m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

f u k u o k a

2009-04-30 | cafe_monologue



4/25-4/29、早めの休みを取って、福岡に帰省してました。


例年にくらべ、やや肌寒かった福岡。
でも、とてもココロ温まる日々を過ごさせてもらいました。


実家に帰省する度、両親と一緒にいる時間、祖父母と一緒にいる時間を大切にするようにしています。
昔のように毎日一緒に暮らしているわけではない分、今、一緒にいる時間がとても貴重なんですよね。


両親が老けていくのはもちろんだけど、それ以上に祖父母が目に見えて歳取っていきます。
そして、ボクが顔を出すのを何よりも喜んでくれます。
だから、今回も短い滞在だったけど、3度顔を見せに行きました。


祖父はとても優しくて物静かで上品な人。
祖母は祖父とは正反対で、町娘なのでよくしゃべるし活動的な人。
二人のやりとりを見ていると漫才のよう。


特に今回は祖父との時間が一番素敵な時間となりました。
いつもは静かな祖父も、ボクが帰って来るのが嬉しいようで、いろいろ話してくれます。
ゆーっくり話す祖父の姿を見ていると、とてもココロを洗われます。
まるで赤ちゃんに戻っていくかのように可愛らしくて。


ボクが帰るときには、祖父も祖母も、いつも家先まで見送ってくれるんです。
見送りしなくていいよ!と言っても、絶対家先まで出てきます。
そして、ボクの姿が見えなくなるまでずーっと手を振ってくれます。


祖父母も両親も、いつまでも元気でいて欲しいな。
歳を取るとともに、人間、体のあちこちに不具合が出てきています。
その重荷をボクが代わりに背負うことができれば、そして、皆が元気に生活できればなんと良いことか・・・。
これまで、祖父母も両親も、いろいろと自分を犠牲にして子育てしてきたわけですから。


また夏頃には、家族の顔を見るために、帰省しようと思います。
それまで、毎日、ひとりひとりの心と体の健康を祈り続けます。




taddy

s i l e n c e

2009-04-21 | cafe_monologue



この世界は、常にボクたちのココロをかき乱そうとしている。

ボクたちのココロから、静けさを奪い取ろうとしている。



溢れかえった動画や画像の数々。

次々と押し寄せる情報の波。

犯罪ばかりを伝えるニュース。

騒音のような音楽。

将来への不安・・・etc。



ボクたちの心身が休まる暇も隙間もない。

ボクたちのココロは、自分以外のモノで埋め尽くされてしまっている。



ココロの静寂さを失った人間は、自分を失った人間。

自分を失った人間は、簡単に世界の波に流されてしまう。

根無し草のようにもてあそばれ、引きずり回されてしまう。

そして辿り着くところは、虚無感と絶望。

人間の価値が分からなくなり、人生の価値も分からなくなる。



幸せな人生を求めているのならば

悩みや苦しみから抜け出したいのならば

生きる道を見出したいのならば

ボクたちはひとり静かになる時間を作らなくてはいけない。

すべての「雑音」を追い出さなくてはいけない。



人はひとりになることではじめて、自分の価値を見出す。

沈黙のうちに自分のココロの中に沈んでいくことで、本当に大切なものを見出す。

「雑音」をシャットアウトすることで、ココロの中にいつもこだましている真理の声をはじめて聞くことができる。




taddy

a n g e l a

2009-04-20 | cafe_monologue



日曜日の夕方、親友の白川裕二郎を誘ってアンジェラ・アキのライブに行ってきました。


聞く人の魂に響くソウルフルな彼女の歌やパフォーマンス。
そこから、何か今後の芸の肥やしになってくれるものがあれなばいいなと。
ボク自身も久しぶりに取れたオフの時間だったので、この日を楽しみにしてました!


