要求をしたと説明している。
同じ説明の中の大戦の始まりの部分では「バルカン半島では・・・列強は独立運動を利用して勢力拡大をはかったため」と「列強の勢力拡大」が戦争の原因であったと言いながら、日本については勢力拡大をはかる列強のようには書いていない。日本が戦争をしたのは日英同盟があったからとしか書かない。
日本は欧米列強とはちがうと印象付けるような書き方は、この教科書の記述に一貫したものであって、この後の日本の戦争についての記述でも変わらない。
日本は欧米列強とちがうと言うつもりか、コラムを設けて「パリ講和会議で日本は、国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を盛りこもうという画期的な提案」を行ったと紹介している。
当時から朝鮮、中国、アジア諸国民に対する激しい蔑視、差別をもって戦争を続けていた事実には触れない、こうした書き方の教科書で学べば、中学生は歪んだ歴史観を抱くことまちがいない。



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育鵬社版歴史教科書を読んで  番外

2015年05月25日 | 憲法守るべし


からしだねさんには、期待していただきながらちょっと間隔があいています。ない知識でもって〝研究中〟ですので間が空きますが、これからも読んでいただけたら励みになります。よろしくお願いします。

この写真は、なんじゃもんじゃの花です。盛岡城跡の堀の上に大きく枝を拡げて満開の花をいっぱいつけています。風に揺れるその様はまるで一つの生き物のようです。
この木はなんじゃ?と名の知れぬ不思議な木を見た人々が言い合っているうちに「なんじゃもんじゃの木」となったそうですが、本名は「ひとつばたご」というそうです。

安倍首相がポツダム宣言をつまびらかに読んでいないと答弁して大問題になっていますが、本当にあの人はなんじゃもんじゃです。一国の総理大臣が戦後日本の出発点であるポツダム宣言を読んでいないと答えたのは、本当に読んでいないからなのか、それとも「間違った戦争」と絶対言いたくないので読んでないと逃げたのか、いずれにしても日本の総理大臣の資格なしです。


育鵬社の教科書が二つの世界大戦をどう描いているか調べている最中ですが、第5章の始めのページ(189ページ)は「二度の世界大戦と日本」と書いた下半分が「装備を取りつけている戦艦大和」の写真を掲げて大和建造の説明をし、イラストの三人の歴史案内役のキャラクターに「大和はもてる能力を十分に発揮できずに沈んだのね」「戦艦大和の建造は、当時の最高技術を導入した壮大なプロジェクトだった。この経験が、戦後の技術立国・日本につながっていくのだよ」などと語らせています。「巨大な戦艦ではなく航空戦が勝敗を分ける時代だったようだね」と気づかせるのが狙いというのでしょうが、戦艦大和の写真をここに載せるのは、自衛隊が子どもたちを戦車に乗せたり戦闘機と一緒に写真を写させるのと同じ効果を狙っていると思うのは考えすぎでしょうか。
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育鵬社版歴史教科書を読んで  その4の2

2015年05月21日 | 憲法守るべし
「新しい日本の歴史」は次に「国際的地位の向上と韓国併合」の見出しで次のように記述している。(176ページ)
注:1897年に「大朝鮮国」から「大韓帝国」と国名が変わった。

「(日露戦争の勝利で国民には)欧米列強と並ぶ国になったという安心感と自信が生まれました。また同じ有色民族が世界最大の陸軍国・ロシアを打ち破ったという事実は、列強の圧迫や、植民地支配の苦しみにあえいでいたアジア・アフリカの民族に、独立への希望を与えました。」

この後に、ネルーや孫文が日本の勝利に感動したこと、日本に留学性が多く来るようになったことなどをあげて、アジアの人々に民族独立の希望を与えたことを強調している。しかし、やがて彼らは、日本が欧米列強と変わらないことに気づき失望したことには全然触れていない。
そして、同じページで次に続く「韓国併合」は、日本による韓国の植民化であったが、武力を背景としながらも“合法的に”「併合」されたと受け取られるように説明している。

