( 8½ )(24)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-02-27 | バーチャルリアリティ解説
 Number24 / パーク VRアトラクションを実作します 〈中編〉
                          【( 8½ )総目次 
 京都の西本願寺にある国宝の楼閣『飛雲閣』 VR之極意:③


 画像借用元:https://www.hongwanji.kyoto/see/hiunkaku.html

 さて、前回( 8½ )(23)『BODY WARS』の微修正は、割合 簡単でした。

 ※ 『BODY WARS』は、テーマパーク体感劇場の公開作品の一例として紹介しました。VR作品の開発者は、TSUTAYAなどで『ミクロの決死圏(1966年)のDVDを借りて「32インチ以上」の 大きな画面で観ておくと理解が深まります。スマホや15インチの小画面でネットを観て「映画を観た」と思っているのは 錯覚です。
 調布駅のTSUTAYAなど(検索できます)に必ずあります。

 〇 私が直した方が良いと思っている『BODY WARS』の修正箇所を、再度 挙げておきます。

 1)プレショー廊下の窓(裸眼立体映像)から、大きな動物や潜航艇が実験室で 小型化されている様子が観客には何度も見える。
 2)座席についてから 潜航艇が小さくなる場面では、観客が「自分も小さくなった」と思えるような演出を短く追加する。
   巨大な作業員が外から覗き込むなどして、自分が小さくなったと感じて貰う。
 3)揺動を、揺動デザインの専門家に付けなおして貰う。一部の動きに めりはりをつけるとか、
   大規模でない 「揺動に合わせたCG映像の作り直し」などの画像編集を改めて行なう。
 4)エリザベス・シュー嬢の肖像権の許諾を取って、1989年の彼女のCGキャラが大写しになる場面を追加する。

   (ちなみに2017年の『ブレードランナー2049』のショーン・ヤングさんは、CGです。)
 5)小型化された潜航艇が 元の大きさに戻る過程を、スクリーンの映像の最後に少し付け加える。


 『BODY WARS』(1989 - 2007年、EPCOTでの公開)は、手直しすれば 再公開できると思います。1966年の映画『ミクロの決死圏』が良くできていましたので、映画の予告編の一場面を テレビで新作CMの背景に使うなどして、最近の人にも良く知られた映画作品にしておくと良いでしょう。(リメイクの話も進んでいるようです.。)
 【予告編】https://www.youtube.com/watch?v=-hjiVViMuS4&feature=emb_logo
 新作CMの タイアップの新曲が流行すれば 更に効果的です。

 ※ なお、1966年の映画は、シナリオの最後に少しだけ筋の ほころびがありますが、「ノベライゼーションのアイザック・アシモフの小説では、一応解決しています」と広報の人が付け加えるように心がけましょう。

 ところで、そもそも『BODY WARS』は、何のために造られたのでしょう。


 画像借用元:https://www.themeparksandentertainment.com/2020/01/the-lost-peoplemover-epcot-centers.html

 テーマパークが、「機械論」的に運営されている施設でしたら、アトラクションを増設することは「観客を増やして、お金を儲けるため」でした。(それは 違いますね。)また改めて、詳しく経緯を解説しますが、1992年に長崎県にオープンした広大なテーマパーク「ハウステンボス」は、開園して4年目に380万人というとてつもない入場者数を記録しました。これが全国の自治体関係者の注目を集めたことから、90年代の国内には次々とテーマパークがオープンして、そして大半が 廃墟になって行きました。
 次々にテーマパークがオープンした理由は、ハウステンボスの用地というのが「札付き」の問題含みの案件で、当初 長崎県では工業団地としての造成を行ったものの工業用水供給の問題などから企業誘致がまったく進まず、手つかずの頭痛の種として残っていた土地の活用だったからでした。似たような懸案を抱えていた自治体は全国に多かったことから、彼らは 先を争って 90年代にテーマパークを造りました。しかし、テーマパークの運営・維持に詳しい専門家(稲元章博さんのような秀抜なアドバイザー)が少なかったので、テーマパークは次々に倒産して行きました。つまり、日本では、

   1990年代に 見事に「機械論的」なテーマパークの造成が行なわれた

ことになります。
 従業員も大勢いましたから、その雇用を機械的に維持したい気持ちも分かります。そのこともあって、市場プッシュ型、つまり、大資本が自分たちの得意な製品を市場に押し付けて (旅行代理店などの)中間卸に生産物を引き取って貰う方法 = 利権的な トップダウンの「機械論」が、テーマパークの造成方法になっていたのです。