場所は神奈川県民ホール。
アンジー曰く、この施設は音響がとても良いとのこと。
ボクたちの席は、メイン通路の目の前だったので、足も伸ばせてとても快適♪


今回はピアノ弾き語りではなく、ベースとドラムも入った形でのライブでした。
でも、個人的には、ベースもドラムも本当は入って欲しくないんだよなぁ。
彼女の歌の魅力は、一番シンプルな形、つまり、ピアノの弾き語りでこそ一番伝わってくるから。


途中で、完全にピアノの弾き語りで3曲披露してくれましたが、これはもう最高!
まさにアンジーここにありという感じで、彼女の世界にぐぐっと引き込まれました。


いつもの通り、「勝手にしゃべらナイト」コーナーもあり、「Hey Jude」をみんなで熱唱。
ニューアルバム「Answer」のツアーライブでしたが、「Home」や「サクラ色」といったおなじみのナンバーも披露してくれました。
最後は「手紙」を会場全員で歌っての締めくくり。
なんか学生時代にもどったようなノスタルジックな気分になりました。


アンジーのパワフルさにはいつも驚嘆させられます。
それでいて飾らない人柄、お茶目さ、MCのうまさ。
本当に本当にお見事!!


さてさて、我が親友くんも彼のブログで昨日の感想を書いてくれているようですが・・・。
裕二郎のブログ
ま、今度会ったとき、じつくり説明を聞かせてもらいましょ w




taddy

k e i t a i

2009-04-18 | cafe_monologue



変えました、ケイタイ。


なんと、4年半ぶりの機種変更でございます。
自分はデザイン重視派。
もちろんこれまで使ってた携帯には、赤外線もワンセグもありません。
機能はメールと電話があれば問題なし。
ネットはPC上で足りるし、写真はデジカメの方が断然だし。


でも、ここ数年、食指が動くようなデザインが全く無し。
4年半使って来ていたのはauの「talby」です。
著名なデザイナー、マーク・ニューソン氏のデザイン。
シンプルで、遊び心があって、ちょっとかわいくて。


Macユーザーなので、もちろんiPhoneには興味ありました。
でも、iPhoneはこれから進化していくから、まだ買おうとは思わなかったんですよね。


そんな矢先、auからデザインブランド「iida」立ち上げのニュース。
すでに「飯田さん」なんて揶揄されてるようなビミョーなネーミング w w w
でも、その第一弾モデル「G9」を見て、久しぶりに心が揺らぎました!


talbyのように完全に惚れたというレベルじゃないけど、心に響いたのは久しぶり。
これは行くしかないでしょう!と。
auは元々「au design project」でいろいろな素晴らしいデザインの試みをしてました。
けれど、ここ最近元気なかったので、キャリアを変えようかなーって考えてたんですよね。


「G9」のカラーはピンク、グリーン、シルバーの三色展開。
グリーンはちょっと色味がイマイチ。
シンプル好きな自分としてはシルバーもグッド。
でも、なんかちょっと物足りない。
ところが、ピンクは嫌らしくなくクールなピンク。
ブラックのボディの中で見事なアクセントカラーになってます。
迷わずピンクをゲット!





機能がてんこ盛りでまだまだ使いなれてないけど、テンション上がってます♪
talbyちゃん、どうもお疲れさま。
G9さん、これからよろです。




taddy

o r i g i n

2009-04-13 | cafe_monologue



人生の道を進んでいる中で、突然挫折に襲われるとき、

何をすべきかも分からなくなって、呆然とその場に立ちすくむとき、

すべてが絶望に変わってしまったように感じるとき、

ココロを原点に向ければいい。

今あるすべてが始まった思い出の場所。

自分が選択すべき道を決めた希望に溢れる場所。

「答え」は、ボクたちより先にそこへ行き、ボクたちを待ってくれている。




taddy

g o d

2009-04-11 | cafe_monologue



今、世界中のカトリック教会ではイースター(復活祭)の時期を迎えています。
イエズスが十字架に架けられた後、三日後に復活したことを祝う大切な時期です。


そこで、この時期にあわせて、神さまについて少し語ってみたいと思います。


「神」と聞くと、ボクたちはどんな存在を思い浮かべるでしょう?
天のはるか彼方から、人間の世界を見下ろしている存在?
すべてを超越していて、近づき難い存在?


