m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

w r e s t l i n g

2006-09-30 | cafe_monologue



今日は人生初のプロレス観戦!
全日本プロレスで練習生として頑張ってる清水さんが誘ってくれました。


格闘技観戦と言えば、プロ格闘家をやってる友人の隆平の試合応援で何度も行ってるけど、プロレスは初めて!
同じ「格闘技」と言っても、総合格闘技の試合とはまた全然違った雰囲気でしたよ。
一言で言うなら、良い意味で「ショー(show)」という感じかな。


隆平の試合は、心臓に悪い!
友人が闘ってる姿を観るのって、本当にハラハラドキドキ・・・。
それに総合格闘技の試合は真剣勝負のガチンコバトル。会場中がピリピリです。


一方でプロレスは笑いもあり真剣さもありと、一つの「舞台」のように思いました。
会場の一体感。自分の応援する選手への熱烈的なコール。お約束の掛け声 etc
ライブコンサートの雰囲気と日本古来の歌舞伎の雰囲気と、そしてスポーツを足して割った感じ。


客層も違ったな。
総合格闘技の試合会場は、7~8割近くが実際に格闘技やってるゴツいにーさんたちで埋まってます。
一方プロレス会場は、お子様からよぼよぼのおばあちゃんまで、年齢層も観客層も多種多様。
ボクの周囲はちょっとオタクっぽい30代半ばの人たちだったし w w w
失礼だけど、こんな人たちがプロレス観るんだーと思っちゃいました。


で、思ったんですよ。
プロレスって、「夢を与えるもの」なんだなって。
オタクっぽく見える人たちも、応援する選手と一体感に浸って声張り上げてましたもん。
隣にいた女性客は常連さんのようで、試合観ながら一喜一憂してました。
そして、子供たちは、選手が近づくだけで喜んで大はしゃぎ!







「観るところが違う!」って怒られそうだけど、ボクは練習生のみなさんをじっと見てました。
練習生はずっとリングの周囲でセコンドしながらテキパキ働いてるんです。
紙テープが飛んできたら、ぱぱっとかき集める。
乱闘になったら観客にケガがないようにガードする。
選手の入退場時にはエスコートする。
ほんとに休む間無く働いてます。彼らの働きのおかげで、試合は滞りなく進むんですよね。
無駄のない働きに感心しっぱなしでした。


そうそう、清水さんはめっちゃダンスが上手いので、第一試合の時、リングに上げられて踊ってたね。
その上手さに今日一番感動したかも (^_^;)


また新しい体験させてもらって、とても興味深い時間を過ごさせてもらいました。おもしろかった!
とりあえず自分の応援する選手を作らないと深くのめり込めないね。
同い年ってことでカズ・ハヤシ選手を応援しよっかな。
そして清水さんが一日も早くデビューして、リングの上で勇姿を披露してくれることを心待ちにしてマッスル!
そんときはみんなで応援行きましょーぞ!!!!!


taddy



P.S.  となりの青年の口臭にやられっぱなしのtaddyさんでした。



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t a l e n t

2006-09-28 | cafe_monologue



「あの人の才能が本当にうらやましい。」

「みんなできるのに、なぜ自分にはできないのだろう?」



誰しも、どこかしらでそのような思いを抱いている。

自分の中に「欠如」しているものを恨めしく思う。



先日、とあるアーティストの生い立ちを聞いた。

そのアーティストは楽譜も読めず、音感もなかった。

けれどもそのハンディが、逆に誰もが真似し得ない斬新なクリエイティビティを生み出した。



ボクたちはレールの上をきちんと走らないと不安になる。

周囲と同じものを持っていないと不安になる。

人から見下げられやしないかと必要以上に背伸びしてニセの「自分」で繕う。



だけど、ボクたちの中にある「欠点」は、途方もない素晴らしいものを産み出す卵。

うらやましがっている周囲の才能以上のものを生み出す原動力となる。



「欠点」は「石ころ」ではなく「宝石の原石」。

けれどもその「原石」を磨かないならば、ただの価値のない「石」のまま。

磨き続けるならば、誰も持っていない輝く「宝石」となる。



ボクたちの周囲で輝いている人たちはこの事実を教えてくれる教師。

毎日の生活の中で、ボクたちはこの「師」と出会っている。

それに気づき、「師」の姿から学び、自分を高めることができるのは、ココロが謙遜な人。




taddy



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f a m i l y

2006-09-25 | cafe_monologue



心地よい秋晴れに恵まれた五連休も、本当にあっという間でした。


週末は、福岡から両親が上京したので久しぶりの顔あわせ。
実家には年末にしか帰らないので、約9ヶ月ぶりに会ったことになりますね。


毎日一緒にいると、なかなか小さな変化に気づかないものです。
ですが、これだけの月日が空くと痛感させられます。
「人は老いに向かって確実に日々歩んでいるものなんだな。」と。