 しかし、『BODY WARS』の製作については、それは機械論だったでしょうか。例えば、派遣スタッフの手を借りて、納期に合わせて何が何でも作品を仕上げ、納期が来たら納品して、あとは 旅行代理店や 切符の販売代理店にオープン日に合わせた割引切符を さばいて貰う、というのが「機械論」の開発・販売方法です。しかし、この作品は そうやって作られた訳ではありません。『BODY WARS』の観客は、EPCOTなので 未来のアトラクションに乗りたいと思って(入場料を払って)ここに来て下さいました。彼らは、自分が来たいので ここに来たのです。

 ですから、『BODY WARS』が 開発された理由は、
   EPCOTに来た観客、そして アトラクションの開発者と、ディズニー映画の登場人物が、
   全員がディズニーに共感して、その魔法の王国で「一緒に暮らしている」という想いを共有し、
   アトラクションの上演を通して、その一体感
(仲間意識)感じられるようになること、
それが このアトラクションの開発目的でした。
 私は、それを化生論的な(ディズニー・マジックの)開発方法と呼んでいます。

 ヒッチコック監督の 1958年の 映画めまいでは、映画館の観客と ジェームズ・スチュアートの「視線」が一致するように、つまり、観客が 彼との視覚的な一体感を感じるように「絵コンテ」が用意されました。「アメリカの良心」と呼ばれた スチュアートが目で追った対象に、観客が安心して視線を委ねるとき、その眼前には「驚くほどの美女の姿」「サンフランシスコの有名観光地」が 豪華に、次々と披露されました。観客は、ヒッチ監督の魔術に かかり、おそらくポップコーンを食べる手も止めて 「美しい観光地を背景にした綺麗な衣装の美女」を目で追うスチュアートに一体感を感じていたことでしょう。
 『めまい』に出てくる美しい観光地は、ゴールデンゲートブリッジ、Legion of Honor美術館、ミューア・ウッズ国定公園、二人がキスを交わす Cypress Point(ペブルビーチ海岸)などでした、

 映画の観客は、スクリーン上の「代理人」(つまり 自己同一視できるアバター)に一体感を感じて、視線を誘導されていました。「化生論」による誘導です。VR作品の観客(プレイヤー)の場合は、開発者が(スムーズな)操作のためのヒント、手掛かりとして置いた「鍵」を入口に(それをプレイヤーが操作することで)画面のキャラクターとの一体感を感じました。それは、いつか夢の中かどこかで「自分が’夢想したバーチャルな世界で、そうなったら良いなと思った体験」に とても近いものなので、神話の世界に似ています。その感覚は、自分が 神話のキャラクターと共感した時と同じ感覚(自分が価値観を同じくする共同体との一体感)でした。そして、その時に、観客は同時に監督や 製作者とも、一体感、共感、仲間意識を感じるのです。
 余談になりますが、中世では、「自分が気に入る世界を、気にくわない世界の中に バーチャルに構築する力を持った存在」のことをメイカー、と呼んでいました。神様のことです。乙女は、あの方と結婚できますように、と 真剣に神様に祈りをささげ、そのとき神様との一体感を強く感じました。

 ですから、現代において VR作品を開発している IVRCの学生たちは、中世だったら「神様が専売していた」開発能力を発揮して、観客がキャラクターとの同一感を感じたり、同時に観客が開発者に対して「神様!」と 感謝したくなる世界を作っているのです。びっくりしますね。 中世ではこうした心理操作を魔法と呼んで、教会の人たちは「神様以外の誰か」が 観客(信徒たち)に魔法を使うことを本気で恐れました。しかし、ルネッサンス期になると「天使を呼んで私の運勢を占って貰おう。大願成就があさってなら、彼氏への愛は、あさって告白しよう」という実利的ヘルメス科学が珍重されました。

 ウォルトは、1939年のNY万国博という「親切な妖精のおばさん」がアメリカに与えた「魔法のスティック」の一振りで、50年代の郊外のアメリカ人 (但し白人) の生活が 広告などに説得されて まるで雑誌広告のイラストから抜き出てきたような姿に変わるのを見ていました。『シンデレラ』(1950年)は、「魔法のスティック」の一振りで何が起きたか、を描いたディズニー・アニメです。それで、ウォルトが EPCOTを作ろうと思いついたときには、
   「ここに一緒に住んでくれる」というゲストやキャストの人が 必ず 大勢いること
をウォルトは予感しました。

