( 8½ )(23)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-02-08 | バーチャルリアリティ解説
 Number23 / パーク VRアトラクションを実作します 〈前編(基礎編)
                          【( 8½ )総目次
 『BODY WARS』の失敗 は 学びの宝庫   VR之極意:①-3

 〇『ボディ・ウォーズ』 "BODY WARS"

 今回は、ディズニーワールド(WDW)の エプコット・センター に 以前あった『ボディ・ウォーズ』BODY WARS)というライドを「アトラクションを開発する」という視点で 見学するところから話を始めます。(このアトラクションは 1989年に公開され、2007年に公開を終了しました。)これは 1966年の リチャード・フライシャー監督の名作SF映画『ミクロの決死圏』を原作にした体感劇場です。機材と建屋としては『スターツアーズ』と同じものが転用されました。

 最初に、1966年の名作 SF映画を ふり返っておきます。

 『ミクロの決死圏』(1966年公開)あらすじ

 「物質を 極小にミクロ化して、例えば、大量の軍隊をポケットに入れて移送し、敵国で元のサイズに戻せるような軍事技術が(冷戦下に)研究されていた。しかし、ミクロ化は 1時間が限界で、それを越えると元に戻ってしまう。アメリカは この限界を克服する技術を開発した東側の科学者を亡命させたのだが、敵側の襲撃を受けて、科学者は脳内出血を起こし意識不明となった。科学者の命を救うには、医療チームを乗せた潜航艇をミクロ化して体内に注入し、脳の内部から治療するしかない。はたしてタイムリミット内で、チームは任務を遂行して 体内から脱出できるのか。」(Wikiより)


 画像借用元:https://ameblo.jp/ayumu1964/entry-12316226191.html
 
https://www.youtube.com/watch?v=efdSjALggDs (映画の名場面集) ※ 必ず < 大画面 > で鑑賞して下さい。

 VR作品には その構成要素に「必ず」映画と同じ要素が含まれています。元の 映画 → 体感劇場に変更した際に「シナリオのどこが生かされた」などが、この作品では 分かりやすいので、例に挙げました。
 ここから、EPCOTの体感劇場作品(『BODY WARS』1989年公開) について 解説します。


 画像借用元:https://www.mouseplanet.com/10906/The_Story_of_Body_Wars 2007年に閉館。

 EPCOT版の体感劇場の)内容です。2063年に設立された「小型化探査技術 株式会社」(MET、Miniaturized Exploration Tech-nologies Corporation)という施設を見学にやって来た観客たちは(キューラインで)、ボランティア(施設の事業の協力者)として、あるミッションへの協力を要請されました。ボランティアの観客たちは、彼らが乗り込んだ 軍事用車両 Bravo229と一緒にミニチュア化されるのですが、その世界で、患者を治療中の 美人のシンシア・レア博士を手助けして、再び 無事に「実寸大」の世界まで戻って来て欲しい、と依頼されるのです。「嫌だ」という観客のためには、退出口が用意されています。
 ちなみに、レア博士は ラクエル・ウェルチさん そっくりのお化粧で、着席してからの体感劇場の映像では(映画版の 抗体に襲われる美女 という設定を真似て)「毛細血管に吸い込まれてパニックになった美女を救出する」というお約束の場面もありました。(映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のPart.2と3に出た エリザベス・シュー嬢が、困ったことに、まったく お色気を出さずに 演じました。)

 それでは、
 「Body Wars at The Wonders of Life Pavilion, Epcot Retired Ride Attraction POV」という動画が見つかりましたので、ここで アトラクションの内部の様子を 皆さんと ご一緒に、観てみようと思います。
 動画(14分半あります。)
https://www.youtube.com/watch?v=F5dfNEy-hMI(エプコットで上演されていた「生命の不思議」パビリオンのボディ・ウォーズというアトラクションの POV)
 ※ この動画を観れば、プロの開発者が、どの程度の 体感劇場のクオリティがあれば「テーマパークのアトラクションとして公開できる」と考えているのか、参考になると思います。
 ※ 建屋と 体感劇場の機構は、『スターツアーズ』を思い出して下さい。

