甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ブラック・レイン 1989

2022年06月12日 08時38分33秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 リドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」を録画して、細切れに見て、やっと今朝見終わりました。何かをしながらですし、集中して見たわけではないので、見落とした部分はたくさんあります。

 これを保存するかどうか、少し心が揺れます。ディスクに保存するべきか、それとももう消してしまうのか、どちらかというと、消してしまえという気持ちになっています。

 保存しておきたいのは、高倉健さんが出ていたから、です。健さんの代表作ではありませんが、いつもの健さんらしい仕事をしていたから、残しておきたいという気持ちが少し……。

 他のマイケル・ダグラスさんも、松田優作さんも、アンディ・ガルシアさんも、いつもの雰囲気にはなっていました。名作なのか、何のために保存するのか、わからなくなっています。

 そもそも二度と見ないかもしれないのに、どうして保存しておくんだろう。世の中に作品はあふれているし、私が保持しておく必要はない気がする。まあ、しばらくHDに残しておいて、いつか消すかな……。


 松田優作さんが敵役です。ニューヨークで日本のギャングを襲い、それをニック(マイケル・ダグラスさん)が現場で捕まえてしまう。アメリカで犯罪を犯したのだから、アメリカで処罰すればいいのに、どういう訳か、Osakaへ護送しろという。

 この設定がおかしいのですが、まあ、映画のためにそれを許すことにして、空港へ到着したと思い、飛行機の中へ入って来た連中に松田優作さん(サトー)をゆだねてしまう。それは偽装警官たちで、まんまとサトーは組織の中へ戻ることができた。

 護送を担当したニックは、仕方なしにサトーをOsakaの街で追いかけなくてはいけなくなります。行きがかり上です。でも、日本では権限がないから、自分たち担当となったマサ(高倉健さん)に付き添われて、大阪の工場街、大規模市場、巨大キャバレーなどを巡ります。

 仲間のアンディ・ガルシアさんは殺され、ニックはかたき討ちの意味も含めて、どうしても戦わねばならない状況になって戦い、とうとう最後にはサトーを逮捕して、帰国する、そんなお話でした。


 リドリー・スコットさんが監督さんなので、独特の映像美やら、エギソチシズムなども織り交ぜて、武士道もののアメリカ版みたいなのが行われます。

 やくざの抗争の中で殺害事件が起き、新進のサトーのグループが、他の親分たちを出し抜くという設定です。そもそもサトーは何をしてのし上がろうとしているか、ドルの偽札の原版を奪うため、親分を殺したり、それをたてに親分たちを揺すろうとしたり、そんなことで抗争が生まれるのか、その辺りはよくわかりませんでした。

 やくざの抗争のために、ニックは来日させられ、日本の警官と連携しなくてはならなかったのか。物語そのものの成り立ちはイマイチ納得できていません。でも、設定うんぬんよりも、私が今回見つけたことを書いておきましょう。


 タイトルの「ブラック・レイン」です。このタイトル、画面に縦書きで表示されました。「BLACK RAIN」が赤い文字で出てきます。そして、赤い丸も出ていました。まるで、「黒部の太陽」みたいでした。

 黒地に赤の文字、何かの意味があるはずでした。

 雨なのに、赤なのです。そして、どうして「雨」なんだろう。

 親分衆の中に若山富三郎さんがいました。彼にニックが会見した時、戦争の空襲のことが語られます。その時に親分は十歳だったそうです。空襲で街は焼け焦げ、雨が降れば黒い雨になった。いや、それは原爆の後だから、焼夷爆弾そのものを黒い雨とたとえたんだったか、とにかく、米軍の攻撃による「黒い雨」があったと語っていて、これがタイトルになっていました(1935年生まれだとすると、映画の中では54歳になるんですか。それは少し無理がありましたけど、昔の54歳は貫禄があったのかなあ?)。

 そうした攻撃をもたらしたアメリカで、大儲けするためにドルの偽札づくりをしている日本のやくざたち。四十年前の逆襲が80年代の終わりには続いていたのでしょう。日本という国が必死になってアメリカと戦っていた。人々は連携したり、処罰したりしながら、平和裏の戦いをしていたようです。

 そんなにまでしてアメリカ進出し、たくさんの工業製品を売り込み、現地でも製品を作り、世界へ進出した日本という国があった。

 それから30年以上の歳月が過ぎて、アメリカは相変わらずなのに、没落した日本がいます。アメリカにも、ロシアにも、中国にも、北朝鮮にも、官民財と人々、みんなで世界の荒波におびえ、細々と生きようとする私たちになっている、というのを思い知らされます。


 松田優作さんは、残念ながらあだ花になりました。本当なら、ハリウッドに進出して、いろんな仕事をしてもおかしくなかった。

 彼を主役にする作品があれば、あってもおかしくないのに、この作品が公開された1989年には亡くなってしまいます。

 Osakaという街も没落し、今ではコロナの嵐の吹き荒れる、政治不毛の、みんなが不平ばかりを鳴らす街になってしまっている。


 そうじゃなかったと思うんだけど、そうなってしまっている。

 もとからあったものを見直して、もう一度基本的なことから始めないといけないと思います。余計なものは要らない。ムダのように見えるけれど、人々が豊かに暮らせる街を作らなくては! 外国人のお金を当てにしなくて、のんびりと自然と文化の特別な地域を作り出さなくては!

 つまらないイベントも要らない。人を大事にする街になってもらいたい。全国の人たちがぜひ住みたい街になってもらわなくちゃ! 古くさい、役に立たないものを見直して、ひとりひとりが安心して暮らせる街。

 とにかく、まず安定雇用の拡大かな。そういう事業所をたくさん支えていけないかな。そんなことを考えちゃいますね。香港や上海にならなくてもいいし、ニューヨークにならなくていいから、文化学園地域になってくれないかな……。無理かな。

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