ネットから花山天皇の画像を取り込もうとしたら、1890(M23)年の月岡芳年さんの絵しかありませんでした。引退されてから20年以上も法皇としてお坊さん的な生活をされたのだから、そういう画像はどこかで見たことがあったような気がしますが、無念のご出家をされは場面は、ネットの世界では簡単には見つかりません。
本当にネットでは、たくさん情報があるようで年々ビジネスに関係するものしか見つけられず、すべて「売らんかな」のための情報しかないようです。つまんないね!
よりによって明治のころの絵しかないなんて! それくらい花山天皇は忘れられた存在だったのかもしれない。千年の時間があれば、それはもうたくさんの断絶があるから、私たちが勝手にイメージして物語を作ったとしても、ものすごく現実離れしているかもしれません。
というんで、昨日に続いてテレビネタですね。本当に近ごろは不活発で、家でずっと閉じこもってますからね。テレビくらいしか外に開かれた窓はないんだな。外に行けば花粉も飛んでますしね。
「寛和(かんな)二年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二の夜、あさましくさぶらひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家(おおんすけ)入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと、二年。そののち、二十二年はおはしましき」……大鏡
驚きましたのは、その夜に誰にもお知らせにならないで、花山寺(元慶寺、京都市東山区にあるらしいです)でご出家なさったことでございます。その年は19歳で、それから22年この世にいらっしゃいました。
えっ、41歳で亡くなってるの? と、そっちが気になるけど、昔の感覚で言えば、まあ、普通だったか、少し早い程度だったのか。
それなのに、大鏡という歴史物語の語り手は、なんと200歳になろうかという大宅世継(おおやけのよつぎ)と少し若い夏山繁樹という高齢のオジイサンたちだから、それと比べると、人の命の短いこと!
はかない命のアンチテーゼというんでしょうか。そういう存在が自分たちの見聞きした歴史を語るというおもしろい本でした。残念ながら、私の愛読書にはなくて、ただの積読書でしかありませんね。ああ……。
「さやけき影をまばゆくおぼしめしつるほどに、月のおもてにむら雲のかかりて、少しくらがりゆきければ、『我が出家は成就するなりけり』とおぼされて、歩み出でさせ給ふ」
キラキラのお月さまの光、といっても二十二月ならかなり小さくなっていると思われますが、それなりに明るかったでしょうか。闇夜に乗じてと思っていたので、「これでは無理じゃないの。明るいじゃないの」と帝が仰せになられた。すると、すぐに月にむら雲がかかり、「ああ、やっぱり出家する計画はしなきゃいけないみたいだね」と、諦めて、花山天皇は牛車に乗っていかれました。
安倍晴明は、自分の家を通りかかるその牛車を感じ、「いよいよ帝はご退位なさるのだな」と感知したということでした。大河ドラマでは、晴明も積極的に退位作戦に参加したという、政治的な存在として描かれていました。
私は、もっとニュートラルな存在なのかなと思っていましたが、そうでもなく、それなりに胡散臭い人だった、かもしれない。
ドラマ的には、この花山天皇のご退位がメインでしたが、まひろさんと道長さんが、大河ドラマなのに大胆なキスをしたり、あんなあばら家で結ばれてしまったり、何だかイメージが狂ってしまった。もっとこっそりではあるけど、それなりの場所で結ばれると思っていたので、『源氏物語』のあばら家の女の人みたいで、何だか変でした。まあ、それは私の勝手な理想でしたか。
もう、こうした経験を積んで、まひろさんは大きくなっていくんでしょう。まあ、私が『源氏物語』を読み切ることはないですね。残念だけど、あまりに興味がなさ過ぎです。でも、こうして道長さんとつきあうことで、彼女の光り輝く君のイメージは作られていったのだ、という視聴者としてのイメージは積み重なっていきますね。