なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

「筆記の復習」の思い出

2010年01月19日 00時30分41秒 | 一般記事
現在、2ヶ月に1回 神権宣教学校で「口頭の復習」(神権宣教学校の復習)があり、準備してきた答えを30分で復習していますが、2002年までは「筆記の復習」という名前で、準備してきた答えを覚えておき聖書だけを使って答えるという、今よりも難易度の高いプログラムでした。

現在の「口頭の復習」が宿題なら、「筆記の復習」はテストのようなものでしょうか。

このテストは5項目あり、それぞれ

1. 以下のそれぞれの文の正誤を答えてください。
  (問題が「正しい」か「誤り」か答える)
2. 以下の質問に答えてください。
  (質問に答える。これが一番難しい)
3. 必要な語句を補い,下記のそれぞれの文を完成させてください。
  (虫食い問題)
4. 以下の各文の正しい答えを選んでください。
  (選択問題)
5. 以下の聖句を下記の陳述に当てはめてください。
  (5つの聖句の中から該当する適用を選択する)

といった内容でした。

幼い頃、この25分間の沈黙は異様な雰囲気がしたものです。
とりあえず5番目の問題をやって、余った時間でそれ以外の分かりそうな問題をやっていました。

今も昔も変わらないのは、提示されている資料の通りに答えないといけないということでしょうか。

間違った答えをすると司会者は「その他に答えはありますか?」などと遠回しに答えを否定し、なかなか「正解」が出ないと「模範解答を申し上げますね…」と読み上げる始末です。
(この模範解答は集会後に掲示板に張り出され、熱心な人はそれを見てメモします)

以前、注解についてブログに書きましたが、答え合わせのような注解ではなく、そのときどう感じたとか、どう適用できるかなど自由な注解の方が思考を刺激するのではないかと思います。

結局この復習も資料を調べるという手間が増えただけで、いつもの「ものみの塔研究」や「聖書研究」(書籍研究)と同じ認識の刷り込みでしょうね。

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2 コメント

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25分間 (オトカ)
2010-01-20 12:38:59
海外では、筆記の復習あの25分間スタイルは、意味があるのですかね。

ずっと疑問でした。

今の口頭の復習スタイルにすれば、25分間無駄にせずに済むのに…って、私は家で復習してました。

聖書だけでは、ものみの搭調べられないもん。



司会者の認識レベルで、注解は違います。
生きのいい注解しても、答えを探すような注解求める時点で、アウトでしょ
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私の思い出 (ローリン)
2010-01-20 21:21:45
Q会衆の長老は、江戸っ子だったため「ひっきのふくしゅう」って言えなくて、
「しっきのふくしゅう」って言ってました。

「こうとうのふくしゅう」ならば、江戸っ子でも正しく発音できますね

あ、すみません。。
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