m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

p a t i e n c e

2005-11-01 | cafe_monologue
昨日の「b e l i e v e」の記事で、ふと考えたことがあった。

「愛」は、どのような状況でも、「自分という存在を無条件に相手に与えつくすこと 。」(記事:l o v e )
「信」は、どのような状況でも、「常に相手にぴったりと寄り添うこと。 」(記事:b e l i e v e )
「望」は、どのような状況でも、「常に希望を持って待ち望み続けること。」(記事:h o p e )

これらはお互い密接に結びついている「三位一体」。
そして、共通なのはどれも「一度で終わり」なのではなく、「常に継続している」ということ。

一度愛したら終わりなのではない。一生愛を深めていく。
一度信じたら終わりなのではない。一生相手を信じることを深めていく。
一度望んだら終わりなのではない。一生「最高の希望」の実現まで希望し続ける。

そう。これらは「常に継続している」もの。
そこに必要なエッセンスはなにか?
「忍耐」だと思う。

現代は「インスタント」の時代。
瞬時に欲しい情報が手に入り、すぐに欲しいものが取り寄せられて買うことができる。
ITや技術の進歩により、便利さは格段に向上した。
その恩恵を僕たちは受けている。
しかしITによって失ったものも多々ある。

そのひとつが「忍耐」。
欲しいときに欲しいものを手にできないと、イライラする。
すぐに手に入れられない情報は、価値のないものと見なされる。
スピード勝負。
しかし、自然界に「インスタント」なものはない。
植物や動物が成長するには何年もの月日がかかる。
どれほど技術が進歩しても、一瞬にして違う場所に行くことはできない。

「忍耐」を失うとどうなるか?
「愛すること」も「信じること」も「希望すること」も出来なくなるのではないだろうか?
なぜならこれらは「継続」するものだから。
一瞬では手に入らないものだから。
「ガマンすること」は古臭いもの見なされて嫌われる。
しかし、「忍耐」の不足が、現代社会の人々のココロを、そして周囲の人との関係を蝕んでいる原因ではないだろうか?

taddy


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