「日露戦争が始まると、日本は武力を背景に、韓国と日韓議定書を結びました。これは韓国の領土を他国(ロシア)から守るため、日本軍が韓国国内に展開することを認めるという内容のものでした。」
「その後、日韓協約に従って、日本が韓国の外交権を握ることになり、韓国統監府を置き初代統監として伊藤博文が赴任しました。やがて統監の権限は内政にまでおよぶことになりました。」
「1909(明治42)年、伊藤博文が満州で韓国人の安重根に暗殺される事件がおこりました。1910(明治43)年、政府は韓国併合に踏み切り、その統治のため朝鮮総督府を置きました。欧米列強にも、朝鮮半島の問題で日本に干渉する意図はありませんでした。」


日清戦争直前に、日本軍が朝鮮王宮を占領し、朝鮮国王を虜にして日本側につく約束をさせたこと、日清戦争直後には反日の中心にいた朝鮮王妃を日本公使が命じて暗殺したこと、韓国保護条約は伊藤博文と韓国駐在軍司令官が憲兵を引き連れて王宮に押し入り「調印」させたこと、併合条約も陸海軍を大規模に動員してソウルに戒厳令を敷いて「調印」したことなどには一切触れずに、韓国を守るため条約を結び、軍隊を駐留させ、外交を日本が代わって行うことにした。ところが暗殺事件が起きたので韓国を日本の領土に併合した。しかも、韓国の保護国化にも日韓併合にも列強の反対はなかったと説明しているのだ。

韓国を植民地にしたけれど「韓国のためにやったことで、何も問題なく行われた」と生徒が思うような書き方ではないだろうか。しかも、「朝鮮をめぐる日清の対立」では、朝鮮がロシアなど欧米列強の勢力下に置かれれば日本の安全がおびやかされると説明していることは前に紹介した。

日本の安全保障のためならば、他国の独立を奪い支配することが許されるという説明だ。この教科書でそう学んだ生徒がおとなになって日本国の主権者になるのだ。




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育鵬社版歴史教科書を読んで  その4

2015年05月18日 | 憲法守るべし
盛岡市材木町イーハトーヴ通りの「賢治のセロ」

5月17日は良いニュースが二つ。一つは沖縄県で辺野古に新基地をつくらせない県民大集会が行われた。35000人もの人々が野球場を埋めつくした写真は県民大会の名にふさわしい圧倒的な迫力で見る者に連帯を訴えている。
もう一つは、大阪都構想反対多数。憲法改悪連合勢力に痛打を与えた。


育鵬社版「新しい日本の歴史」は、「ロシアとの激突・日露戦争」との題をつけて記述している。その要点を抜粋すると次のようになる。

満州に勢力をのばそうとするロシアは、ドイツ、フランスを誘い遼東半島を清に返すよう圧力を加えました。三国に対抗する力を持たないわが国はこれに従わざるを得ませんでした。・・・我が国は「臥薪嘗胆」を合言葉に、国民が一丸となってロシアに対抗できる国力と軍事力を備えようとしました。・・・(義和団事件の後)ロシアはこの機会に満州に大軍を送り込みました。・・・ロシアの極東での軍備増強をこのまま黙認すれば、わが国の存立の危機を迎えると考えた政府は開戦を決意し、1904年2月、日露戦争が始まりました。


「三国干渉」と「義和団事件」それぞれの後に満州や朝鮮にロシアが勢力を拡大したので戦争になった。日本が手に入れた遼東半島などを返還せざるを得なかった、ロシアなどが奪って自分のものにした、悔しさを我慢して国民みんなが耐えてロシアに対抗したのが日露戦争である。ロシアのせいで戦争になった、しかも国家存立の危機を避けるための戦争だったとなれば、やむを得ずやった戦争ということになる。これは一面的な見方だと思う。

日露戦争は、日本とロシアが朝鮮、満州支配をめぐって中国と朝鮮を戦場にして戦った帝国主義戦争であった。「一等国の条件は植民地を持っていること」として帝国主義国の仲間入りを目指した戦争だった。ところが、「新しい日本の歴史」には帝国主義についての説明は見当たらない。
また、日露戦争時には、多くの国民が戦争を支持した中で、初めて公然と反戦運動がおこった。他の教科書は与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」などを取り上げているが、育鵬社版は「国民が一丸となって」としか書いていない。
それだけではない。小村寿太郎、金子堅太郎、高橋是清、明石元二郎などの活躍、努力について1ページ以上のコラムを設けて解説している。ほかにも東郷平八郎、秋山真之、乃木希典など軍人を絵や写真でとりあげて礼賛している。


