( 8½ )(22)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-01-27 | バーチャルリアリティ解説
 Number22 / 分家テーマパーク(TDL)の開発思想 物販の促す再訪
                          【( 8½ )総目次
 「よすが」は VRの リピーターを増やします   VR之極意:①-2-1

 VR奥儀皆伝( 8½ )の(21)では、「入場料・飲食・物販」が 東京ディズニーランド(TDL、1983年)で最重要視されている理由を考察しました。飲食物販(「思い出のよすが」)も、大規模イベントのリピーター獲得のためには 絶対に必要な要素でした。
 (文系、理系を問わず)国際学会でも「懇親会と印刷物」は欠かせません。これは、おそらく結婚式の「披露宴・引き出物」と同じ、あるいは 神社の「神饌の直会・お守り」などと同じ目的で供されるもので、所属する共同体の結束を固め、次の祭祀にリピーターを確保することを目的としています。

 【 VR奥儀皆伝( 8½ )の(20)EPCOT への追記 】

 ところで、VR奥儀皆伝( 8½ )の(20)では、私たちは ウォルトの頭の中に分け入って、
   ①-3 「EPCOTの開発目的
について、DL以外のテーマパークの設計思想として EPCOTを考察しました。


 フロリダの EPCOT Centerが、当初の構想では 直ぐ隣のマジック・キングダムとは「別のテーマパークだった」と私が考えている理由を述べておきます。それは、EPCOTが元は WDWのマジック・キングダムまで通勤する人たちの居住区として計画されていたことが理由でした。
 原則として、ですが、WDWのマジック・キングダムには「ディズニー映画」あるいは、ディズニー・グループ会社の配給した映画から「本歌取り」したアトラクションがテーマゾーンに配置されています。
(原則としては、です。)しかし、EPCOTの原点は 1939年の NY万国博にあったシンボル建築や パビリオンでした。そして、そこに バックミンスター・フラーの『宇宙船地球号』の思想に基づく脚色が加えられたことを前に説明しました。
 計画では、EPCOTには地下二階の私道と地下一階の巨大駐車場ができる筈だったのですが、WDWがフロリダの沼地に建てられたことが災いして 計画通りのトンネルが掘れず、兄のロイが「近未来のエコシティ」の都市計画を やむなく断念した、という経緯も分かりました。(1966年にウォルトが元の構想を詳しくビデオで語っていた事で それが分かりました。)ところで、この断念が逆の意味で興味深い現象を生みました。 未来の生活実験都市になることをあきらめた EPCOTには、NY万国博が「世界のパビリオン」が林立して多民族の融和を示したテーマパークでもあった、という趣が より強く表に出てきたのです。
 今回、ネット上に「1982年のEPCOTの記念冊子」(思い出のよすが、です)が見つかったので、その頁を少し転載させて頂くことにしました。


 画像借用元: Revisiting Epcot Center on its 30th Birthday | History | Smithsonian Magazine
 1982 EPCOT Center Opening Day Booklet 1982 EPCOT Center Opening Day Booklet - ID: novdisneyland17067 | Van Eaton Galleries (vegalleries.com)
 AD 
Retro Ad of the Week: Epcot Center, 1982 (mascola.com)

 ちなみに、フロリダのEPCOTのワールド・ショーケースには、アメリカン・アドベンチャー、カナダ館、中国館、フランス館、ドイツ館、イタリア館、日本館、メキシコ館、イギリス館 (後の追加で モロッコ館と ノルウェー館)が造られています。しかし、上の写真を見て、EPCOT「ワールド・ショーケース」って、舞浜の「ディズニーシー」の元ネタではないのかな?と思った方も多いと思います。正解です。しかしです。「ディズニーシー」には、二つの源流がありました。その一つは、確かに「ワールド・ショーケース」で、ここは NY万国博の各国のパビリオンをモデルに造られた施設です。そして、もう一つの源流がデンマークの「チボリ公園」でした。これは有名な話で、Tivoli Gardensの ホームページには、ウォルトが 1951年以降に 何度か そこを訪れたのが「顔バレ」しているので、(ウォルトからの言及はないのですが)DLが、その雰囲気を参考にしている( Walt Disney paid several visits to Tivoli, where he was fascinated by the mood and atmosphere. Disney was keen to copy the Tivoli ambience,…)と書かれています。