イエズスは神に「アッバ」と呼びかけていました。
これは、「パパ」という意味である当時の幼児語。
ボクたちは、神さまの前では畏まって良い子を演じますが、それは大きな間違いです。
神さまは「パパ」であって、彼には自分の肉親のような愛情と親しみとで接するべきなのです。
ありのままの自分をさらけ出すべきなのです。


また、「神は愛である。」と使徒ヨハネは書きました。
そもそも「愛」とはなんでしょう?
イエズスの生き様がそれをはっきりと示しています。
そして、彼の示した生き様から、ボクは「愛」を次のように定義します。


愛とは、「自分自身を 無条件に(=見返りを求めずに) 相手に 与え尽くすこと。」
それは、「好き」とか「嫌い」とか、恋愛のような甘ったるい気まぐれの「感情」のことではありません。
どんな状況でも変わらない「意志」です。


神さまは全知全能の存在です。
だったら、なぜこんなに世界にはむごたらしいことがはびこっているのか?
全知全能の存在なら、この状況をどうにかしてくれて当たり前ではないのか?
おそらく、世界のあり様を見て不条理を感じ、神の存在を疑う人はたくさんいると思います。


でも、神は愛そのものだからこそ無力なのです。
彼はもちろん全知全能です。
この世界を一瞬にして良くすることなど簡単なことでしょう。
でも、そうはしない。
なぜでしょう?


それは、神さまが人間を極限まで愛しているからです。
人間は神さまの「オモチャ」じゃないのです。
神さまの思い通りにしか生きられない「奴隷」じゃないのです。
人間には、「自由意志」が与えられているのです。


神さまを信じるのも信じないのも、人間の自由。
善いことをするのも、傲慢な生き方をするのも、人間の自由。


神さまは、この「自由意志」に干渉することをしません。
人間を愛しているからこそ、極限までに人間を信じているのです。
人間を愛しているからこそ、極限までに人間の選択を尊重するのです。


かと言って、何もしないで傍観しているのではありません。
人間たちをどうにか助けずにはいられません。
そのために彼はどうしたのか?


「神はそのひとり子を与えるほど、世を愛された。」とヨハネは書き残しています。
三位一体のうちの「子」であり、人となった神であるイエズスを世界のために与えたのです。
言い換えれば、神さまは自分自身を世界に与えたのです。


そう、全知全能の存在が人の体をまとい、天の玉座から人間の視線にまで降りてきたのです。
悲しみも苦しみも味わう必要のない超越した存在なのに、人間と同じ生活を送り、すべてを分ちあったのです。
自分自身をあますことなく与え尽くすことで身代わりとなり、人間の真の価値を示してくれたのです。


彼は人間を造る時、やがて人間たちが自分に背くことは見越していたことでしょう。
それでも人間を造らずにはいられなかった。
自分の命を与え尽くさずにはいられなかった。
それほど、人間は彼にとって尊く、大切な存在なのです。
それが、人間ひとりひとりが持っている本当の価値なのです。


神さまは愛だからこそ、ひとりひとりの自由意志を極限まで尊重し、神さまは愛だからこそ、自分自身を与え尽くす以外に方法はなかったのです。
「愛」は全能者を天から地に降ろすことができるほどに強いのです。
「愛」は全能者を不完全な存在である人間の「囚人」としてしまうほど弱いのです。
「愛」はこの世で最も強く、また、最も弱いものなのです。
それを何よりも表しているのが「十字架」であり、今、カトリック教会が祝っているイエズスの死と復活なのです。







t a d d y