問題のスタジオ衣装は、あんのじょうミスプリントが祟って製作が難航しているようです。
件のオリジナルプリントはかなり大胆な柄で、ウチはそれをふんだんに使うものですから、僅かな配分のずれが大きな誤差を招いてしまうのです。
洋服屋さん、大変でしょうけど頑張って~。私たちも首を長~~くして待ってますよ~!!
てことで、「衣装を待ってる間に(←そればっかり)踊りをレベルアップ計画」第2夜はダンサーの表情の話です。
私たちはよくレッスン中生徒さんに「笑顔で踊りましょ」と申しております。
しかし、そんな我々が実際にデモなどで踊っているのを御覧いただくと、私とマミちゃんの首から下は地井武男...じゃなかった、首から下の動作がいかに一糸乱れず揃っていても、顔だけは好き勝手な表情で踊っているのにお気付きになるのではないでしょうか?
なぜならば同じ曲を踊っていても、そして踊りを揃えることがいかに美しいといっても、表情ばかりは一人ひとりの内面から自然に作り出すべきものであり、それぞれに固有の表情であるべきだからです。
フラは歌詞の意味に沿って踊っているので、まだしもダンサーたちの表情に共通点が見いだせるかもしれません。
悲恋を歌っていれば切ない表情になり、幸せな心情をあらわすときは笑顔が喜びにあふれてきます。
それでも悲しみや幸福感の表し方は個人個人で異なるはずです。同じ感情なら同じ表情になることはまずあり得ません。
もし全員が揃った表情だとしたら、それはほとんどの人にとって故意に作られた不自然な表情ということになります。
だから「笑顔で踊ろう」と並んで私たちが必ず言っているのは、「でも、張り付いたような笑顔は仏頂面と同じくらいマズイ」ということです。
いやマジで、時折遭遇するんですよ。
笑い顔の仮面を被っているか、あるいはピエロのような笑い顔に化粧しているかのような固まった笑顔で踊る人に。
率直に申しましてあれはそうとうキモいです。
私は北朝鮮の人に何ら悪感情を持っておりませんが、それでもかの国の国営放送で流される体操や喜び組の舞台で踊る人々の微動だにしない笑顔を見ると、なにやらうすら寒い気がして参ります。
フラダンサーの固まった笑顔はそれと同じ効果をもたらしてしまうのですね。
笑顔が固まってしまうことの一因は、意味を分かっていないことではないでしょうか。
まず歌詞の意味をおおまかにでもいいので理解しておくと、ぐっと表情が自然になると思います。
あとは歌を歌いながら踊るなどして意識的に表情が豊かになるように心掛ければ、仮面を被ったような笑顔は避けられるでしょう。
実は私もマミちゃんと違って「穏やかな笑顔」が苦手です。
顔の作りも性格もそれ向きに出来ていないもので。
しかし自分なりの笑顔でよいと思い、歌詞の意味を観客に語りかけるつもりで表現していたら、なんとかそれなりの笑顔で踊れるようになってきた今日この頃です。
無理に笑おうとしなくても、だんだんと自然に微笑めるようになるものです。
そういう意味ではベリーダンスの方が表情は作りやすかったですね。
穏やかな笑顔より、不敵なニヤリ笑いとか挑発的な目つきの方が私には得意だったものですから。
ベリーダンスはそれでオッケーなので助かりました。
中学生の頃など、ベリーダンスではほとんど笑わなかったと思います。
ベリーダンスは表情で何か意味を語りかけるものではないので、完全に自分の表現力、アドリブの一環です。
中にはいっさい観客を見ないベリーダンサーもいます。恥ずかしがりの人はそういう芸風(?)がお勧めですね。
トランス状態に陥っている感じになり、それはそれで神秘的です。
ちなみに私は逆に客席の反応を見ながら踊るタイプなので、全体を見渡すにしろ一点を睨みすえるにしろ視線は必ず客席を向いています。
敬愛する梅沢富美男さんはあえて視線を外して色気を出しますが、キャラじゃないんで私はあまりしません。
似合うならやってみたいけどねえ。
ある程度表情の方向性が決まっているフラと、表情のすべてが自分のアドリブにかかっているベリーダンス、どちらをやりやすく感じるかは個人の性格によるでしょうね。
でも両方やっている私としては、それぞれに難しさがあり、だからこそ面白味があると思っております♪
件のオリジナルプリントはかなり大胆な柄で、ウチはそれをふんだんに使うものですから、僅かな配分のずれが大きな誤差を招いてしまうのです。
洋服屋さん、大変でしょうけど頑張って~。私たちも首を長~~くして待ってますよ~!!