 ここで 多少正確に「ディズニー・シー」というテーマパークのデザインの「源流」や影響を探すという意味での社会科学な議論をしておきますと、
   「ディズニー・シー」= EPCOTのWorld Showcase ← NY万国博の世界民族のパビリオン
             = 「チボリ公園」 ← パリ・ウィーンなどの万国博の世界民族のパビリオン

ではなかったでしょうか。
 デンマークの「チボリ公園」は(アンデルセンも童話の構想を練るために訪れた公園だそうですが)「万国博」を呼べない小国が「万国博の世界のパビリオン」(のような建物)を並べたショーケースのような施設でした。しかし、民族文化の紹介に重きを置いている EPCOTの World Showcase よりも自由に、建物の珍しさとかに「見た目のほうが重視された」遊園施設という性格でした。「シー」の建物も、世界の建築文化を正確に伝えるというよりも「世界の多様な民族文化を発見することの驚き」(「いよー国が見えたぞ」)を表わしたものだったのではないでしょうか。「チボリ公園」の分析は、また後にも紹介する予定です。


 画像借用元:https://wondertrip.jp/91319/

 【 VR奥儀皆伝( 8½ )の(20)EPCOT への追記 】ここまで

 ということで、以上の考察(追記)の結果、ここからの議論では次の二つを分けて考えることに決めました。
 A)EPCOTの World Showcase や「チボリ公園」のような日帰り施設。
 B)EPCOTのフューチャーワールドに 本来 計画されていた、宿泊・生活施設。(マンション・ホテル・商店街の複合体。)

 私だけでなく多くの人が、VR製品は「多くの観客」に体験され、また「一人の観客に何度も」体験されることで洗練される人工物である、ことを知っていますから、ここではテーマパーク(や万国博覧会)ような日帰り施設の リピーター獲得の工夫が参考になると考えて分析しています。稲元章博さんの近著には、テーマパークのリピーター獲得の工夫は「2年に1度のアトラクションの増改築」「飲食・物販」に尽きることが詳説され、その具体的なノウハウも記されています。
 今回も引き続き ①-2 TDL固有の運営思想の「物販」の深堀りです。前回(21)には、稲元さんの「お土産は『売れるのが当たり前』なのであって、売れないのは、物販システムの『どこかが、狂っている』ということです」という名言をご紹介しました。


 画像借用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%9D%91#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Meijimurabunkazai15.JPG
 稲元さんの近著は、最初は、犬山市の『博物館 明治村』の経営を支援するために執筆されました。

 【ここから引用】(出典:稲元章博さんの近著)

■ Part.壱:「物販収入」について

 (4)商品構成

 先に述べたように、レジャー施設でお土産が売れるのは(略)錯覚を利用しているからです。家に帰れば必要なモノはすべて揃っており、施設で売っているお土産は、生活必需品ではないのですから、冷静に考えれば、わざわざ買うまでもないモノたちです。ですから どういう商品を販売するか、という商品開発力が重要となります。闇雲にラインナップを充実させると、品揃えが豊かで何でも売っているけれど、欲しいモノが売っていない、というお店になりやすいのです。
 さて、お土産には2種類があります。自分のために記念として買うモノと、他人へのお土産で買うモノの2種類です。一般的な傾向として、自分のために買うモノ は高額で、グッズが中心になり、他人のために買うモノ は低額で、食品やステーショナリーが中心になります。(略)
 いずれにしても、お土産は出来るだけオリジナルな商品を揃えて、しかもその施設以外では販売していないモノを販売することが必要です。