 システムの運用の不具合も、住民が率先して 自ら直してくれるでしょう。

 ところで、東京大学人文社会系研究科 唐沢かおり教授は、新造のエコシティに新しい住民が集まってきたとき「共同体の構成員」としての一体感(例えば、ある神社の氏子であるといった仲間意識)が、まだ その場所に作られていないことが原因で、エコシティの住人がネガティブステレオタイプの不信 に陥る危険を ある 横幹連合での講演で指摘されました。
 それは、ある意味では やむを得ずに「現在、起こり得ること」なのかも知れません。


 その原因は、現在 計画されている Society5.0などの エコシティが「データ駆動型の社会」であるためで、そのエコシティでは(トップダウンではなく)ボトムアップによる 帰納的なデータサイエンスの活用が計画されているからです。
 【参考参考】:「横幹」 Vol.12、No.2、2018 掲載 北川源四郎 前会長の巻頭言「データサイエンス時代の横幹連合」
 そのため、エコシティの「地域住民」は、(プライバシーに触れない範囲で)

   各家庭の消費電力や 通勤時間、買い物などの行動特性、そして、家族の病歴、家族の要介護度

などの 普通は「身内しか知らない情報」を「自発的に」システム構築者に提供することが「要請」されています。(皆さんは ご存じでしたか?)「データ駆動型の社会」では、地域住民の利便性を高めるための そうした情報の 自発的な 提供が
(行政からの、エコシティ居住の要件として)要請されているからです。

 【以下の不信の事例は、唐沢先生の講演をもとに武田が作文してみた内容です。文責は、本Blogにあります。原因はどれも、開発者と住民の一体感が 作れなかったことにあるようです。】

 (1)仮に(地域住民への)「報酬」とか罰が 社会実装時のインセンティブに含まれていた場合、つまり、データ提供者には 5000円差し上げます、とかが決まっていた場合には、内発的な望ましい態度形成(住民が「好きだから」やる、「良いと思った」からやるという協労意識)を低下させることがあります。
 (2)また、同様に、電力会社や研究者から、お宅の電力消費は、今月はどうして少ないのでしょう?といった形の質問を 度々受けると、「なぜ このように個人の生活に『介入』され続けるのか」という疑問が生じて、質問された住民は システムの操作者側の「ネガティブな意図」を推論してしまうそうです。例えば、「安い電力プランの契約」で「但し 2年間は解約できません」といった電力会社に有利な内容を この話の後に勧められるんじゃないか、といった警戒心を先に持つことがあるようです。

 (3)また、「お宅の電気代は、必ず お安くなります」などと繰り返して聞かされた場合は、他者や過去と比較したときの「差」に敏感に反応して「比べて良くなること」を住民が過剰に求めるようになるそうです。それで、住民には現行のサービスが(既に十分に高度なサービスでも)当たり前のものに思えて来る場合も あるそうです。
 しかも、
 (4)もし「調査に正しく回答頂けなかった場合は、災害時の停電時間が 174%(例えばです)に増加するかもしれません」などのように「将来予想される未知・不確実なリスクについての確率的な記述」を目に留めると、その事象に過剰な不安を喚起する傾向があるそうです。


 【以上のネガティブな住民の不信についての解説は、文責 武田です。発表者の意図と異なる場合があります。】


 これらは、いずれも、開発する側の関係者が全員、持っている 数理モデルに基づく近未来のイメージ が、(ディズニーランドの開発者と観客の関係のようには)一般の住民と 共有されていない ことが原因です。それで、こうした潜在的なリスクが(Society5.0 などの)データ駆動型社会には生じやすいのだそうです。日本の場合を考えてみると、もう少々地域のお寺や神社を通して近隣のコミュニティ意識(というか、ご近所感覚)があれば、均質なビッグデータの収集なども、スムーズに行なえるのかも知れません。

