甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「明治」という国家 上(司馬遼太郎)1989

2021年07月21日 04時33分41秒 | 本読んであれこれ

 30年ほど前に出された本を今ごろやっと読み終えました。語られている人たちというのが、勝海舟さんだったり、小栗忠順(おぐりただまさ)さんの幕臣だったり、副島種臣さんだったり(この方は肥前・佐賀の人でした)、西郷さんだったり、過去の人々だから、今読もうと、買ってからすぐの読もうと、そんなに変わりはないのです。

 この本そのものは、89年に単行本が出て、94年に普及版が出て、2016年に46刷目が出て、それくらい読み継がれて、結局私は2019年の夏に実家の近所のブックオフで買いました。

 長い旅路を経て、これからも読み継がれていくでしょうか。

 さっきの人たちというのは、どのようにして近代国家というものを作ろうとしたか、よその国に対してどのように向き合うのが正しい形なのか、たぶん模索したはずで、その断面を取り上げてくれたのだと思われます。

 1860・万延元年のニューヨークの幕臣たちのパレードから語られるのは、まず幕府の人々が、自分たちの置かれた状況の中で、幕府を存続させながら近代国家を作るにはどうしたらいいのか、自分たちは徳川幕府の中では力をふるえるけれども、日本という国全体では何もできないし、そもそも日本国内には280ほどの小国家があって、その連合体のトップが幕府であり、小国家は時々は江戸に出てくるけれど、自分たちの国家の運営は自分たちでやっていました。

 だから、確かに代表ではあるけれど、自分たちの立つところは、諸外国にいかに向き合うのか、何から何までわからなさ過ぎて、息苦しい気分ではあったと思われます。



 そうした模索の時代から百数十年経過して、世界の中で世界の人々を集めてオリンピックというイベントを開くまでになってきた「この国」、いろんな歴史があったと思われますが、私たちが知りたいのは、その中で人々はどんなふうに生きて、どんなふうに考えていたのか、そういうことでした。

 私は、あまり国家というものに向き合いたくない人間です。

 国家が私に声をかけてくるとき、それはたいていとんでもない時です。今はお金を払えというのがとても多い。

 道を走ってても、「さて、10キロオーバーですから、?万円払ってください。法律ですから」ということはあるし、この前も前を走ってたクルマは引っ張られていました。坂道を登るところで引っ掛けてたけど、あれはビックリでした。

 他にもいっぱいお金を出しなさいというのは言われています。スーパーでお買い物しても、どれくらい国家に貢献したのか、結果だけは見せられて、最近はすべて含めての貢献なのかと諦めてはいます。なるべくなら、貢献しなくてもいいように、お買い物はしないようにしてるんだけど、欲しいものがあったら仕方がないし、ついつい国家を支えてしまいます。

 下世話な話でしたけど、そうして目に見えない国家が、オリンピックなどの行事を通して、さあ、新しい国立劇場だよとか、いじめを自慢していた音楽家だよ(開会式の音楽から外されたとしても、イヤでも聞かせられますね)とか、マスコミを通して目に見える形で現れてきます。



 今も「明治国家」からの模索は続いているんでしょう。

 私は、国とどのように向き合うのか、そんなに時間はないと思うけれど、とにかくここにいさせてもらって、思うところはあったでしょう。モヤモヤしていて、自分の立つところがハッキリしていない部分はあります。

 私には、あれこれとした想い出・記憶はありますが、それが確固たる歴史となっているかというと、ただのつまんないオッサンが生きてきただけで、国家との関連性のない、どうでもいいものではあります。でも、私としてはそれがかけがえのないものだし、あとしばらく続けていかなきゃいけないし、若い人たちにどうしていくのか、伝えなきゃいけないのかなと思っています。

 国家という、古くて新しいテーマでした。オリンピック直前でもあります。

 下巻も早く読んで、何か考えたいと思います。

 明日から4連休、困りました。何も予定がなくて、お金はあるのに(?)、どこにも行けない自分を抱えています。
 

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