 ※ 必ず32インチ以上の大画面で見て下さい。サブ画面が見えません。

 ところで、お金をたくさん掛けて造られたアトラクションなのに、なぜ 『BODY WARS』は、体感劇場開発の「業界」の人の評判が とても悪かったのでしょう。
 この作品の失敗は、先ず第一に 画面の中で「登場人物が感じているはずの揺動」を観客が共有できなかったこと。そして また、観客が 登場人物に「アバター自分の代理としての一体感」を持てないことが原因でした。この失敗は、典型的です。
 元の映画のフライシャー監督は、観客が 自分も縮小された乗組員の一人であると意識できる(錯覚する)ように視線を誘導しました。それで 映画館の観客は、自分も小さくなっているので、乱流や 抗体の攻撃からの危険を感じたのです。ところが、体感劇場版の 絵コンテでは、観客の視点が定まらず、そのために観客の視線と揺動は 大きくずれて 観客は没入( immersion )できませんでした。 その原因は、

 ☆ 体感劇場版を開発した人たちは、開発する前に 元の映画『ミクロの決死圏』を大きなスクリーンで観ていたので、映画中の人物に共感して、自分の身体が「小さくなった。周囲が大きくなった」という錯覚を 脳に予習(予感)させていました。
 ☆ しかし観客は 映画版を観ていないか、小スクリーンでした。
 ☆ 体感劇場版の開発者は、完成した作品に満足しました。しかし、

 映画『ミクロの決死圏』の世界に没入していない観客が、乗り物酔いになったのです。

 ですから、本来は プレショーで「丁寧に」ここが 小型化探査技術 の会社なのですから、「観客の あなたは ここで小さくされますよ」と何度も強調されるべきだったのです。しかし、『BODY WARS』のプレショーでは、劇場に着席するまでに、観客自身の身体のサイズが「小さくされる」ことを予感できる映像が、ほとんどありませんでした。それで、原寸大のままの観客は、縮小された人物のための揺動 を感じ、酔いました。


 画像借用元:https://www.tcm.com/video/1275531/fantastic-voyage-1966-an-ocean-of-life/

 機械論の科学では、事前に良く知られた「ひな形」 (例えば、15世紀の「教会の時計」など) が、装置の「サンプル」として あらかじめ存在しています。そのサンプル =「試作品」を「図面化・量産・改善・修理」するための技術が、F・ベーコンやデカルトの推奨した「機械論」の科学でした。つまり、『BODY WARS』の開発者は(「STAR TOURS」の建屋を使ったこともあって) 観客が 機械論的に「小人になった感覚」を共有しているはずだ、という前提で  体感劇場を作ってしまいました。

 IVRCなどの作品開発に例えると、昨年の学生チームが使ったメカニズムを転用した場合に、昨年の作品を観客が全員 体験している筈だと思い込んで、初見の体験者に説明不足の作品を作ってしまう間違いと同じだという事になります。
 ですから、もしそのVR作品が「触覚提示」を効果的に感じさせる作品であれば、初見の観客の視線を デモの最中に どこに誘導するか、あるいは、何を見せないようにすれば、「観客が その作品の世界観に没入できて」その結果、観客の意識が自然に触覚に誘導されるか を考える必要がありそうです。もしそれが「産業用VR展」であれば 部品だけ並べて、何に使えるかは「お客様」が考えて下さいという展示方法も許されますが、

 それは VR作品では、ありません

 それから、EPCOTはディズニーランドですので「過剰な」お色気は不要ですが、エリザベス・シュー嬢が、まったく色気無く 演出されていたことは、私は問題だと思います。アニメや SF映画は、1960年代は子供のための娯楽でした。ティム・バートン監督やクリストファー・ノーラン監督が 子供向けのバットマン映画に 1990年代から「大人でも びびる」社会批評を盛り込み始めましたが、『2001年 宇宙の旅』(1968年)以前のSF映画には、子供を連れて映画館で入場料を払ってくれた父親への「サービス場面」が 必ず 用意されました。大アマゾンの半魚人は、必ず 水着姿の美人を襲いました。『禁断の惑星』(1956年)のアン・フランシス嬢は、男性の前に超ミニの姿で登場しました。
 このことを フロイト博士は、「男性リビドー」(が 対象を探しているの)だと説明しました。実際に『禁断の惑星』(大画面で観て下さい)では、ご存じの通り 父親のリビドーが大変重要な働きをしています。それで、映画『ミクロの決死圏』では「男性のリビドー」に代わって 美女を襲ったのが「抗体」でしたので、ラクエル・ウェルチさんは、この映画が きっかけで 映画のエロチックな場面に歓迎されるようになったのですが、それも含めた全てが「映画作品」である筈でした。
 ですから、体感劇場のエリザベス・シュー嬢
は、殺人力を持つ「抗体」や毛細血管の吸引力に もっともっと必死になって抵抗する姿を(シナリオからの必然で)画面で大きくアピールして観客に見せるべきでした。
 それが、彼女の お芝居のリアリティ、だったのでは ないでしょうか。