 しかし、ひるがえって EPCOTでの エコタウン計画の実施に限って考えれば、テーマパークの開発者や キャストが自ら理解して、そこでの生活を始めるのですから、質の良いビッグデータが、EPCOTでは、住民の反発なしに取得できるだろう と思います。例えばですが、EPCOT 2032(仮称)のプロジェクトとして EPCOTに居住区を作り、その街で、バックミンスター・フラーの提唱した「多面体を折りたたんだ持続可能な都市の居住実証実験」などを 2082年を目標に行なってみる、というような計画が(仮にですよ)決まったという場合は、実験で成果の出た都市モデルを「EPCOT」ブランドで、世界に輸出できるのではないでしょうか。

 「TWI 2050」の場合にも、開発者と、その一般システムの現場での操作解説者や 運営責任者、そして 近未来社会の住人の各々が、一体感(同じチーム)の意識で結ばれることによって、何かの問題が生じても 住民自身の手で問題が修復される ようにになると思われます。



 画像借用元:https://iiasa.ac.at/web/home/research/twi/TWI2050.html

 ところで、上述したように『BODY WARDS』の手直しが上手く行なえましたから、皆さんは EPCOTから もしかすると 次のお仕事を依頼されるかも知れません。では、ここから(2032年の EPCOT 50周年の目玉として) EPCOTの日本館に(例えば)『飛雲閣』のレプリカを VRアトラクションとして造るところを 一緒に想像してみませんか。

 ※ ウォルトが自ら EPCOT構想を 1966年に説明しているビデオを観て、私は、もし ウォルトが構想していた当初のアイデアの通りに(例えば)100周年の EPCOT 2082が実現させられれば、現在、スペインの「サンタンデール市」などで進められている エコシティの構築上の「課題」が 大部分 解決するだろうということに気が付きました。(横幹ニュースレター60号を参照して下さい。)しかし、開発姿勢が 今のままの EPCOTであれば「DLの その他大勢のテーマパークの一つ」に過ぎません。( 元来が NY万国博のミニチュア・パークでした。) それで、EPCOTを(例えばですが) VR展示の今後の可能性を世界に示すショーケースだと仮定して、当初のウォルトの構想通りの開発を進めることを関係者に検討して頂くため、その試行事例として、日本館での 国宝『飛雲閣』の VR展示を案として以下に提案してみます。今回の内容は、そのための「絵コンテ」の準備段階です。

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 浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺では、2014年に法統継承式が営まれて大谷光淳新門(36歳)が 第25代門主に就任されました。み教えを伝える「伝灯奉告法要」(2016年10月-17年5月)のサイドメニューとして、多くの「一般公開」が挙行されました。私の家は 高野山真言宗なのですが、弘法大師が「他宗の良いところは良く見て参考にさせて頂きなさい」と仰っておられます。真言宗の立場からは 興味津々で、一般公開された西本願(お西さん)の法要に参加させて頂きました。
 その中でも、国宝『飛雲閣』で抹茶とお菓子が頂けるという 夢のような企画がありました。私は喜び勇んで早起きし、京都まで出かけて「慶讃茶席」懇志2000円で 申し込みました。1日8回、一回30分。各回50人限定でした。ここは国宝で、普段は「原則 内部非公開」の楼閣です。

 室町時代の京都には、喫茶店の源流「一服一銭」の茶屋(路端商)が東寺の門前にあって、参詣客に薄茶を一文(50-100円くらい)で売っていたそうです。しかし、京都で喫茶店文化が栄えるのは ずっと後の 大正以降でした。明治以前の京都にタイムスリップしても、喫茶店でちょっとお茶でも、という訳には いきません。では、明治以前に『飛雲閣』「お茶」をすることには、どのくらいの意義があったのでしょう。
 『飛雲閣』の建物は、秀吉の聚楽第の一部を移築したものではないか と言われています。伝16世紀、桃山時代ということです。古文書から、この場所に(どこからか)移築されたことが はっきり分かるのは 江戸時代のことですが、江戸時代の お茶しましょう」であれば、「明日、飛雲閣に粗茶をご用意しておりますので」と お西さんから呼ばれたとしたら、その 都合を聞かれた お相手は お公家や 藩主クラスの 政府要人だったかも知れません。彼らは、最高級の帝国ホテルの喫茶室に呼び出された気分で、出かけて行ったと思われます。

 ついでに言うと、京の三名閣は「金閣・銀閣・飛雲閣」です。こう聞くと、私も その茶席に行きたかったという京阪神の方も多いと思いますが、門主様のお代替わりは次は50年位先のことです。教えて下さった矢野和代さんに感謝しています。はい、とにかく「慶讃茶席」が始まりました。

