昔の大阪は、私にとって遊べる街でした。といっても、私の遊びって何だったかなぁ。
友だちとお酒を飲んだり、意味もなく歩いたり、映画館に入ったり、本屋さんをめぐったり、バザール(古本? フリマ?)にでかけたり、なんだかんだしたような気がします。
今は、特に欲しいモノもなくて、お金を使おうと思ったとしても、使う場所がありません。もともと私はお金がないので、どこでもお金を使わなくなりました。何も買いません。ただ、そこにいたら、お腹が空いたり、電車・バスに乗らなくてはならなかったりするだけでお金は使わなくてはいけないので、できたらあまり滞在したくない街になってしまいました。
大阪へ行くよりは、三重でゴロゴロしていた方がまだましです。そして、大阪のナツは最悪です。人が住むところではありません。ただ耐えて、ただお金が儲かるか、お金を使わされるか、人には会うけれど会いたい人は特にはいない街です。
まあ、大阪の人も、三重なんか伊勢神宮はあるけれど、一度行ったら十分で、あとは全く行く価値のないところだと思っているでしょう。確かに買い物をするところもないし、ステキなものがあるわけではないし、なにもありません。ただやたら神社があって、お寺はたくさんあるけれど公開していなくて、公開していてもパッとしないし、行かなくてもいいところだと思われます。
そうです。サミットが開催されるとしても、世界の首脳さんはあまりに何もないし、雨はたくさん降るし、いつ地震や津波がくるかもしれないし、落ち着いて過ごせないでしょう。とんでもないところなのです。
でも、私は三重県に住んで、それなりに楽しんでいて、大阪よりもはるかに暮らしやすい、暑くもない、食べ物がおいしいステキなところだと思っています。だから、本来なら、もっとこの何でもない感じを売り物にして、都会の人を集めなきゃいけないのに、何もないというのが都会の人には魅力がないんでしょうね。だから、イベントをしなくちゃいけないけど、そういうのはすぐにアイデアはなくなってしまう。
三重の魅力、これからまた考えなくちゃいけません。何もないとふんぞり返ってはいけない。古くて懐かしい、穏やかなものは存在する。人々がそれを求めるかどうかです。
とりあえず、大阪の実家の近所、渡し船に乗るところで番犬がいて、朝は必ず吠えてくれます。実に忠実なワンコです。顔もかわいいし、お仕事熱心で偉いなあと感心します。
川は、あんなに雨が降ったのに、変なドロが浮遊していました。渡し船乗り場のあたりが淀んでいて、変な浮遊物の変なにおいがしました。川もミドリと灰色で流れていません。昔みたいに工場の廃液は流れていないですし、生活排水もないはずです。だから、もうこれは大阪湾と長年の汚れがそのまま洗い流されないで止まっている感じでした。
町中を歩いていると、自民党も、共産党も、大阪都構想には反対だったようで、これだけの敵を抱えながら、維新の党の橋下さんはよく頑張ったんだなと思いました。でも、大阪都はいらないですね。そうした立派な構想よりも、無駄遣いを一切しない、ムダを切り捨てる市政で、最低限だけはしてあげるけれど、あとは自助努力という町にしてくれたらよかったのにね。もう遅いですね。
そして、ネコは朝の街角にじっと座ったままでした。静かで穏やかな時間を過ごしていて、私もこれくらいの余裕がほしいところでした。