 観光地のお土産には、俗に「プリントもの」と言われるグッズや食品があり、グッズの場合は共通の金型を作って生産したモノに 各地の地名や 施設名だけ変えて印刷したり、食品の場合は、装紙のデザインだけ変えて、あたかもオリジナル商品のように見せかけているものがあります。しかし、消費者の目は肥えており、そうした大量生産のグッズが売れる時代では、最早ありません。施設名を強調するだけの意味のないグッズは、論外です。それでは、どういったオリジナル商品を開発すれば売れるのでしょう。
 商品は、「来場者の感動」に兆して販売するモノであることを、先ほど説明しました。
 ということは、あくまでも その施設のコンセプトやテーマと一体化したモノであることが必要で、その施設からの「メッセージ」を形にして持ち帰って貰う「ノベルティ」でもあるわけです。つまり、「物販」というのは、施設のPR・普及活動の一翼を担っているのです。とはいえ、すべてオリジナルの商品ばかりを開発することもまた、現実問題としては不可能です。
 そこで、原点に戻って突き詰めてみると、お客様が商品を買う要素というのは、情報の「付加価値部分」だけです。極論すれば、商品に求められているのは、何故、この商品をこの施設で販売しているのか、という「意味」だけです。ですから、どんな商品であっても、既存のグッズであるかオリジナルグッズであるかにも関係なく「関連付け」や「理由付け」がキチンと出来てさえいれば、その施設のオリジナルなグッズになり得るのです。
 北原照久氏が、1986年に「ブリキのおもちゃ博物館」をオープンさせた時のエピソードですが、当時の横浜元町にあった無印良品で買ったポロシャツに、博物館オリジナルの「刺繍ワッペン」を縫いつけたモノが飛ぶように売れて、大儲けしたそうです。冷静に考えれば、無印良品で千数百円で販売しているシャツにワッペンをつけただけの商品が、三千円近い金額で売れるわけがありません。そこがまた、ミュージアムグッズのマジックということなのです。
 ところで、商品の開発モチーフは様々です。ミュージアムグッズの場合、昔は建物や所蔵物のレプリカが主流だったのですが、現在は所蔵品の一部をモチーフに使った商品が増えてきました。例えば、有名な肖像画の人物が身につけている「アクセサリー」を商品化したモノであるとか、有名な絵画の一部を切り取ってデザイン化した意匠など、種々多様にあります。商品は本当に何でも有りで、テーマやコンセプトと整合性さえ取れていれば、ホテルのアメニティ・グッズのような商品群を一通り揃えてみても構いません。ギフトショップで販売されているモノは全て商品化を検討する必要があり、欧米ではクリスマスシーズンが近づくと、ミュージアムショップの中はクリスマス・ギフトを買うお客様でいっぱいになるそうです。
 博物館明治村の場合、正統派のグッズは、フランク・ロイド・ライトが設計した「帝国ホテル中央玄関」のデザインをモチーフにしたグッズでしょう。海外のミュージアム、例えば、ニューヨーク近代美術館の MoMA STOREでも、ライトが帝国ホテルのためにデザインした陶磁器(「ノリタケ」の復刻によるもの)が実際に販売されています。
 変化球としては、明治時代メモリー(明治時代の変遷を、定規の特性を活かして年表風にしたもの。定規の目盛りが、明治時代の出来事に対応しているオリジナル定規)のような、施設のコンセプトを活かしたグッズなども考えられます。
 いずれの場合でも、施設名称はグッズに全く入れないか、さりげなく入れるのがポイントです。施設名が目立つと実用品として使いにくいからであり、デザインのセンスが問われます。