 ※ 以前に、VR奥儀皆伝( 8½ )(7)で、「照明」「絵コンテ」「プレショー」の重要さを指摘しました。『BODY WARS』のプレショーでは「観客に自分が小さくなったと自覚してもらう」必要があった、と上に述べました。体感劇場の開発者は、エリザベス・シュー嬢が画面に大写しになって、照明が後ろから当てられ 緊迫感が感じられる」という風に、「メイデイ」(助けて!)の場面を絵コンテで、描いてみて下さい。

 なお、フェロー武田の「VRの構成要素図」では、体感劇場は上図のように表わされます。

 〇『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFR)


 画像借用元:https://www.reddit.com/r/universalstudios/comments/ctv37j/2007_back_to_the_future_the_ride_weeks_before_its/

 それでは ここから、失敗例ではなく、成功例を見てみましょう。
 ユニバーサル・スタジオから 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のライド版
(BTFR)の開発を依頼されたのが、ダグラス・トランブル氏でした。トランブル氏は 初めて「体感劇場」のコンセプトを着想して、その特許(大画面化による没入感など)も取得している「映像の魔術師」です。『2001年宇宙の旅』(1968年)『未知との遭遇』(1977年)『ブレードランナー』(1981年)で 彼の創った特撮場面については、皆さん全員が良くご存じのことでしょう。
 ※ 「体感劇場」が初披露されたのは、IAAPA'76 というパーク・アトラクションの国際展示会でした。

 ちなみに 彼の「映像の魔術師」という尊称は、彼が「自分たちのやっていることは、中世の魔術師 Wizard が やったことと同じだった気がする」と語ったのが理由です。私も 本Blog(2020年8月8日以降)で 中世の魔術師 Wiseman(賢者)は( 現在の CG製作と全く同様に)数理モデルによるシンボル操作を主に行なっていたことを 繰り返し論証していますので、トランブル氏の発言には 大いに勇気づけられました。
 なお、中世の魔法使いで、エリザベス・ハーレイ嬢を本当に呼び出そうとした人は おりません

 BTFR の撮影に際しては、映画版の主役 マイケル・J・フォックスさん が出演しないことに決まりました。それで、ライド版の主人公は「観客」です。観客たちがエメット・ブラウン博士(ドク)の研究室を見学している最中に、悪漢のビフがデロリアンを盗んで逃げたので、ドクが慌てて 観客たちを呼びに来ました。大変だ。デロリアンが盗まれた。君たちも一緒にデロリアンの試作機に乗り込んで悪漢を追ってくれたまえ。それで 観客たちが一斉に 8人乗り12台のライドに乗り込んで、冒険が始まりました。

 観客が主人公ですから、BTFRのスクリーン上の物語で 追いかけているデロリアンは 一台です。ドクの研究室から外に飛び出したデロリアンは、1989年公開の Part.2 の 華やかな「未来」世界
(設定では 2019年が舞台でした)を通り抜けて、「過去」に戻って恐竜に食べられそうになり、最後には「現在」の出発地だった USJのドクの研究室まで無事に戻って来たのです。
 このライドには、スピルバーグ監督が「世界最高のライドだ!」とお墨付きを与えています。数多くある テーマパークの Simulation Ride(Movie Ride)の中でも、間違いなく第一級の作品でした。

 ※ VRでなく、体感劇場ですから、観客はコンテンツの中身への関与はできません。

 大阪のユニバーサル・スタジオでは、2001年のパーク開館時から  BTFRが稼働しており、2016年に終了しました。(ニュースリリース) ところで、今回 珍しい「BACK TO THE FUTURE THE RIDE (Full Version) Universal Studios Japan」という ファンによる上手に編修された映像が見つかりましたので、紹介させて頂きます。必見です。6分半のビデオになります。


