甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

野坂さんの2008年

2024年03月09日 14時55分10秒 | 本読んであれこれ

 ついこの間、古本で『絶筆』(2019 新潮文庫)を買いました。3分の1くらいまで読み進めました。あと400ページほどありますが、気長に読んでいこうと思っています。

 野坂昭如さんは、いろんな活動をされてたのだ。政治家は知っていました。タレントで歌も歌ったり、コマーシャルにも出たり、〽ソ、ソクラテスかプラトンかなどのCMソングは350曲ほど作詞されたそうです。

 ラグビーのチームを作ったり、シャンソン歌手になったりもしたそうです。小説家でもありましたね。

 2003年に脳梗塞で倒れられ、そこからリハビリもしっかりして、執筆は奥様に口述筆記をお願いして2004年から亡くなる2015年まで日記を発表されていました。その10年以上のまとめが『絶筆』でした。

 2007年のところでも感じていましたが、2008年も今と同じです。同じことが話題になり、何も解決せず、だれも責任を取らないままにあいまいな社会が続いているという印象です。

 2008年の11月まで大統領選が話題になりました。そして、とうとうオバマさんが大統領に選ばれるのです。世界は新しい空気に包まれていくし、変わっていくものだとその気になったものでしたが、それから12年何も変わらず、今では最悪の選択に向かってアメリカは進んでいるようです。オバマさんを選んだアメリカはどこに行ったんだろう。それだけ取ってみても、世界は不寛容に向かっているようです。

 2008年の1月のテレビは、「大食い」が大流行りだったそうです。

 大食いとは何だ。制作側の思い上がり。視聴者を馬鹿にしている。恐いものみたさの見せ物のようなものだ。

 もちろん今はそういう流行りはなくなったけれど、何をやっているのか、私にはわかりません。テレビ局の人たちも何が求められているのか、もうわからなくなっていると思われます。お追従・おべっか・うちわ受けなど、とてもつまらない世界があるような気がします。見てないからえらそうなことは言えないけど。



 2月 中国製冷凍ギョーザ中毒が茶の間に飛び込んできた。

 近ごろは、具体的な例はないですが、私たちの生活の中に中国製の食品は入り込んでいるでしょう。でも、野坂さんはある程度は仕方がないけれど、食料は自給できるようにしなくてはならない、とも書かれていました。この問題は今も私たちのテーマですけど、誰もそれにまともに取り組んでいない。

 牛乳はたくさんできたら、それらを廃棄させたり、和牛の輸出を進めるとともにお肉は輸入に依存し続けていることでしょう。高級品だけを自給して、安いものは海外から入れたらいい、そういう考えでしたね。そこに安全思想はありませんでした。安ければいい、それが為政者の理屈でした。

 アメリカとの関わり合いを思えば、昭和16年の頃と大差はない(鬼畜米英と言ってた時でした。憎いけど、向き合わねばならない大国でした)。アジアを見る我が国の眼差しも当時と変わりはない。このままでいては、日本は危ないと甲斐なきことを思いつつ、かくして老人は老けゆくのかと苦笑いするのみ。

 私たちはどれだけアジアの中の自分たちであり、ともに助け合う仲間としてどれだけ見ることができたのか。相変わらず欧米的な視線で蔑視してないのか。人の力でバカにされるのは時間の問題なのに、いつまでも栄光にすがっているのか、ですね。



 6月、四川省の大地震
 日本政府のもたもたぶりは今に始まったことじゃないが、また繰り返された。災害時対応に、一国の品位が問われる。

 野坂さんは品位を云々されてますけど、政府はその当事者のことよりも、いかに自国の利益配分をするか、そちらの計算で忙しくて、すばやい反応なんかできないですよね。

 6月、岩手、宮城の大地震による被害をメディアで確かめる。発生から日が経つにつれ、当然のことながらその量は少なくなった。被害にあわれた方の多くは高齢者である。身につまされる思いだ。

 2008年にも既に地震はあった。それからもずっと、昨日だってあったみたい。ずっと対応は迫られているのに、誰も自分のことと考えないし、高齢者だけがうまく対応できなくて動きを奪われていくのかもしれません。



 9月、変な時間に福田首相が政権を投げ出すコメントを発表。別に驚くこともない。だが、世襲政治家の常、パターン化しつつあると簡単に決めつけるのは戦後の悪しき流れ。

 今も私たちは、世襲政治家たちがまとまった政府とやらをいただいていることになっています。みんなが選んだ人たちなんだから、どうしようもないけど。福田さんの後は麻生さんだったようで、全く新鮮味のない「世襲」はもう伝統みたいになってますね。

 あと7年分あります。今に変わらないことが続いていくような気がします。

 ということは、2024年に生きる私も、野坂さんと同じように「何にもならないな」と思いつつ、これからも生きていくような気がします。「ああ、よかったな」というニュースなんて、数年に一回あるかで、ニュースというのは、同じことを何度も何度も、何の変化もないのに流し続けるんですね。イヤになってしまう。もっと本でも読んで、具体的な何かをしたいです。また口先ばかり!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。