外見的なものもそうだし、内面的なものもそう。
まだまだ両親は若いけど、老いは着実に彼らの体にシワを刻んで行っています。
同時に内面は丸くなって行っています。


今回は、弟が結婚するので両家の顔あわせがありました。


「このごろ家族の絆の深さを改めて痛感しますし、感謝しますね。」
ボクの父親が、あちらのお父さんにそう語っているのが聞こえてきました。
ボクはその言葉が聞こえなかったふりをして、お嫁さんのお兄さんと話し続けていました。
でも、涙腺がゆるみそうになるのを必死でこらえてたんです。


父はいわゆる典型的な「九州男児」。
ものすごく家族想いなことは知っていましたが、決してそういうことを口にしたり態度で見せたりしないんですよね。
同時にとても厳格な人でした。
だから、若い頃は母とはよく話したけど、父とはあまり言葉を交わしたことがなかったんです。


そんな父が、老いと共に弱くなっていき、丸くなっていく。ボクに対して礼を言う。
いや、実際には余計なものがそぎ落とされて本質的な存在になっていってるんだと思います。


けれど、昔の父のイメージが強いボクにとってはちょっぴり複雑な心境。
9割くらいは嬉しい気持ちなのですが、残りの1割は寂しい気持ちなのです。
昔の強く逞しく厳しい父という姿は、徐々になくなりつつあるんだなと。


時は流れ、人は変わっていきます。
そして、いつかは誰しもこの世での旅を終えます。
決して、「今」は永続しないんですよね。
だからこそ、「今」を大切にしなくちゃいけない。
だからこそ、そこにいて当たり前と思ってしまっている人たちを大切にしなくちゃいけない。


照れくさいから家族にはなかなかいえないけど、やっぱりこの家族の中に生まれてよかったな。
そう改めて思った初秋の週末でした。



taddy



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k i k i

2006-09-22 | cafe_monologue



空気も涼しく、空も高く、ふとキンモクセイの香りが漂ってくる9月も後半の今日。
ウィーンから一時帰国しているkikiたんと表参道でおデートしてきました♪


kikiたんと知りあったのはお互いのblogの上で。昨年の晩秋くらいだったかな。
年末年始も帰国中で会う約束をしてたのですが、ボクが風邪で寝込んでしまっちゃってドタキャンになっちゃいました。


kikiたんは音楽の都ウィーンでピアニストとして活躍してます。
お兄さんたちもそれぞれ有名な演出家とミュージシャンで、本当に才能豊かな芸術一家。
kikiたん自身もウィーンで世界の小沢征爾氏とお茶したことあるってことで、「すっげー!」と驚き。
頭があがりません w w w


そんな彼女ですが、とても純粋で感性豊かで同時にパワフルなステキなお姉さん。
びゅーてぃふぉーな写真は彼女のblogで見れるので要チェック♪


音楽の話、言葉の話、ボクもヨーロッパやウィーンは何度も訪れてるからその話、etc いろんな話で盛り上がりました。
kikiたんは多くの人にクラシック音楽にアクセスしてもらえる方法を試行錯誤して頑張ってます。
その中で話題になった一つが、現代人の多くの人は沈黙の時間を怖がっているということ。


これはボクもこのblogでちょこちょこ書いているけど、特に今の日本人は沈黙の時間を持つことを恐れてます。
常にTVはついてるし、常に音楽が流れてるし、常に誰かといたり話してたりメールしてたり。
生活の中に「隙間」が出来ることを怖がって、必死に何かをして埋めようとしてるんですよね。


本当は沈黙の中でないと見えない大切なものや感じることができない貴重なものが、この世界にはたくさんあるんです。
いつも自分の中を自分以外のものでいっぱいにしてしまっているので、本当の自分が見えず、余計な苦労をするのです。