 画像借用元:Ridefilm社宣伝資料

 さて、EPCOTの『ボディウォーズ』で、乗り物酔いをする人が続出したこと を先に書きました。視線を引き付ける ふにゃふにゃした体液の動きは、モーションとは別の動きを見せています。揺動による「酔い」を避けるために BTFR の開発チーは、ある工夫をしてモーション・デザインを作成していました。 米国の文献では読んだことのない内容なので、多分 米国のテーマパークの専門家たちも知らない話だと思います。

 BTFRのチームは、本番の未来世界などを撮影する前に、先に 積み木のようなミニチュア模型を用意して その撮影プランを考えました。モーションコントロール・カメラを使って 模型の未来世界での 数パターンの動きを撮影し、直ぐに その(撮影していた)室内の暗室でフィルムを現像して 試作機に投影したそうです。試作機は 30フィート径のスクリーンでした。この 模型による確認作業で決められた動きが再現されて、実寸大のセットでの 撮影が行なわれました。
 撮り上がった本編の映像には、長い時間をかけて揺動が 合わせられました。床を揺らす「揺動装置」には製品ごとに特性があり、連続して何十センチ以上には動けないですから、一旦、横揺れに襲われて センター・ポジションに さっと戻す とか、静止しているふりをして そーっと後ろにずらせるなどの動きが工夫され、最適な揺動とハリウッド・クオリティの精細な映像が 少しづつ組み合わされました。こうして本番の 80フィート径の大スクリーンのための揺動と 映像が完成したのです。(この開発技法については、1995年の雑誌「AM Business No.12」月刊レジャー産業資料別冊 の巻頭に 来日時のトランブル氏による特別インタビューとして掲載されています。)完成までに、18ヵ月が掛かったそうです。
 そして、この BTFRチームの開発したモーション・デザイン技法は、セガ・エンタープライゼス AM5研の二人が 直々に教えを受けました。高野信幸さんと土居秀顕さんです。世界的にも貴重なノウハウでした。そもそも、揺動の知覚については 大脳言語野との関連が少ないために、その奥儀を伝承するには「こうするんだ」という実際の揺らし方が 職人技で示されます。揺動は、触覚などより もっと言語化しづらい VRの技法なのですが、

 直ぐ横で詳しく説明を聞いていた私が、私の言葉で「言語化」してみました。

 1)数理モデルを精密に現象と1㎜も違わない数値でコピーした揺動は、当たり前で つまらない
 2)現実の現象と 大きくずれている揺動は、車の助手席と同じで 必ず 酔う
 3)現実の数値を「書初めの下書き」のように裏側に敷き、そこに「らしい」揺動を思い切って乗せれば 観客は気持ちの良い揺れを感じる。
 つまり、機械論で付けた揺動は、凡庸か または 酔う。化生論は 気持ちが良い、という 本Blogの「いつもの結論」です。この揺動論を転用すると、

 「ロボットの動作」を サイバネティックスで 設計するときには、
 1)人間の動作をキャプチャーして正確に再現すると、当たり前すぎて感動が無い。あるいは、
 2)人の筋肉の動きを、骨格の素材だけ(正確に言えば で 無理に再現しようとすると、コロッケさんの珍芸「五木ひろしさんロボット」みたいに筋肉 の動きが消失して)変になる。それで、
 3)「それらしく見える 動作」を演出して動かすと、素人の観客が見ても 人間の動作に見える。という「ロボットの ふるまい」に応用できます。1)と 2)は機械論。3)は 化生論です。

 若手の 歌舞伎役者が、六代目 中村歌右衛門の舞台をビデオの映像で観て、1㎜も間違えずに踊りの所作を真似ようとすると、機械論なので 1)か 2)になります。しかし、「私は 歌右衛門さんのように上手くない」と開き直って、3)化生論 的に演じることで、「六代目歌右衛門の型を生かして、自分の芸にしている」と、評論家たちから褒められます。(動かせるのは、自分の 骨と筋肉だけですから、当然です。)
 ここで、歌舞伎役者の演じた 3)を、ギリシャ時代以来の(プラトンの著作や アリストテレスの『詩論』で、西欧人には 馴染みを感じる )「ミメーシス」という美学用語で表わすことができます。(本質を 模倣すること、という意味です。)これは、サイバネティックスにも応用できる芸術技法でした。『百科全書』のディドロも高く評価している「ミメーシス」についての、とても良く分かる参考書は、青山昌文著 1992年放送大学教材『美と芸術の理論』などです。

