第3章であまりにもストイックなフラ観を語ってしまいましたが、それは理想中の理想であって、「そ~うだったらい~いの~になっ♪」と歌いつつゆるるんと踊るのが一番ステキなフラのたしなみ方だと思います。
モチロン、誰にとっても上達は楽しいものなので、それぞれに合った方法で上達を試みるのはさらにGOOD
たとえば、ハワイ語に興味を持って数字を覚えたり、「ラハイナルナのルナって月じゃなくて『高い所』のことなのね」なんて新鮮な驚きを感じたりしてもらえると、語学フェチの私としてもうれしいっす
花が好きな人はレイの意味や作り方を知ると楽しいと思います。
旅行が趣味なら、ハワイに行く前に土地の歴史や曲でどんな風に歌われているかを学んでおけば、より楽しくなるはずです。
「ダンスとしてのフラを磨こう」と書きましたが、徐々にちょっとした動きが繊細に踊れるようになるのもたまらなく楽しいものです
しかし。しかしですよ。
プロとして踊る場合、趣味で踊る人とは事情が全く違います!!!
ということで、最後に「私自身がどうすべきか」について語りました。
私はプロと言うには凡そ不十分な人間で、実際たいした働きは出来ていないのですが、それでも母マミちゃんのレッスンにくっついて回っている以上、母に近い責任を負っているといえます。
とくに「ラナ先生」なんて呼ばれてしまうと自分に対して激しい不安に襲われます...
そんな責任と不安を覚える理由について、卒論ではこんな風に書きました↓
たとえインストラクター的な立場であっても教える役割を担う以上、フラに対して果たすべき責任の重大さは一般の踊り手の比ではない。他人より多少踊りが上手であるとか、順番を覚えるのが早い、フラのレパートリーやハワイについての知識が多いなどという程度では、指導者たる資格はない。
こう考えますと、私って資格なさすぎです。
ということで、自分のハワイ語やハワイ文化の知識とダンスのキャリアを槍玉にあげ、「こんなところを頑張ってる」「でもこんなところがまだまだ」と自作自ツッコミを展開しました。
しかしそれにしても、なんでフラってこんなに奥が深いのでしょうか。なんで極めようとすればするほど自分の未熟さを感じてしまうのでしょうか!?!?
...と、最後の最後に考えた結果、以下のように締めくくることになりました。
それは、フラがハワイ語や神話・歴史に始まって人々の価値観および生活習慣に至るまで、ハワイ文化のあらゆる要素を含んでおり、故にハワイ文化において非常に重要な存在意義を持っているからであろう。したがって、フラを学ぶ者はハワイ文化すべてに対して敬意を持つべきである。この敬意をもって真摯に学ぼうとする一人ひとりの姿勢が、フラを、ひいてはハワイ文化を次世代に継承することになる。
でもって、自省しつつこんな風に続きます↓
とりわけ指導者の場合、ハワイ文化やハワイの人々に敬意を示すことが、自分の教える相手に対する敬意につながる。言い換えれば、いい加減な気持で研鑽の足りないままフラを教える者は、フラやハワイ文化を軽んじていると同時に、自らの生徒をも軽んじているといえる。
そうなのです。私自身書きながら気付いたのですが、生徒さんに対し勉強不足のままテキトーな教え方をしてしまえば(たとえ悪気はなくても)結果的にその人たちをバカにしているということになってしまいます!!
それって、レッスンに来てくれた人に対して一番失礼なことですよね。
モチロン人間だから先生にも間違いはあります。
でも、「最善の努力をしたのに間違えた」のと「努力しておかなかったために間違えた」のでは全然違います。
もうひとつの重要な結論として、たとえプロになった後でも「努力の継続が大事」ということも書きました。
そういえば、マミちゃんはプロになってからン十年(年齢がばれるので自主規制)、自分のスタジオを持ってから25年経ちますが、私もアキレ返るくらい勉強好きです。
まあ、この人の場合単にダンスが趣味という部分があるので一概に引き合いに出せませんが。
はうっ、この人を思い浮かべると自分のダンスの適正を疑ってしまいます...。
とりあえず、語学フェチは語学フェチらしくハワイ語マスターを目指そうっと...。
モチロン、誰にとっても上達は楽しいものなので、それぞれに合った方法で上達を試みるのはさらにGOOD
たとえば、ハワイ語に興味を持って数字を覚えたり、「ラハイナルナのルナって月じゃなくて『高い所』のことなのね」なんて新鮮な驚きを感じたりしてもらえると、語学フェチの私としてもうれしいっす
花が好きな人はレイの意味や作り方を知ると楽しいと思います。
旅行が趣味なら、ハワイに行く前に土地の歴史や曲でどんな風に歌われているかを学んでおけば、より楽しくなるはずです。
「ダンスとしてのフラを磨こう」と書きましたが、徐々にちょっとした動きが繊細に踊れるようになるのもたまらなく楽しいものです
しかし。しかしですよ。
プロとして踊る場合、趣味で踊る人とは事情が全く違います!!!