てことで、「衣装を待ってる間に(←そればっかり)踊りをレベルアップ計画」第2夜はダンサーの表情の話です。
私たちはよくレッスン中生徒さんに「笑顔で踊りましょ」と申しております。
しかし、そんな我々が実際にデモなどで踊っているのを御覧いただくと、私とマミちゃんの首から下は地井武男...じゃなかった、首から下の動作がいかに一糸乱れず揃っていても、顔だけは好き勝手な表情で踊っているのにお気付きになるのではないでしょうか?
なぜならば同じ曲を踊っていても、そして踊りを揃えることがいかに美しいといっても、表情ばかりは一人ひとりの内面から自然に作り出すべきものであり、それぞれに固有の表情であるべきだからです。
フラは歌詞の意味に沿って踊っているので、まだしもダンサーたちの表情に共通点が見いだせるかもしれません。
悲恋を歌っていれば切ない表情になり、幸せな心情をあらわすときは笑顔が喜びにあふれてきます。
それでも悲しみや幸福感の表し方は個人個人で異なるはずです。同じ感情なら同じ表情になることはまずあり得ません。
もし全員が揃った表情だとしたら、それはほとんどの人にとって故意に作られた不自然な表情ということになります。
だから「笑顔で踊ろう」と並んで私たちが必ず言っているのは、「でも、張り付いたような笑顔は仏頂面と同じくらいマズイ」ということです。
いやマジで、時折遭遇するんですよ。
笑い顔の仮面を被っているか、あるいはピエロのような笑い顔に化粧しているかのような固まった笑顔で踊る人に。
率直に申しましてあれはそうとうキモいです。
私は北朝鮮の人に何ら悪感情を持っておりませんが、それでもかの国の国営放送で流される体操や喜び組の舞台で踊る人々の微動だにしない笑顔を見ると、なにやらうすら寒い気がして参ります。
フラダンサーの固まった笑顔はそれと同じ効果をもたらしてしまうのですね。
笑顔が固まってしまうことの一因は、意味を分かっていないことではないでしょうか。
まず歌詞の意味をおおまかにでもいいので理解しておくと、ぐっと表情が自然になると思います。
あとは歌を歌いながら踊るなどして意識的に表情が豊かになるように心掛ければ、仮面を被ったような笑顔は避けられるでしょう。
実は私もマミちゃんと違って「穏やかな笑顔」が苦手です。
顔の作りも性格もそれ向きに出来ていないもので。
しかし自分なりの笑顔でよいと思い、歌詞の意味を観客に語りかけるつもりで表現していたら、なんとかそれなりの笑顔で踊れるようになってきた今日この頃です。
無理に笑おうとしなくても、だんだんと自然に微笑めるようになるものです。
そういう意味ではベリーダンスの方が表情は作りやすかったですね。
穏やかな笑顔より、不敵なニヤリ笑いとか挑発的な目つきの方が私には得意だったものですから。
ベリーダンスはそれでオッケーなので助かりました。
中学生の頃など、ベリーダンスではほとんど笑わなかったと思います。
ベリーダンスは表情で何か意味を語りかけるものではないので、完全に自分の表現力、アドリブの一環です。
中にはいっさい観客を見ないベリーダンサーもいます。恥ずかしがりの人はそういう芸風(?)がお勧めですね。
トランス状態に陥っている感じになり、それはそれで神秘的です。
ちなみに私は逆に客席の反応を見ながら踊るタイプなので、全体を見渡すにしろ一点を睨みすえるにしろ視線は必ず客席を向いています。
敬愛する梅沢富美男さんはあえて視線を外して色気を出しますが、キャラじゃないんで私はあまりしません。
似合うならやってみたいけどねえ。
ある程度表情の方向性が決まっているフラと、表情のすべてが自分のアドリブにかかっているベリーダンス、どちらをやりやすく感じるかは個人の性格によるでしょうね。
でも両方やっている私としては、それぞれに難しさがあり、だからこそ面白味があると思っております♪