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 『ヘルメス文書』の古書価格が高騰しているので、皆さんに買って下さいとも言えず、その内容の紹介を どうしようかと考えていたら、専門家の 非常に良質の訳が読める無料の Web頁が見つかりました。ただし、多くの人が 2万円を出して 書籍の『ヘルメス文書』を買っている理由は、注釈なしに読むと、ちょうど「老子」を注釈なしで読むように自分勝手な感性のイメージに引きずられるからです。しかし、荒井氏・柴田氏の注釈を付けて読むと、他の場所での その言葉の使用例が書かれていますから、少なくともこれを書いた人は、思い付きではなく、一貫した論理で「ヌース」(叡智、理性)などについて説明しようとしていることが分かります。
 ちなみに、ヌースは、神の内面と人の内面の両方に 同じものが存在するので「コレスポンド」できる叡智です。おそらく「ミメーシス」も、神の属性として備わった本質を模倣すること、なので、ヌースという OSによって模倣が可能になるのでしょう。

 とにかく、以下は無料の頁です。私は ルネサンス科学と 同じ時代の文学の翻訳を、今 集中して読んでいますが、21世紀の化生論科学のヒントの 豊饒な宝庫のように感じています。 文学には「エロ」が多くて 学生には教えづらいのですが。(筑摩文学体系の『ルネサンス文学集』など。)
 ヘルメス文書とは? 
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/hermetica/ch_index.html
 魔法と科学の間   
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/trismegistes.html
 しかし、腹痛が「百草丸」で治るのと同じようには、『ヘルメス文書』を読んでも 卒業制作のための VR作品は できません。ジョン・ディー博士と サイバネティックスの良く似ているところを調べる、という細い道を、私は紹介して行くつもりです。

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 それで、「どうして 1939年の映画 なのだ」という(21)に書いた話の続きですが、39年に公開された映画のタイトルを眺めていると、米国人の自負や ものの考え方に影響を与えた映画ばかりのような気がするからです。
 例えば、ゲーリー・クーパーの『ボー・ジェスト』は、(登場人物=シンボル=アバター に どんな運命を与えれば、話にリアリティが生じるのか、という意味で)手塚マンガに大きな影響を与えた作品の一つでした。最近の あるハリウッドの映画でも、撮影の前に監督が「この映画の調子のアクションを撮るんだ」と言って 関係者全員に観ておくよう指示を出したので『ボー・ジェスト』の内輪の上映会が開かれました。フランスのヌーベルヴァーグの監督たちが この時代のハリウッド映画を非常に高く評価したのは慧眼で、ここに挙げた 1939年の映画の創出した世界は、全く古びておりません。

 念のために補足すると、ハワード・ホークス監督作品は、トリュフォー監督たちが騒ぐまでは「プログラム・ピクチャー」だと馬鹿にされてきたのですが、むしろ新しい映画技法で、現代の監督はその模倣品すら作れないことを自覚しました。ヒッチコック映画も同じです。
 しかも、1939年のNY万国博から 1982年の EPCOT開園までの期間は、(正確には 60年代までですが)米国の景気の絶頂期でした。ウォルトは1966年に亡くなりましたが、ディズニーランドのアメリカは、ベトナム反戦による国内世論の分裂も知らず、ブラック・ライブズ・マターの運動も知らないアメリカです。だからこそ、1966年にウォルトが構想していた EPCOTの 2032年(50周年)の姿を実現させられれば、そこでは『オズの魔法使い』のドロシーが成長して「やしゃご」に囲まれるような 古き良き EPCOT、レトロ・フューチャーが見られるのではないか、と私は考えました。

 例えば、1939年の映画の主人公たちが、50年代のアメリカ郊外の生活を経験し、バックミンスター・フラーが描いた 未来の SF社会で暮らしている世界を VRで表現したら、どんな未来だろう。と、私は考えて、米国文化の 40 - 50 - 60年代の精神の変化を 映画や流行歌とディズニーアニメで分析し、それを EPCOT 2032の VRアトラクションに反映させられるのではないか、と、人とは違ったアプローチを進もうとしている次第です。もう少しだけおつきあい下さい。(2021.3.4 追記。)
 2020年代の新しいディズニー映画の企画にも、それらを反映できる かも知れません。

 VR奥儀皆伝( 8½ )(22)物販の促す再訪   VR之極意:①-2-1 → こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 VR奥儀皆伝( 8½ )(24)に続きます。→ 
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