今朝のテレビのニュース、ベラルーシのルカシェンコさんが大統領30年目ということでした。それなのに当たり前に選挙で、自分たちが支持されている形を作るということでした。当然のことながら内部の腐敗はあるけど、それに対する批判は徹底的に抑え込んだということでした。いつか、独裁者は滅びても、また新たな独裁者を作ることになるんでしょう。というのか、そういう流れができるんでしょう。
近所の王国だって、今の三代目の後は、次は女王様が生まれるようですが、まわりの人たちがそういうのを許すから、独裁は代々続くんでしょう。断ち切るためには、人々がどこかで猛反発をしなきゃ、いつまでも続くんでしようか。
話し合いで、民主主義的なものを作るなんて、そんなの絶対に無理ですね。
さらにテレビを見続けていると、チベットを中国人ディレクターがヒッチハイクする15分番組がありました。そこにある温泉には「貧困救済温泉」みたいな看板が掲げられ、漢民族が少数民族を助けてあげるというスローガンがあり、習近平さんの写真が公共施設だけではなくて、個人の家にも掲げられてありました。なんということでしょう。習近平さんは、21世紀の毛沢東になったんですね。知らなかった。いつか、彼が引退する時もあるだろうけど、その後も共産党独裁は続くんでしよう。そして、新たな指導者が生まれるのかな。
悪い流れはなかなか断ち切ることはできないし、せっかく民主的なものがもし生まれたとしても、すぐに腐敗し、裏金工作に走ったりするんでしょう。権力って、そういうものを生むというのか、無しではいられないのかもしれない。
昨日の「光る君へ」第8話、ものすごく待ち遠しい気持ちでした。でも、内容的にはそんなに変化はなくて、まひろさんが家に来た道兼さんの前で琵琶の演奏をしたというくらいでしょう。
「誰に習ったの?」と訊ねられ、「母から教わりました」と答えるのが精一杯でした。こんな会話をしなくてはならないのは、お父さんの為時(岸谷五朗)さんも同じで、いつも無念を抱えながら道兼に相対していたのですから、その父の日常を汚すことなく、まひろさんは道兼に向かいました。
やがて、道兼さんは、花山天皇を出家させ、自らは関白になれますが、たったの七日で病死してしまうのですから、「天道是か非か」と天に問うてみたら、ちゃんと天の神様は答えた形です。
でも、そこまでは許してしまうんですから、やはりそうした専横家・暴力的な支配者というのは、どこまでものさばるだけのさばるのでしようね。
そういうのを何ともできない私たちは、ひっそりと嘆き、どうすればいいのかと苦しむしかないようです。
仕方がない。いつか転覆する時は来るのだから、それまでしたたかに生きていくしかないのでしょう。スカッとはしないけれど、それが独裁者とともに生きることなのかもしれないな。
★ もしかして、まひろさん(由里子さん)が歌うのかもしれないとハラハラしていました。それもありなのか、と思ったのですが、歌わないのには意味があるし、たぶん、琵琶というのは伴奏の道具ではなくて、音に気持ちを込める楽器なのかもしれません。メロディは鳴らないけど、音の気持ちが届くのかもしれません。だから、道兼さんは息苦しかったんでしょう。