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育鵬社版歴史教科書を読んで  その3

2015年05月17日 | 憲法守るべし
日清戦争は近代日本が初めて行った外国との戦争である。

育鵬社版「新しい日本の歴史」は日清戦争を次のように説明している。
「わが国は日朝修好条規で朝鮮を独立国とみなす一方、清国は朝鮮を自らの属国とみなしていました。・・・」(170ページ)と書きはじめて「朝鮮をめぐる日清の対立」を説明した後、「日清戦争の始まり」を次のように書いている。
1894(明治15)年、朝鮮で政府や外国勢力に反対する大規模な農民の暴動が起きました(甲午農民戦争、東学党の乱)。清は朝鮮の求めに応じて「属国を保護する」という理由で出兵しましたが、これを認めないわが国も、清との取り決めに基づいて出兵したため両軍は衝突し日清戦争がはじまりました。


甲午農民戦争が起きて清国が出兵したので日本も出兵して戦争になったという説明では、なぜ日本は出兵しなければならなかったのか、この戦争の本当の原因はなにかよく分からない。中学生には理解できないということなのか、知る必要がないためなのか、「台湾出兵」の説明と同様にたまたま事件があって戦争になったという書き方である。

日本が出兵した目的、本当の原因は書き出しの部分「清は朝鮮を属国とみなした」ことに関係する。日本が準備をして機会を狙って出兵、そして戦争したのであって、たまたまではない。

当時の外交官中田敬義は「いつかは朝鮮問題は片付けてしまわなければならぬ。日本は独立国として見て居るし、支那は自分の属国として扱って居るのであって、これはことごとに衝突を繰り返すのみであり、また日本人の在留民もしだいに多くなり、・・・・朝鮮自身においても日本党もあれば反日党もある有様なので、どうしても朝鮮と支那との関係を断ち独立国として朝鮮が自由に自分のことをするようにし、・・・・何時か朝鮮問題は断固たる解決を付けなければならぬということはおそらく日本政府内では早くから考えて居ったことであろうと思う。・・東学党の乱が起こってこのときこそ幸いである・・・これでやってしまおうと決めたわけである。」と後に語っている資料を吉岡吉典氏は著書で紹介している。(「史実が示す日本の侵略と歴史教科書」)





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育鵬社版歴史教科書を読んで  その2のつづき

2015年05月14日 | 憲法守るべし
「新しい日本の歴史」は、「天皇は実際には政治的権限を行使することはなく」と解説をした隣のページ(167ページ)に、大日本帝国憲法の主な条文「天皇は統治権を総攬する」、「天皇は(帝国議会の協賛をもって)立法権を行う」、「天皇は陸海軍を統帥する」、「国務大臣は天皇を輔弼する」、「司法権は天皇の名において裁判所が行う」、などを載せている。
条文と解説がこんなに違っていても又、〝実際に〟も天皇は専制君主であったにもかかわらず検定に合格する。信頼できない検定制度である。

帝国憲法によって「国民は法律の範囲内で言論や集会、信仰などさまざまな自由が保障されるとともに、納税、徴兵などの義務も負いました。」と、まるで国民は自由であったと受け取られる記述もある。(166ページ)
法律によって自由が奪われたのが事実なのにそうは書かない。

教育勅語については「親への孝行や友人どうしの信義、法を重んじることの大切さなどを説きました。また、国民の務めとして、それぞれの立場で国や社会のためにつくすべきことなどを示し、」と下村文科大臣など教育勅語礼賛者が言うのと同じ書き方である。
事実は、それぞれの立場など全く無視して、忠君愛国の滅私奉公、死ぬことまで強いて、絶え間なく戦争を続けた国家を支えたのが教育勅語の〝おしえ〟であった。



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育鵬社版歴史教科書を読んで  その2

2015年05月13日 | 憲法守るべし
近代日本が最初に海外に出兵した「台湾出兵」を教科書(「新しい日本の歴史」育鵬社)は次のように書いている。(156ページ)