クラシック音楽を鑑賞することもその一つ。
ボクはクラシックを聴くたびに、その音楽のクリエイティビティの高さ、表現の豊かさや斬新さに感嘆します。
時空を超えても常に新しく、人の中に響くものがそこにはあるんですね。


だけどロックやポップスといった現代の音楽は階調がどれも同じ。
クラシックのように繊細な表現の違いが欠如してるんです。
大音量で聴くことや、常に音で充満している場所では、この微妙な繊細さを味わうことができません。
日本的に言うなら「ワビサビ」を味わうことができないということですね。
ボクたちは溢れる「騒音」の中で感性の豊かさを失いつつあるんです。
ある意味、人間的に退化していっていると言ってよいと思います。


短い時間ながら、いろいろと意義深い話をできて勉強になりました。
次回はkikiたんの生の演奏を味わいたいですね。



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t h e  s u n

2006-09-20 | cafe_monologue



本日から自主的に五連休ぽ♪


ってか、最近、ボクも休まなくなったな・・・。
2年前くらいまでは、2週間の休みを年二回取って海外逃亡してたのに。
ってか、それって毎年一ヶ月休んでたってことよね。
そんなラテンな漢でした。あもーれ、かんたーれ、まんじゃーれ。


さて、久しぶりに何もしないゆっくりした時間を過ごせそうな連休。
休みだからって何かしないといけないわけじゃないです。
「何もしない」というのも大切ですよ。
自分に戻るための時間が無いと人間ダメになってしまいますから。


さて、ボクの鼻毛のように爽やかな秋晴れの今日。
友人の尚玄と映画に行ってきました。
それにしても、平日の昼間に堂々と街中をぶらぶらするのって、最高の開放感でござーますわね。
銀座では有閑オバタリアンが大量発生してました。


今日見たのは、「 太陽 」。
終戦直前の昭和天皇の苦悩と孤独、家族への愛情を描いた映画です。





日本を代表する演技派俳優が大切なポジションを固めています。
天皇役にはイッセー尾形。香淳皇后役には桃井かおり。侍従長役には佐野史郎。
イッセー尾形の演技は見事というしかないですね。
昭和天皇の話し方や口癖の「あ、そう。」をうまく真似ながら、時にコミカルに、時に厳粛に演じ上げてました。


でも、この映画はロシア映画。
映像の重々しい色使い、映画の中に漂っている不思議な雰囲気は、ロシアらしさを感じさせました。
非常に日本的な内容なのに、非常に日本的じゃない感じがする興味深い仕上がり。


内容的には反感を持つ人も多々いるかもしれません。
ボクも正直なところ、若干天皇の人物像が滑稽すぎるように見えて反感を感じる場面がいくつかありました。
ただ、そういう国民的感情の部分を除いて、一つの「作品」として見る場合、とてもおもしろい映画でしたね。
先ほど少し触れた色使いや、映画全体に漂う雰囲気のアート性にぐぐっと引き込まれました。


エンディングは「??」という終わり方で、すっきりした終わり方じゃありません。
考えさせるエンディング、ある意味、哲学的なエンディングと言えばいいかな。
このエンディングを通して何を伝えようとしたのか、しばし読み解くためにじっくり考えてみたいと思います。


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m a s s a g e

2006-09-18 | cafe_monologue



今日は溜まりまくった疲れをとるためにヘッドマッサージに行ってきました。


お邪魔したお店は原宿のMaaNa (マアナ)
黒を基調としたシックな店内は、入った瞬間リラックスできる環境。我が家に似てるインテリアだな。


本日のコースはヘナを使ったヘッドマッサージ。
ヘッドマッサージといっても、頭だけでなく、肩や足までやってくれます。


施術後は首から上が軽い、軽い。
目の疲労もとれて、おめめばっちり。
髪にもハリが出てるのがよく分かりました。


施術前と後には、小型カメラで頭皮を見せてくれます。
施術前の頭皮は、健康的で汚れも詰まっていない状態でした。
だけど、疲労でバンバンに張った感じ。
それが、施術後は、頭皮も柔らかくなって色が青白い状態。
これがベストな状態。


頭や首にはたくさんの神経が通ってる分、頭や首の疲れがとれると全身の疲れもとれるものですね。
疲れがとれないなと思ってる人、ぜひおすすめですよ。


そういえば、告知忘れてました。
今書店に並んでる雑誌に尚玄や隆平が出てます。


まず、「COVER」。







この中でワイルドセクシー系の尚玄が登場。
結構あちこちに出てますから、要チェックYO♪
一枚だけチラリズム。奥さん、いかがでしょ?絵になるでしょ??







