広東語があまりできないってのは、不便だけどある意味便利なこともある。
家族づきあいでも親戚づきあいでもどこでも、どうでもいいというか話したくないときは
「私わかりませーーん」
で済むからだ。
実は聞いてて理解しているんだが、
「私わかりませーーーん」
で通してしまう場合も多い。
こどもが勉強でわからないと聞いてくるときも、堂々と
「私にわかるわけないじゃないの。パパに聞きなさいパパに」と言ってしまう。(ダメ母だねえ)
子供には「絶対に広東語と日本語を混ぜて話すな」というくせに、私自身は義父母にもお手伝いさんにもばんばん日本語を混ぜてしゃべる。
たった2年でお手伝いさんは母と子の日常会話の日本語のヒヤリングには一切不自由しなくなった。
おかげでこどもがお手伝いさんに日本語で話しかけるので英語の練習にならないのだが。
義父もカタコト日本語をしゃべる(?)くらいになった。
元々勉強熱心な義父は、一生懸命日本語の意味を聞いてくるので覚えが早い。
しかし、突然人前で大声で「あーーそうですかーーーー!!!」などと叫ばれるとかなり恥ずかしい。
夕食の食卓など家族での会話の時は、夫と私は英語で話す。
夫とこどもは広東語、私とこどもは日本語。
とりあえず簡単な会話だったら私も広東語が理解できるし、夫も日本語わかってると思う。
だからそれぞれが違う言葉をしゃべっているのに会話が成り立っている。
こういうの傍から見たら面白いんだろうなあ。
うちと同じような境遇の家庭では結構こういうパターン多いんじゃないかな。
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家族づきあいでも親戚づきあいでもどこでも、どうでもいいというか話したくないときは
「私わかりませーーん」
で済むからだ。
実は聞いてて理解しているんだが、
「私わかりませーーーん」
で通してしまう場合も多い。
こどもが勉強でわからないと聞いてくるときも、堂々と
「私にわかるわけないじゃないの。パパに聞きなさいパパに」と言ってしまう。(ダメ母だねえ)
子供には「絶対に広東語と日本語を混ぜて話すな」というくせに、私自身は義父母にもお手伝いさんにもばんばん日本語を混ぜてしゃべる。
たった2年でお手伝いさんは母と子の日常会話の日本語のヒヤリングには一切不自由しなくなった。
おかげでこどもがお手伝いさんに日本語で話しかけるので英語の練習にならないのだが。
義父もカタコト日本語をしゃべる(?)くらいになった。
元々勉強熱心な義父は、一生懸命日本語の意味を聞いてくるので覚えが早い。
しかし、突然人前で大声で「あーーそうですかーーーー!!!」などと叫ばれるとかなり恥ずかしい。
夕食の食卓など家族での会話の時は、夫と私は英語で話す。
夫とこどもは広東語、私とこどもは日本語。
とりあえず簡単な会話だったら私も広東語が理解できるし、夫も日本語わかってると思う。
だからそれぞれが違う言葉をしゃべっているのに会話が成り立っている。
こういうの傍から見たら面白いんだろうなあ。
うちと同じような境遇の家庭では結構こういうパターン多いんじゃないかな。
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