 さて、欧米の美術館では、マーチャンダイジングを専門に行なう商品開発担当者を置いている例も珍しくありません。MoMA、メトロポリタン美術館などには、ミュージアムグッズを専門に開発するプロジェクトチームがあって、そこで開発されたものは キュレーターが最終的にチェックして発売されます。そうした開発により、売れるもの、美術館のイメージを高めるものがショップに並ぶのです。その収益は、美術館の運営費として重要な位置を占めています。ですからグッズの海外への売り込みにも積極的ですし、より多くの収益を得るための努力もされています。このような欧米なみのミュージアムグッズの開発と販売が出来れば正に理想なのですが、日本ではまだ現実的ではないのでしょう。
 実際のところは、施設の側に商品開発管理を担当する窓口プロデューサーを置くことだけで、ほとんどの作業は外部業者に委託されて行なわれているのです。(略)
 しかし、高品質なグッズを作るためであれば、例えば、タカチホのようなお土産品の専門業者に丸投げをして任せるより、苦労はしますが担当者が主導権を握ってマーケティングを行ない、そのコンセプトを決めて商品を開発し、商品の生産部分だけを生産業者に頼む方が良いと思われます。その理由ですが、こうした商品の開発については、流通業界におけるナショナルブランド(NB)とプライベートブランド(PB)の関係にも似ているように思えるからです。(略)
 メトロポリタン美術館では、「The Metropolitan Museum of Art ショップ」として、世界にミュージアムショップを展開しており、三越や松屋などの百貨店にもそのコーナーがあります。ミュージアムグッズを施設外で販売することは、同時にアンテナショップとPRを兼ねた営業店舗を展開することでもあるのです。(略)
 なお、商品だけでなく、それを買った時に包む包装も重要です。お土産として買った商品が、スーパーマーケットのような薄手のビニル袋に入れて渡されたら興ざめです。無料である包装紙や手提げ袋もミュージアムグッズの一つだと考えて、高級感にあふれるデザインにするべきでしょう。それはブランド育成にもつながります。

 【引用ここまで】(出典:稲元章博さんの近著)

 □■□■□■□■□■□■□■□■

 稲元さんの文章には、含蓄があって素敵です。初めて出会った頃、日本の ある有名なテーマパークで 年間20数億円の広告予算を宣伝につかっておられた責任者でしたから、何がリピーターの獲得に効果があるのか(あるいは、無いのか)を身体で知っておられます。
 稲元さんの文章を読んでいなければ、私もフローレンス・ナイチンゲールの伝記を読んだとき 1858年の「ヴィクトリア女王の勅撰委員会報告書」付録第72を抜き刷りの小冊子にして配布した彼女の意図を誤解していたかも知れません。彼女の小冊子は、「統計学には素人」のヴィクトリア女王と その周囲の政治家たちを動かすためのものでした。クリミア戦争の 陸軍病院では負傷が原因で死亡する患者の数より 伝染病による死亡が はるかに多いことに気付いたナイチンゲールは、「兵隊のベッドの密集がロンドンの最貧街よりひどいことで、衛生状態の悪さに感染症が加わると ひとたまりもない」事実を 統計学の「数理モデル」を使って可視化することによって、女王たちに分かり易く示して見せたのです。
 ですから、秋葉原のPC販社、ドスパラ社の本店が200年昔にタイムスリップして、VR開発用パソコンが何かの偶然でナイチンゲールの知るところになっていたら、ビクトリア女王は HMDや CAVE型のVR表示装置によって「陸軍病院」の改善策 を CGを使ったシミュレーション映像で(没入感を感じながら)分かりやすく説明されていたでしょう。また、
 ドスパラ社の本店が100年昔にタイムスリップして、VR開発用パソコンが何かの偶然でウォルトの知るところになっていたら、ウォルトは1937年の世界初の長編アニメーション映画『白雪姫』をもっと(アニメの『美女と野獣』のCG場面のように)視点移動を使って演出していたかも知れませんし、EPCOTの構想も 間違いなく 3DのCG映像 で分かり易く解説していたことでしょう。HMDや CAVE型のVR装置を使えば、その居住区での一日の生活を EPCOTの住民に密着して「体験」することも簡単です。それで、ウォルトと兄ロイの両方が亡くなった後でも、会社が そのCG映像から二人の意図を正しく汲んで 21世紀の技術で EPCOTがもっと未来的、持続可能な姿で発展を続けられるような形で 計画がスタートしていたかも知れません。。。 どうして、そう言えると思いますか。