次に、「SMART MAX」。







こちらでは、「COVER」に比べると気品のあるソフトな感じの尚玄を見ることができます。
どちらかというと貴公子ちっく。それは見てのお楽しみっつーことで。



あと、隆平ですが、先日のビッグな金星試合のことが「格闘技通信」に掲載されています。







結構大々的に試合の模様やガッツポーズの写真も掲載されてますし、インタビュー記事も載ってるんで、チェキラッチョ!



友人たちが雑誌やTVに出ているのを見るのって、あたかも自分の子を見る親の心境なんですよね。
もちろん、毎回チェックは欠かしませんよ!
本屋で立ち読みしてたら嬉しくて、隣の人に「うちの子です♪」って自慢したくなっちゃうしね w
でへへ w w w



taddy




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t o  k n o w

2006-09-17 | cafe_monologue



今日は少しおかたい話を。


ここ最近、ローマ法王ベネディクト16世の発言がマスコミをにぎわせていますね。
そのニュースを読むにつけ、ボクは怒りさえも感じます。それはマスコミに対しての怒りです。


なぜ怒りを感じるかというと、報道とは本来正確な情報をありのまま伝えるべきであるものなのに、
1)正確な内容を報じず、法王の発言を意図的に歪曲して報じている。
2)世界情勢の中における「キリスト教 vs イスラム教」といった安易な構図を作ろうとしている。
からです。


亊の発端は、法王がドイツ訪問中にレーゲンスブルク大学で行った講義です。
この講義のテーマは「信仰と理性」についてのものでした。


講義の主張は、理性の誤用と西洋の近代文化に対する警告です。
A) 信仰は理性的であるべきで、暴力で強制的に押し付けることは神の本質と相反する。
B) 「自由」の名のもとに宗教をサブカルチャーの領域に押しやるような理性は、諸文化との対話に入ることができない。


「信仰と理性」の関係について、講義の中で法王はKhoury 教授の本から引用をしています。
教授の本の中には、14世紀の東ローマ皇帝マヌエル2世とペルシャの知識人たちとの対話が触れられています。
マヌエル2世は、コーランの中で「宗教は強制であってはならない。」と理知的に教えられていることを知っていました。
それなのに、後代には「ジハード(聖戦)」の名の元に暴力による押しつけが正当化されていったことを批判しました。


ところが、皇帝の批判的発言部分だけが今回マスコミによって取り上げられて、一人歩きし始めてしまいました。


たしかに、マヌエル2世の発言内容は刺激的ですから、この部分だけ取り上げられればイスラム教徒も怒るでしょう。
けれども、法王はこの部分だけを取り上げて、自分の意見の代弁としてイスラム批判の演説をしたのではありません。
講義内容全体を読めば、まったくイスラム批判のかけらもないことは明白に分かります。
(講義内容全文はこちら → クリック


意図せずともそのように利用されてしまう可能性のあった箇所に触れたのは、結果的に法王の失敗であったかと思います。
しかし、今回批判されるべきは誰よりもマスコミでしょう。
イスラム教国各地で抗議活動がエスカレートする中、一体どのマスコミが法王の講義の内容をありのまま報道したでしょう?


不安定な中東情勢は「宗教戦争」ではありません。
宗教、思想、主義を口実に、自分のエゴイズムを正当化して実現しようと愚かな行為に走る人々は無数にいます。
中東の紛争の理由は、利権戦争であり、石油戦争であり、イスラエル vs パレスチナの民族・領土紛争です。
「宗教 vs 宗教」といった安易な抗争でもなけでば、「キリスト教 vs イスラム教」といった構図でもありません。
例えば、先のイラク戦争において最後の最後まで反対して外交努力したのはバチカンです。


ところが、マスコミの報道は一部分にだけスポットを当て、これらいざこざを「宗教的なもの」に置き換えようとします。
ボクたちもそういうのが「当たり前」だと思って、何の疑問もなく受け入れてしまいます。