「台湾に漂着した琉球島民が、台湾人に殺害されるという事件が起こりました。清は、台湾での事件には責任を負えないという態度だったため、わが国は台湾に出兵しました。」

台湾に漂着した漁民が殺害されたことは事実だが、なぜ出兵したかについて、清国の態度が理由であるとする書き方で、生徒は「清が悪かったから軍隊を出した」と思い込むような書き方だ。
相手のせいで戦争になったというこの教科書の(筆者や推奨する者たちの)歴史認識にもとづいている。

吉田松陰、橋本佐内など幕末維新の志士たちは、海外の事情を探求し復古の思想(日本精神)に照らし合わせながら対外発展の想いを強くしていた。明治政府の指導者たちは、西欧の文明を取り入れて近代化を図るとともに、早くからアジアへの侵略を図ろうとしていた。このことは、西郷隆盛らと大久保利通らが政府内で征韓論をめぐって対立したが、いずれも〝朝鮮を討つ″ことでは同じ思いだったことからも分かる。
台湾出兵は、たまたま起こったことではない。「清の態度」だけが原因でもない。
当時の指導者たちの中に、台湾を「皇国の南門」とし、朝鮮を勢力下におき、清国を包囲・東洋を制してロシアの侵出を抑えるという構想があった。「台湾出兵」はこの動きの中の一つの「事件」であった。


大日本帝国憲法についても「新しい日本の歴史」は、私には異常と思われる解説をしている。(166ページ)

「天皇は、実際には政治的権限を行使することはなく、国家統治の精神的よりどころだった。実際の政治は各大臣(内閣)と憲法に規定のない元老とよばれる政治家たちが行った。」


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育鵬社版歴史教科書を読んで  その1

2015年05月12日 | 憲法守るべし
今年は、来年度から中学校で使用する教科書を決める年だ。どの教科書を採択するかは私立と国立の中学校の分を除き教育委員会が決めることになっている。安倍首相と自民党などは、育鵬社(産経新聞の子会社)のものなどを採択させようといろいろやっている。憲法改悪・海外で戦争する国づくりと一体に、教育を支配しようと「国」を挙げて攻勢をかけている。首長や議員を憲法改悪を促進することを目指す日本会議などの運動の地方組織に取り込んでいるのもその一つ。岩手県内で、育鵬社や自由社などの教科書を使用している学校はないが、安倍政権の暴走政治の下では油断することができない。


育鵬社の中学社会「新しい日本の歴史」を子どもたちに手渡してならないのは、一口に言うと日本が行った戦争をやむに已まれない自存自衛の戦争であったというふうに教えようとする教科書で、侵略戦争の反省の上に戦後日本があることを基に歴史を学び考えることを「自虐史観」と攻撃する者たちの手によって作られた教科書だからだ。子どもたちに日本国憲法の否定、戦後の国際秩序の否定につながる見方、考え方を公教育を通じて教えることは許されない。
自分なりのこの教科書を採択させたくないわけを、現在出回っている(今度出てくるものは改訂版)育鵬社教科書の近現代の部分を読んだ感想として書いておこうと思う。

第4章「近代日本と世界」は「欧米の市民革命・産業革命」から始まっているが、いわゆる啓蒙思想やその思想家については全く触れられていないのがこの教科書の特色だ。

「イギリスでは法を守らない国王を議会が追放して新しい国王をむかえ、国民の権利や議会の権限を認めさせる権利章典を採択し、これ以後立憲君主制が確立した。」くらいの説明だ。アメリカ、フランスの革命についても同様で、市民革命の「市民」とはどんな人々で、どんな思想の下に国王を追放する“決意”を固めたのかは不明だ。
近代民主主義とその誕生の基本的なところはしっかりと子どもたちに伝えたいと思う。

しかし、こうしたことを挙げていくときりがなくなるので、以後は主に日本の朝鮮、中国への侵略に関係する部分に注目して気づいたところをあげていくことにする。近代における中國(清)や朝鮮との関係についての記述は「明治初期の外交と国境の画定」(156ページ)が始まりである。

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