甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

伊丹十三さんと宮本信子さん

2024年03月02日 21時39分19秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 ここ何日か、風の強い日が続きました。今日もそれなりに風は吹いていたようです。確か、空は晴れてたような気がしたけれど、外にも出ていないので、どんなだったか知ることもできませんでした。

 奥さんが買い物に行こう、と誘ってくれましたが、それさえ断ってしまった。どうしたんだろう、ずっとボンヤリしていた感じです。右目は花粉なのか、寝不足なのか、顔を洗っても目がメタメタしていました。それも右側だけです。まつ毛のせいなのか、何か支障があるのか。眼科は行きたくないから、あまり考えないようにしています。花粉症のせいなのだ、ということになっています。

 たぶん、そのはずです。

 ずっと家にいたのだから、何だってできたはずです。でも、お仕事みたいなことをして、私のやりたいことは何もできませんでした。

 そもそも私のやりたいことは何だったんだろう。お昼にNHKの「知恵泉」という番組で監督の伊丹十三さんのことを、伊集院光さんとあと二人の方が話しておられたのを見ました。もちろん、宮本信子さんのインタビユーも入っています。

 お二人は十いくつ離れていて、結婚されて、何から何まで伊丹さん流のあれこれを伝えられ、夫婦というよりも先生と弟子みたいな感じだったそうです。でも、「いつかあなたの映画を作りなさい」と宮本さんが伝え続け、伊丹さんはずっと拒否し続けていた。それが結婚十数年、宮本さんのお父さんが亡くなられたとき、その時のことを取り上げて「お葬式」なる映画を作った。五十一歳で初の映画監督で、ここからいくつかの映画を作っていき、ずっと戦う女な作品で宮本さんを主役に押し立てて作っていった。三作目から「マルサの女」からずっとそうだったそうです。

 戦う女シリーズの集大成を作るよ、と何日か前に伊集院さんに語っておられたということですが、スッといなくなってしまわれました。

 そして、宮本さんは、「今なら褒められてもいい」みたいなことを話しておられて、師弟関係みたいなご夫婦が、とうとう一緒に作品を作る仲間になれたみたいな実感を語っておられました。伊丹さんがおられなくなって何年も過ぎている今、やっとお互いをたたえ合えるような気持ちになって来た、みたいなお話は少し感動的だった。

 歳月は、いろんな関係を熟成させ、たとえ相手がいなくなったとしてもずっと二人の関係は続いていて、ようやく仲間・大事なパートナーとして認め合える、そんなのができていくだなんて、素直な気持ちなのかなと思えました。

 宮本さんのコメントは感動的だった。


 私は、どこにも行かないでそんなお昼を過ごしていたらしい。夜は、これまたテレビなどを見て、どこにも行けない自分を嘆いていたのです。どこに行ってもひどいのは目に見えています。それをあえて飛び込んでいくのか、行かないのか。私の勇気が試されています。あまりチャレンジャーではないのです。

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