なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

骨髄移植と臓器移植に関する見解

2010年01月22日 23時44分11秒 | 一般記事
エホバの証人と血の問題

エホバの証人と輸血拒否の問題はこのブログでも何度か取り上げましたが、僕が納得できないのは、輸血が禁止されているにも関わらず骨髄移植や臓器移植を受けるかどうかは「個人が決定する」ことになっていることです。

輸血を受け入れることは「断絶したこと」と見なされ、排斥処分になるにも関わらず骨髄移植や臓器移植は個人的決定というわけですが、この違いに根拠はあるのでしょうか?

エホバの証人にとって輸血拒否は看板教理であり、輸血の危険性を大々的に伝え、輸血を拒否して亡くなった子どもを「神を第一にした若者たち」と賞賛し、毎年奉仕会で「継続的委任状」を確認するよう指示している以上、「輸血を拒否するかどうかは個人が決定すべき事柄です」とはならないでしょうね。

そのことによる内外からの批判を受けるくらいなら、これまでの伝統どおり輸血拒否を押し通すつもりでしょう。

「血を避けるように」という聖書の命令が今でも有効である根拠としてエホバの証人は使徒たちの活動 15:20 を挙げますが、その聖句について某掲示板でこんな投稿がありましたので引用します。
毎年、輸血拒否によって多くの人命が失われています。
下はその根拠とされる、新世界訳の使途行伝15:20です。

20 ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです。

その理由が次の21節に述べられています

21 モーセは安息日ごとに諸会堂で朗読されており,彼を宣べ伝える者が古来どの都市にもいるからです

ユダヤ人には、もともと20節に挙げられているような伝統がありました。
ですから、ユダヤ人と異邦人の対立をやわらげ、クリスチャンとして一致させるために、ユダヤ人改宗者に配慮してこれらを避けなさいと言っているわけです。

従って、本来キリストによって律法が廃止された後では、これらの規定に従う必要はありません。
ただ、当時の、ユダヤ人と異邦人が慣習の違いから対立していた状況ではユダヤ人改宗者の習慣に配慮する必要があったということです。

つまり、仮に20節の血に輸血を含むとしても、現代においてこの規定に絶対的に従う必要はないといえます。

聖書に全く根拠のない教理のためにどれほどの多くの人たちが死んでいくのでしょうか?
統治体のややこしい説明より、このような「世」の意見の方がまともに見えてしまうのはなぜでしょう。

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3 コメント

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Unknown (元二世)
2010-01-25 18:29:00
初めてコメントさせていただきます。いつも興味深い見解を楽しく拝見させて頂いてます。
私も、輸血問題に端を発してこの組織を出ました。
免疫グロブリンやアルブミンの件に関しても、納得のいかないとこも多く、未だにモンモンとしてます。
親はまだとどまっているので、戻るように何度も話をされます。
組織が間違っている証拠を提示しても、認めないのはなぜなのでしょうかねぇ…
長々と失礼いたしました
組織には今はまともな言い訳があるのですか?
教えて頂ければ助かります。
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元二世さん (オトカ)
2010-01-26 21:47:29
信じている人の意識を変えるのは、難しいコトです。

聖書にありますよね。
「諸国民にベールがかけられて、光が見えない」…みたいな聖句があるとこ。

つまり、エホバの証人も、全てを盲信してるんですよ。

疑問に思うことを喋れば信仰がない、認識不足、背教的な考えって言われる。
最後には、組織が答えを出すまで待ちなさいと言われて…。


ひとつひとつ、砕いていく必要があります。
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骨髄移植と臓器移植は‥ (あんず)
2010-01-26 22:00:16
血の成分が含まれていないの?輸血しないで、手術した場合の治癒力は、過去に脳外科のくも膜出血手術で、抜群の回復力と治療費の安さで、立証したことがありますが、骨髄移植と臓器移植については、統治体からのハッキリとした指示がないから、判断に困ります。
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