 これは、後でまた詳しく述べますが 「3D CGで映像化する」こと、あるいは、数理モデルによるシミュレーションを CG動画にする こと、には「専門家の議論に、素人にも利害関係者として参加して積極的に議論に加わって貰うことができる」という画期的な側面があるからです。ナイチンゲールとヴィクトリア女王の関係が、正に そういう関係でした。例えば、国際協力の学術研究プログラムで、地球観測衛星から得られたデータを国際間の温暖化防止などに利用する際の「取り扱い基準」の策定などでは「利害関係者としての一般住民」に対するアウトリーチ(研究内容の説明)が強く要請されています。VRによる(関係の)可視化が、最も得意な分野ですね。テーマパーク学の「物販」が教えている効果 というのは、テーマパークが 物販の効果でリピーターを増やしているように、VRの用いている3D CGという手法が 最先端科学などへの 住民(ステークホルダー)の理解を促し、その実績から 更に VR研究への期待か高まる という循環を生むのです。

 □■□■□■□■□■□■□■□■


 画像借用元:https://ameblo.jp/punkflod/entry-12240724703.html

 もし、国際学会の展示や見学でアメリカに行くことが決まったら、1937年にウォルトの公開した『白雪姫』、1938年の ベニー・グッドマン楽団の伝説のカーネギーホール・コンサート(ラジオで生中継されていました)の特に Sing, Sing, Sing 、そして、1939年のオズの魔法使い』は、知っておくと年齢の高い米国人との会話に詰まりません。4年の歳月と170万ドルという当時の破格の巨費が投じられ、いくら作り方が丁寧でも絶対に採算に合わないとアニメ業界で予言された『白雪姫』は、手塚治虫さんも「劇場で50回は観た」という 場外満塁ホームラン級の大ヒット興行になりました。ディズニー・アニメは この作品で人気を確立したのですが、CG界の大先輩 株式会社白組の島村達雄氏も 1997年の岐阜の講演会で「『白雪姫』を観て、どこが優れているのか分からなかった人は、CGをやっても芽が出ません」と仰って下さったので、私は嬉しくなりました。
 『白雪姫』が大当たりしたのを見て、MGMは大慌てで 柳の下のどじょう狙いに『オズの…』を製作しました。傑作です。ジュディー・ガーランドの代表作なのですが、西の悪い魔女にトラウマを持つ米国人も多く、「トト、ここはカンザスじゃないみたいよ(Toto, I've got a feeling we're not in Kansas anymore.)」をスピーチに入れて笑いをとる講演者も多いです。米国人なら全員、観ています。私は、米国人の人格形成にかなりの影響があった映画だ と考えています。(S・I・ハヤカワという言語学者が、この映画ではありませんが ブルースの歌詞が米国人の心性に与えた影響を分析しています。)幼稚園では『オズの…』の歌を歌っています。
 アメリカのジャズ・ブームを受けて日本で作られたのが、マキノ正博(雅弘)監督の大傑作 シネオペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』おしどりうたがっせんです。ディック・ミネ、志村喬の歌が飛び切り上手いのです。1939年(昭和14年)の公開でした。カーネギーホール初のジャズ・コンサートの話は、また「資本主義の終焉」にからめてお話しする予定です。蓮實重彥 先生もジーン・クルーパー楽団の『ドラム・ブギ』の話で、仏文学の国際会議のとき米国人の座長と盛り上がったそうです。カーネギーホール・コンサートのドラムは ジーン・クルーパーでした。そして、『ドラム・ブギ』が演奏されたハワード・ホークス監督の1941年の傑作映画『教授と美女』は『白雪姫』のパロディです。)

VR奥儀皆伝( 8½ )(21)分家テーマパーク(TDL)の開発思想 「入場料」「飲食」「物販」の売上が3分の1ずつ こちら

( 8½ )(9)「暫定総目次

VR奥儀皆伝( 8½ )(23)に続きます。→ こちら