甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ガングロとラッパズボン

2022年10月21日 09時29分35秒 | 私たちの社会・世界

 ガングロというのは、90年代に女子高生たちの間で流行った恐ろしい風俗だったような気がします。別名をヤマンバルックとか言ったんでしょうか。

 顔を黒くします。どんな化粧品があったんでしょう。くちびるは何だか大きくなっていました。赤ではなかったと思います。それこそ、何もかも取って食べそうなくちびるになっていました。どうしてそうなのかはわかりませんが、そんなだったと思います。

 髪の毛はチリチリで茶色、派手な髪飾りもあったんでしようか。そして、あしもとは象の足のようなルーズソックスをつけて、地面についていたんではなかったかな。地面を掃き掃除しながら歩いていたんでしょう。靴はどたぐつで、ドッカ、ドッカと歩いていました。

 中身は普通の10代の女の子のはずなのに、すべてを拒否した感じで、無愛想を装っていた。まあ、大人たちと話をしたら、いろいろと自分のことを説明しなくてはならないし、だとすると、なぜそんなところに至ったのか、わからなくなるから、それを拒否姿勢でかわすしかなくて、あんな対応になっていたんでしょう。

 ブームが去った後には、彼女たちは普通の大人になったり、自らの生き方を見つけて、違う姿へと変身していったはずです。今では40代半ばで立派な大人になっているんでしょう。そういう姿を経なくてはならない何かがあったはずです。90年代って、私たちは何をしていたんでしょう。

 何だか世の中がプスプスと、いろんなエネルギーが外に吹き出している時代ではあったようで、阪神大震災があり、オウム真理教の事件がありました。少しずつ私たちの社会が崩れて行ってたんでしょうか。それから二十数年、いよいよ私たちは崖っぷちに立たされているのかもしれません。



 円安で、メリットはあるはずなのに、全く人々には感じられず、ただ物価が上がり、ガソリンその他も高くなっている。これでいいのか? よその国々は違う方向で動いているんじゃないの? と、不安になるのに、放置されたままです。

 北朝鮮は、誰も相手にしてくれないから、自分たちに注目してもらおうと闇雲にミサイルを飛ばしています。本当にすごいものは飛ばしてないと思われますし、ただの空砲ばかりの大騒ぎと思いたいけれど、誰にも何ともできないのが辛いところです。そんなに騒いでいるのだから、隣国である日本政府が、優しく声をかけてあげたら、どれだけあの国も落ち着くと思うのですけど、放置されたままです。実は私たちの中から何人もの人たちが人質に取られているのに、日本政府はその人質奪還ができていない。いつまで待てばいいのでしょう。どれだけ個人のもどかしさを放置しているのでしょう。

 物価は上がり、給料は安いまま、よその国への働きかけはしないし、あんな大事故があったのに古い原発を再稼働させようとしている。内部の様々なミスは想定内だか、想定外だか、いつも事後承諾で適当にごまかし、よその国の人たちは内心笑っているのに、地域に産業をもたらすという議論で地元は歓迎し、産業界は安定的で永遠に燃え続ける原子力で経済バンザイを叫ぶことでしょう。

 核のゴミは? 発電所の下の断層は? 巨大地震は? 安心安全神話の危なっかしさは? 人間がコントールするミスは? 事故が起きたあとのごまかし体質は? 責任はだれが取るの? 様々な疑問は無視されたままです。議論よりも経済だ、ゴミなんて、なんとかなるだなんて、なんていい加減な国なんでしょう。

 崖っぷちのこと、たくさんあるような気がするけど、今思いついたのはその程度です。もっとメモしておかないと。そもそも3倍の格差のある選挙も放置しているんですから、民主主義国家というのも怪しいものです。結果だけがすべてで、その結果はどのようにして成立しているか、本当に選挙として成立しているのか、そもそも選挙に来てもらうために政治家はどれだけの努力をしているんだろう。

 キリがないですね。


 崖っぷちの私たちは、落ちてしまってはいけない。踏みとどまって、私たちにできる限りのことをして、平和で、事故のない、安心して暮らしていける社会を作っていかなくてならないのです。

 70年代、ラッパズボンをはいてた私。自分で買ったものではなくて、知り合いのお兄さんからもらったズボンをはいていました。自分でジーパン屋さんに行くほどのおしゃれっ気もなくて、お金も余裕がなくて、ありあわせのものでいいから、若者らしい格好をしたかった。でも、センスもなくて、まわりにアドバイスしてくれるような友だちもいなくて、高校時代はずっとラッパッパーでした。

 何にも考えていなくて、世の中が戦争もなくて、平和になったものだとかなんとか思ってたでしょうか。

 でも、70年代のボンヤリの私も、90年代のガングロの女の子たちも、同じ地平を生きていて、今も同じ崖っぷちにいます。

 早く、崖っぷちを離れて、穏やかな浜辺に行きたい。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ラッパズボン懐かし~ (yamahiro)
2022-10-21 12:02:31
   こんにちは~ 
  ラッパズボンの文字が懐かしかったです。
  1970年代大流行で、28cm⇒32cmと
  先輩の目を気にしつつ裾が広くなりました。
  その後は、ステッチの入った物で、シングルステッチ&ダブルステッチと
  いや~10代後半の懐かし思いで蘇りました。
  有難うございました。
ありがとうございます! (甘い生活)
2022-10-23 06:18:34
私は、まるで主張がなくて、母が勧めるからラッパズボンのベルボトム、弟がそんなんじゃダメだとストレート。まわりにあれこれ言われたものを身につけています。今は妻と一緒にユニクロに行き、綾瀬はるかちゃんのCMのなんとかスリムで、斎藤佑樹くんになった気分でおります。彼くらいカッコイイとそれなりでしょうけど、私ではねえ。まあ、流されながらやっています。

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