今回の件に限らず、生活のいろんな場面で「正しい情報の取捨選択」が必要です。
ニュースで世界の動きを知り、関心を持つことは大切です。
しかし、ニュースがそのまま「真実」ではないということも常に頭においておかないといけません。
じゃないと、ボクたちはニュースの出元が意図する狙いや思想に、ある意味簡単に「洗脳」されてしまいます。


ボクたちが学校で習ったことや本で読んだことは、あくまでも氷山の一角、あるいは、偏った見方や知識にすぎません。
そういった偏った見識がボクたちの判断基準となっている事実は、ある意味恐ろしいことです。
今の世の中、あまりに情報が洪水のように溢れており、ボクたちは受け取るだけであっぷあっぷになってしまっています。
そうなると、ただただおびただしい情報に流されてしまいます。


こういう状況にいるからこそ、ボクたちは自分の方から能動的に何かを知るという姿勢が大切なのです。
同じことは日常生活の中でも当てはまります。
ボクたちは、相手を正しく知る努力をしているでしょうか?
一方的に「知っている」と思い込んでいたり、周囲が作り上げたイメージで相手を見てしまっていないでしょうか?


taddy



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t o m m o r r o w

2006-09-15 | cafe_monologue



仕事帰りの電車の中。

遠くに見える家の明かりを見ながら、近々に始まるだろうある簡単だけど面倒な仕事のことを考えていた。

「ま、いいや、この案件はそのうち時間をみつけて手をつければ。」



でも、その時ふと思い出した。

知り合いの神父さんから言われた言葉を。

「人生の中の最大のウソを知っていますか?それは「明日がある」ということです。」



そう。「明日がある」ことを当たり前のように思っているけど、「明日が来る」なんて誰にも保証できない。

次の瞬間に死んでしまっていないとは誰も断言できない。



ボクたちは「明日やればいいさ」と言って、今日の課題を先延ばしている。

明日手をつければいい、明日謝ればいい、明日電話すればいい、明日話せばいい、明日手伝えばいい・・・etc

だけど、先延ばしにしたものが積もり積もって抱えきれない大きな負担となり、ボクたちの首を締め付ける。

気づいたときには取り返しのつかないことになっている。



その神父さんはこう付け加えた。

「次回は頑張るさと言っていても、今できないことは、いつになってもできないのです。」



転職したら、次回は一生懸命仕事を頑張ろう。

新しい友人と知りあう機会があれば、次回はその人との仲を育もう。

新しいバッグを買ったら、次回はそれを大切に扱おう。

新居に引っ越したら、次回は散らかさないように整理を徹底しよう。



ボクたちは「今」を生きることを拒み、逃避し、同じ失敗を繰り返す。

「今」をフルに生きないことでどれほどの時間を浪費してきたことだろう。

ボクたちの手元にある「現実」とは「今」以外のなにものでもないのだ。



改めて自分の態度を反省した。

ボクは何度逃げてきただろう?何度イヤなことを先延ばしにしてきただろう?



物事を先にのばす悪いクセを矯正しなくては。

気が進まないあの仕事から逃げることなく、しっかり取り組まなくては。

一日一日、いや、一秒一秒を大切にする生き方を身につけなくては。

一番小さくてささいなことにこそ常に忠実でなくては。

いつ「死」が泥棒のようにこっそりと訪れても、後悔を残すことのないように。



そう気を引き締めてボクは電車から降り立った。



taddy



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s i l e n c e

2006-09-14 | cafe_monologue



ボクたちは常日ごろ、自分を変えたいと思っている。



自分の欠点を無くしたいと思う。

自分の生活を良くしたいと思う。

自分の技能を向上させたいと思う。

自分の仕事を改善したいと思う。



そのためにたくさんのことをしないといけないと思っている。



練習を積むことで自分を変えていけると思う。

仕事や活動に励むことで自分を変えていけると思う。

自己啓発本を読むことで自分を変えていけると思う。

誰かの指導や注意を受けることで自分を変えていけると思う。



けれど、これらを実践することだけで変われると思うのは単なる幻想。

物事の表面をなぞっているだけのこと。

変わろうとする自分の姿勢に満足しているだけのこと。



沈黙のうちにこそ、人は新しく作りかえられる。

沈黙のうちにこそ、行くべき道を見出せる。

なぜなら己を知らずしては、真に何を変えるべきかは分からないから。

なぜなら己の立場や状況を把握せずしては、霧の中で闇雲にもがくだけだから。



ボクたちは「本当の自分」を見ているだろうか?

