苦節数カ月、昨日ようやく教習所を卒業しました。
いやあ、私にとって本当につらい数カ月でした。
実際に通ったのは秋からですが、教習所に申し込んだ(申し込まされた)のは2月あたまで、いやいや通い出したものですからあっという間に挫折し、長いこと足を向けませんでした。
私としてはそれきり終わりにしたかったのに母がそれを許してくれず、執拗に行くことを促され、これまたいやいや再開したのが10月のこと。
ああ、そういえば10月だったのね。ほんとに苦痛だったものだから、なんだかもっとずっと長いこと通い続けていた気がします。
でもどう考えても9月末の発表会前に行く暇はなかったはずだから、やっぱり通い始めたのは10月になってからだったのでしょうね。
長い2か月半だった...........。
とにかく辛かったのが仮免を取るまでの間でした。
教習所内のコースでやることはことごとく私に向かないことばかりでした。
考えれば私は今まで、苦手なことはきょくりょく避けて通ってきました。
こういうプライドの高い人間ですから、苦手なものに対して無駄な努力をしてやっとこさ人並みにもっていくよりは、得意分野を孤高の位置まで極めた方がいいというのが持論なのです。
こういう鼻持ちならん人間はいっぺん挫折を味わった方がいいとよく言われますが、弱い人間(そもそもプライドの高い人間はえてして弱いものです、プライドが高いのはその脆い自己を鉄壁で防御するためにほかなりません)にそういう挫折を与えると、乗り越えて強くなるどころかペシャンコになってしまいます。
教習で苦労し、仮免検定で幾度と落ちて屈辱を味わい、私はもうペッシャペシャのグッシャグシャでした。
3度目の正直でようやく仮免許には至りましたが、その後も果てしなく長かった...。
誰もが口を揃えて「仮免になってからは早いよ」とおっしゃっていたのに、なぜか私ばかりはいくらやっても先行きが見えず、恐ろしく長く感じました。
唯一の救いは、思いがけないことに車庫入れが得意だったことです。
クランクはいくら通っても引っかかったこの私が、どういうわけか方向転換して車庫入れするときはハンドルを切り始めたり戻したりするタイミングがあたかも天啓が下るように分かるのです。
私が思うにたぶんこのときだけ祖父・良美さんが私に乗りうつっているのだと思います。
良美さん(ちなみに魂のテノール歌手・新垣勉さんの音大の先輩です)は車の運転が無茶苦茶うまく、眼鏡使用なのに平気で裸眼で運転(←ってそれは上手下手とは別問題じゃ)してました。
運動神経が抜群で機械いじりも得意な(こっちはプロだから当り前)良美さんですから、当然のように車の運転も得意なのですね。
私はそんな強者の祖父から機械を見ると後先考えずにいじり倒したくなる癖だけはしっかり受け継いだくせに、運転の才能の方は一ミクロンたりとも受け継げなかったらしいので、そんな私を不憫に思って(というより不安でだろう)良美さんが部分的に手を貸してくれるのでしょう。
検定当日、路上での検定はそうとう覚束ないながら大きな失敗もなく済み、車庫入れもつつがなく成功し、これで不合格だったら私ゃ一生受かんないだろうなという手応えでした。
でもそれでおもいがけず合格し、仮免のときはさんざん落ちたものですからまさか一回目で受かるとは思っていなかったためまったく実感がなく、自分の実力というよりは懸賞に当たったような気持です。
おいおい、こんな奴に合格出していいのかい。
いやあ、私にとって本当につらい数カ月でした。
実際に通ったのは秋からですが、教習所に申し込んだ(申し込まされた)のは2月あたまで、いやいや通い出したものですからあっという間に挫折し、長いこと足を向けませんでした。
私としてはそれきり終わりにしたかったのに母がそれを許してくれず、執拗に行くことを促され、これまたいやいや再開したのが10月のこと。
ああ、そういえば10月だったのね。ほんとに苦痛だったものだから、なんだかもっとずっと長いこと通い続けていた気がします。
でもどう考えても9月末の発表会前に行く暇はなかったはずだから、やっぱり通い始めたのは10月になってからだったのでしょうね。
長い2か月半だった...........。
とにかく辛かったのが仮免を取るまでの間でした。
教習所内のコースでやることはことごとく私に向かないことばかりでした。
考えれば私は今まで、苦手なことはきょくりょく避けて通ってきました。
こういうプライドの高い人間ですから、苦手なものに対して無駄な努力をしてやっとこさ人並みにもっていくよりは、得意分野を孤高の位置まで極めた方がいいというのが持論なのです。
こういう鼻持ちならん人間はいっぺん挫折を味わった方がいいとよく言われますが、弱い人間(そもそもプライドの高い人間はえてして弱いものです、プライドが高いのはその脆い自己を鉄壁で防御するためにほかなりません)にそういう挫折を与えると、乗り越えて強くなるどころかペシャンコになってしまいます。
教習で苦労し、仮免検定で幾度と落ちて屈辱を味わい、私はもうペッシャペシャのグッシャグシャでした。
3度目の正直でようやく仮免許には至りましたが、その後も果てしなく長かった...。
誰もが口を揃えて「仮免になってからは早いよ」とおっしゃっていたのに、なぜか私ばかりはいくらやっても先行きが見えず、恐ろしく長く感じました。
唯一の救いは、思いがけないことに車庫入れが得意だったことです。
クランクはいくら通っても引っかかったこの私が、どういうわけか方向転換して車庫入れするときはハンドルを切り始めたり戻したりするタイミングがあたかも天啓が下るように分かるのです。
私が思うにたぶんこのときだけ祖父・良美さんが私に乗りうつっているのだと思います。
良美さん(ちなみに魂のテノール歌手・新垣勉さんの音大の先輩です)は車の運転が無茶苦茶うまく、眼鏡使用なのに平気で裸眼で運転(←ってそれは上手下手とは別問題じゃ)してました。
運動神経が抜群で機械いじりも得意な(こっちはプロだから当り前)良美さんですから、当然のように車の運転も得意なのですね。
私はそんな強者の祖父から機械を見ると後先考えずにいじり倒したくなる癖だけはしっかり受け継いだくせに、運転の才能の方は一ミクロンたりとも受け継げなかったらしいので、そんな私を不憫に思って(というより不安でだろう)良美さんが部分的に手を貸してくれるのでしょう。
検定当日、路上での検定はそうとう覚束ないながら大きな失敗もなく済み、車庫入れもつつがなく成功し、これで不合格だったら私ゃ一生受かんないだろうなという手応えでした。
でもそれでおもいがけず合格し、仮免のときはさんざん落ちたものですからまさか一回目で受かるとは思っていなかったためまったく実感がなく、自分の実力というよりは懸賞に当たったような気持です。
おいおい、こんな奴に合格出していいのかい。