ということで、最後に「私自身がどうすべきか」について語りました。
私はプロと言うには凡そ不十分な人間で、実際たいした働きは出来ていないのですが、それでも母マミちゃんのレッスンにくっついて回っている以上、母に近い責任を負っているといえます。
とくに「ラナ先生」なんて呼ばれてしまうと自分に対して激しい不安に襲われます...
そんな責任と不安を覚える理由について、卒論ではこんな風に書きました↓
たとえインストラクター的な立場であっても教える役割を担う以上、フラに対して果たすべき責任の重大さは一般の踊り手の比ではない。他人より多少踊りが上手であるとか、順番を覚えるのが早い、フラのレパートリーやハワイについての知識が多いなどという程度では、指導者たる資格はない。
こう考えますと、私って資格なさすぎです。
ということで、自分のハワイ語やハワイ文化の知識とダンスのキャリアを槍玉にあげ、「こんなところを頑張ってる」「でもこんなところがまだまだ」と自作自ツッコミを展開しました。
しかしそれにしても、なんでフラってこんなに奥が深いのでしょうか。なんで極めようとすればするほど自分の未熟さを感じてしまうのでしょうか!?!?
...と、最後の最後に考えた結果、以下のように締めくくることになりました。
それは、フラがハワイ語や神話・歴史に始まって人々の価値観および生活習慣に至るまで、ハワイ文化のあらゆる要素を含んでおり、故にハワイ文化において非常に重要な存在意義を持っているからであろう。したがって、フラを学ぶ者はハワイ文化すべてに対して敬意を持つべきである。この敬意をもって真摯に学ぼうとする一人ひとりの姿勢が、フラを、ひいてはハワイ文化を次世代に継承することになる。
でもって、自省しつつこんな風に続きます↓
とりわけ指導者の場合、ハワイ文化やハワイの人々に敬意を示すことが、自分の教える相手に対する敬意につながる。言い換えれば、いい加減な気持で研鑽の足りないままフラを教える者は、フラやハワイ文化を軽んじていると同時に、自らの生徒をも軽んじているといえる。
そうなのです。私自身書きながら気付いたのですが、生徒さんに対し勉強不足のままテキトーな教え方をしてしまえば(たとえ悪気はなくても)結果的にその人たちをバカにしているということになってしまいます!!
それって、レッスンに来てくれた人に対して一番失礼なことですよね。
モチロン人間だから先生にも間違いはあります。
でも、「最善の努力をしたのに間違えた」のと「努力しておかなかったために間違えた」のでは全然違います。
もうひとつの重要な結論として、たとえプロになった後でも「努力の継続が大事」ということも書きました。
そういえば、マミちゃんはプロになってからン十年(年齢がばれるので自主規制)、自分のスタジオを持ってから25年経ちますが、私もアキレ返るくらい勉強好きです。
まあ、この人の場合単にダンスが趣味という部分があるので一概に引き合いに出せませんが。
はうっ、この人を思い浮かべると自分のダンスの適正を疑ってしまいます...。
とりあえず、語学フェチは語学フェチらしくハワイ語マスターを目指そうっと...。
普段ジャンプしか読まない私には(汗)とても良い刺激になりましたそしてフラダンスの奥深さを改めて実感致しました・・・
頭の弱い私は全て理解することがきっと出来ていないと思いますが、とても興味深く読ませていただきました☆
これから少しずつ学んで行けたらなぁ~・・・っと思っています
私もlanaranaさんの様な情熱をもって頑張るぞぉ~!!
いやいや、ジャンプも良い刺激になりますぞ!!
マンガ雑誌と侮るなかれ
ちなみに私「未確認少年ゲドー」(の前半)が好きだったんですが...
あれってジャンプでしたっけ
あと、明らかに他誌の作品だと、「クロマティ高校」が大好物っす。