 飛雲閣は、境内南東隅の「滴翠園」(てきすいえん)の、滄浪池(そうろうち)と名付けられた池に面して建てられています。「滴翠園」は名庭園で、18世紀に整備されました。お客様は、必ず舟で来られて地下一階の石段のところに到着します。ここが正面入口で、薄暗い 狭い階段を上って地下から せり上がってくると「あっ!」と視界が開けました。舟入の間という1階の一区画です。
 もしも、そのとき、ふすまが全部あけ放たれていれば、招賢殿・八景の間 あわせて50畳以上の畳敷きフロアが目の前に掃き清められて広がっています。開放された空間は間延びしておらず、外光の取入れも十分でした。



 「慶讃茶席」では、一組50人が、車座に用意されたお膳と座布団に詰めて座りました。すると、BGMのお琴が流れ「伝灯奉告法要」の趣旨を MCのお坊様が簡単に紹介されました。お菓子はプリセットです。そこに お薄(抹茶)を 大切に捧げ持った「大勢の」お坊様が、ささささささ、と(お姿が黒装束なので、ちょっと忍者の集団のように)奥から出てこられて、さめないようにお薄を急いで皆さんにお出ししました。奥では同数のお坊様が、次のお茶を点てておられたようです。4回くらいの、ささささささ、でお茶が行きわたりました。

 いや、おいしかった。そりゃ、そうですね。お茶屋さんも心を込めたと思います。


 ふすまや 壁貼付には、狩野永徳・探幽が描いたと伝承される金雲が たなびいています。私の後ろの壁貼付は、すすきでした。ただ、壁やふすまが けっこう真っ黒で、私は自分の頭で CG復元したすすきを、金雲に貼り付けて 想像で壁を眺めていました。この直ぐあとに『飛雲閣』の修復工事が始まります。ですから、そそっかしい参詣客が お茶を畳にこぼしても、今なら全然平気です。ただ、しかし、それだけ ぼろぼろだというのに、豪華絢爛だったことは良く分かりました。「桂離宮に比べてキンキラなのが趣味として劣る」という評価もあるようですが、それは千利休の茶室とヴェルサイユ宮殿のどっちが優れているかを尋ねるようなものではないでしょうか。バロックの装飾に比較すると ずっと控えめで、私は『飛雲閣』は上品な豪華さだと感じました。

 ※ 『飛雲閣』の修復工事は、2020年4月に終了したそうです。ということで再び、「原則 内部非公開」ですね。「伝灯奉告法要」では、廊下からのウオークスルーでしたが、重要文化財の 南能舞台も拝見できました。考えてみると、こんなラッキーな拝観は、流星群の飛来程に まれなチャンスでした。


 谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で厠の植え込みを褒めて、厠を日本の建築で一番の風流であると断じました(本気か ?)『飛雲閣』は、陰翳とは対照的です。ルードヴィヒ2世も、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿の鏡の間を そっくりコピーした部屋をつくって、ロミー・シュナイダーに「ははは」と笑われていました。あれで良いんです。フランスはメートル原器と美の基準を作って、誇りとともに世界にレプリカを輸出したのです。そして、日本の安土桃山時代の豪華絢爛趣味は、ルイ14世の重商主義より100年も早い、信長の楽市楽座による好景気が もたらした意匠でした。
 信長の安土城が1992年にCGとレプリカで復元されています。それを観ると、『陰翳礼讃』とは全く異なる日本人の もうひとつの美意識が感じられました。『飛雲閣』で進められていた大規模な修復工事は、ジョブズが得度した禅の美意識と異なる華やかなCool Japan に改めて気付かせてくれたのかも知れません。次回に続きます。

 【下の写真は、信長の 安土城 復元CGです】

 ※ 安土城(信長)、飛雲閣(伝 秀吉)、日光東照宮(家光 1834年)には、共通する美意識がありました。


 画像借用元: https://www.shiga-create.jp/moa/archives/id/3143/cate/culture/

 ということで、

 次回には、50周年の EPCOT 2032を(勝手に)記念して、EPCOT日本館の内装がCGで綺麗になったという状態を想像して、EPCOT日本館に国宝『飛雲閣』のレプリカを設置してみたいと思います。

VR奥儀皆伝( 8½ )(23)パーク・アトラクションを造ってみます 『BODY WARS』『BTFR』(①-3)〈前編〉 → こちら

( 8½ )(9)「暫定総目次

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