甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

朝なのに、「おやすみなさい」

2019年07月17日 05時22分24秒 | 三重の文学コレクション

 石垣りんの本を読んでいて、「三重の文学」を見つけました。

 東海テレビから依頼されて、放送が終了するときに流すことばを書くことにしたそうです。

   おやすみなさい

おやすみなさい。

夜が満ちて来ました。
潮のように。
ひとりひとりは空に浮かんだ
地球の上の小さな島です。

朝も 昼も 夜も
毎日
何と遠くから私たちを訪れ
また遠ざかって行くのでしょう。

いままで姿をあらわしていたものが
すっぽり海にかくれてしまうこともあるように。
人は布団に入り
眠ります。

濡れて、沈んで、我を忘れて。

私たち 生まれたその日から
眠ることをけいこして来ました。
それでも上手には眠れないことがあります。

今夜はいかがですか?

布団から やっと顔だけ出して
それさえ 頭からかぶったりして

人は 眠ります。
良い夢を見ましょう。

財産も地位も衣装も 持ち込めない
深い闇の中で
みんなどんなに優しく、熱く、激しく

生きて来たことでしょう。

裸の島に 深い夜が訪れています。
目をつむりましょう。
明日がくるまで。

おやすみなさい。

 私たちは小さな島なんですね。いつ地球に取り込まれてもいいわけだ。それで、私はついさっき、浅い眠りから覚めて、こうしてPCを開いているわけですね。

 この詩を朗読してもらったら、ちゃんと眠れるだろうか。うちの奥さんの声で読んでもらったら、寝れるかな。いや、最近は彼女の声を聞かなくても、22時にはコテッと寝てますから、話にならないかな。



 朗読のための詩、と言っても他の詩を書く時と同じですが、ただ音で聞いてわかりにくい言葉は始めから使わないだけの違いで。
 名古屋の東海テレビが、一日の番組終了を知らせる局のサイン=クロージングに詩を流したいから、と言われてこれを書きました。昭和五十五(1980)年四月以降、現在もギター曲が流れる中で、俳優さんによる朗読が続けられているそうです。

 ということがあったそうです。もう40年も昔の話です。

 詩の依頼を受けた際、例えば心の中に少しばかり耕された畑があって、茄子だのきゅうりだのが植わっている。あ、あそこにちょうど食べごろの実が成っている、と目安をつけ承諾することがあります。そんな都合のよいことはめったにないのも事実ですが、私たち、生まれたその日から眠ることけいこして来たという、当たり前だと言ってしまえばそれだけのことが、この時どこかに言葉として実を結んでいたように思います。でもそれだけでは詩になりませんので、いつもながら不安な気持ちで畑に行ってみたら、子守唄に必要な言葉はどうやら手籠を満たしてくれた、と言ったらよいでしょうか。

 頭の中をいつも耕しておかなくてはならなくて、そこでいろんな作物を植えている。それを取ってきて、詩を作る作業をされていたそうです。なかなか面白いたとえです。

 いつでしたか、三重県津市のビジネスホテルに宿泊、百円投入してテレビを見ていたら最後に「おやすみなさい」が流れて来ました。自分の書いた詩を旅の枕に、うとうとと我を忘れて行きました。

 そうでした。りんさんは、関東の人なんだけど、四日市のぜんそくで苦しんでおられた人々を取材したり、津にも来てもらったりしてたようです。

 津って、よそから来たら、何だか取りつく島がない、味気ない街です。どうしたら、もっと猥雑で、ガチャガチャした街になれるんだろう。まあ、めざす方向が違います。三重県民は、津市におしゃれな街を求めているんだから。



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