りんりんブロ具

更新は不定期です。書きたくなったらぼちぼち書きます。

広東語…。

2006-03-07 | 香港…
広東語があまりできないってのは、不便だけどある意味便利なこともある。
家族づきあいでも親戚づきあいでもどこでも、どうでもいいというか話したくないときは
「私わかりませーーん」
で済むからだ。
実は聞いてて理解しているんだが、
「私わかりませーーーん」
で通してしまう場合も多い。

こどもが勉強でわからないと聞いてくるときも、堂々と
「私にわかるわけないじゃないの。パパに聞きなさいパパに」と言ってしまう。(ダメ母だねえ)

子供には「絶対に広東語と日本語を混ぜて話すな」というくせに、私自身は義父母にもお手伝いさんにもばんばん日本語を混ぜてしゃべる。
たった2年でお手伝いさんは母と子の日常会話の日本語のヒヤリングには一切不自由しなくなった。
おかげでこどもがお手伝いさんに日本語で話しかけるので英語の練習にならないのだが。
義父もカタコト日本語をしゃべる(?)くらいになった。
元々勉強熱心な義父は、一生懸命日本語の意味を聞いてくるので覚えが早い。
しかし、突然人前で大声で「あーーそうですかーーーー!!!」などと叫ばれるとかなり恥ずかしい。

夕食の食卓など家族での会話の時は、夫と私は英語で話す。
夫とこどもは広東語、私とこどもは日本語。
とりあえず簡単な会話だったら私も広東語が理解できるし、夫も日本語わかってると思う。
だからそれぞれが違う言葉をしゃべっているのに会話が成り立っている。
こういうの傍から見たら面白いんだろうなあ。
うちと同じような境遇の家庭では結構こういうパターン多いんじゃないかな。

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こどもとベジタリアン

2006-03-07 | ベジタリアン
夫婦で菜食になったことで、いろいろ考えたのがこどもの食生活のこと。

私たちは別に主義主張があって菜食になったわけではないのだが、いざなってみると動物愛護的な考えも自然に湧いてくる。
切り刻まれた肉片を見て「痛み」を感じるようになったくらいだからそれは自然なことだと思う。

もちろん他の人に菜食を強要したりすすめたりする気持ちはさらさらない。
ブロ具で書いているのは、私の状態や気持ちの発表だけのつもりだ。
それを見た人が何を感じてもそれは人それぞれ。

しかし自分のこどもに対してはどうだろう。
毎日の食卓に上がらなかったらこどもはそれを当たり前として受け入れるだろう。
でもそれは親の勝手ではないか。「押しつけ」になってはいないかと思った時期もあった。

本能的に親はこどもに「身体に悪いものはなるべく減らして、身体にいいものを食べてもらいたい」と思っているはず。
だから普通の親は「甘い物は食べ過ぎるな」だの、「野菜をもっと食べろ」だのいう訳だ。
となると今では「肉は身体によくないもの」という認識の私が、「できれば食べてもらいたくない」と思うのは普通だよね?
という訳で今は自然体で行こうと思っている。

ありがたいことに香港のたいていの小学校は給食(というかいわば仕出弁当)かお弁当か選べるので、こどもはお弁当を持っていっている。
それでも一応確認の為に、先生に「うちは菜食なので、こどもも弁当は素食です」と伝えてある。
嬉しいのはそれがごく普通に受け入れられること。
日本だったらきっと不思議な顔をされるだろう。

まあとりあえず最初のうちは家でも子供用にハム、ソーセージは食卓に出していた。
外でもこどもが望めば肉料理を別に頼んでいた。
もちろん喜んで食べていたが、不思議なことにこどもも年々変わってきた。
あるとき日系レストランでハンバーグステーキを食べた後、気持ち悪いといって吐いた。
それからは一切肉料理を食べると言わなくなった。
肉、魚介類入りの料理はそれらを抜いて調理してもらう。
唯一の例外がマックのソーセージマフィンで、ついこの間まで食べていたが、ちょっと前からそれも欲しいと言わなくなった。
今もマックには行くがオーダーするのは「ハム抜きのエッグマフィン」。

先日、たまたま知ったサイトの画像をこどもと見て、つい一緒に泣いてしまった。
これ
それ以来、KFCの前を通るたび、こどもは「わたしは、ここではぜったいにぜったいに食べない」と言うようになった。
いちどその時、「でもね、くちばし切っちゃうのも投げられちゃうのもかわいそうだけど、それよりもっと痛くてかわいそうなのは、殺されて食べられちゃうことだと思うんだけど。あなたが食べるマックのソーセージだってハムだって、元は牛や豚さんだよ」って言ったことがあった。(こどもには一番最後の部分は見せていない)
もしかしたらその影響かなあ。マックで食べなくなったのは。

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