「本当の自分」に対面することを怠って、自分を偽っていないだろうか?

周囲で起こることに流され麻痺し、意味もなく苦しんでいないだろうか?



沈黙のうちの孤独こそ、あわただしい日々の中で常に帰っていくべき場所。

沈黙のうちの孤独こそ、日々新しい「自分」に生まれ変われる場所。

沈黙のうちの孤独こそ、満たされた人生を送れる源泉。



taddy




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p a r t y

2006-09-10 | cafe_monologue



土曜日は我が宮殿で久しぶりのホムパを開きました。
尚玄の「快感職人」の撮影が終了したので(と言ってももう数週間前だけど w)、お疲れさま会を兼ねて。
そうそう、尚玄、今後また大きな仕事が入って来てるみたいで楽しみです。


何人か来れなくなっちゃった人たちもいましたが、クリエイティブな人たちが集まって楽しい時間を共有できました。
蒸し暑い中来てくれたみなさん、改めてありがとう。
( 準備不足であまり楽しめなかったかもしれないけど、ごめんちゃい m( _ )m )





右から、
 山下さん  (スリーアローズの社長に見えないファンキー社長)
 おとーさん (いぢられ系カリスマヘアメイクアーティスト)
 尚玄    (濃い人)
 おマサコ。 (ミッフィ♪)


ちなみにこの決定的瞬間は、おとーさんが神宮寺になりきって、尚玄にマッサージを施しているところです。
手つきがエロいです w


ボクが準備したのは、「王のワイン、ワインの王」と呼ばれるハンガリーの貴腐ワイン、「トカイ」。
個人的に一番好きなワインです。ブドウのもつ甘さがそのまま濃厚に凝縮された黄金色のワイン。
あとは、「マチェドニア」と呼ばれるイタリア風フルーツポンチを作って振る舞いました。
簡単に言えば、いろんな季節のフルーツの白ワイン漬けといった感じです。


そしてそれぞれがもって来てくれた美味しい食べ物と飲み物をみんなで堪能しました♪
誰とは言わないけど、リポビタンを持って来やが、来てくれた人がいたけどね。


ワイワイ馬鹿やりながらも、今回のメンツ、それぞれがすごい才能に溢れていながら純朴な人たち。
こういう集いっていいなぁと思いながらみんなの顔を見てました。
クリエイティブな人間どうしって惹かれあうものを感じるんですよね。感性とか。
そんな人たちと出会わせてもらい、友情を育んで行けるボクは幸せ者だなと思いました。


ひとりひとりにありがとう。



taddy




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v o x

2006-09-08 | cafe_monologue



昨日はJ-WAVE主催の「Goodies Vox vol.1」へ行ってきました。
まずは、ご一緒させていただいたまゆさん、改めてありがとう!


場所は原宿のBlue Jay Way。
こじんまりした箱で、すごくステージと客席が近くて最高でした。
出演者は、橋本昌彦(はしもと・まさひこ)さん、中孝介(あたり・こうすけ)さん、山田タマルさんです。







今回はまさにボクにとって夢のライブ。
ずっと応援しつづけている中孝介さんと橋本昌彦さんが同じステージに立つわけですからね。







さて、まずはトップを飾った昌彦さん。
彼の生歌を聴くのは今回が初めて。
これまでいろいろとやりとりさせてもらってたので、初めてライブを見るというのがなんか不思議な感覚でした。


昌彦さんのことを初めて知ったのは2月くらいだったかな。
ずっと福岡を拠点に活動していたので東京でのライブもなく、待ちに待った今回!
最近拠点を東京に移し、いよいよ本格的に始動し始めたので、あちことで彼の歌声を聞くことができるでしょう!


さて、その昌彦さんのライブ。
もう「圧巻!」の一言につきます!!
一点の狂いもない音階。甘く切なく、そして時に力強い美声。表現豊かで会場中に響く歌声。
何をとっても日本人離れしたそのパフォーマンスにただただ圧倒されまくり。
とても新人アーティストとは思えない完成度の高さに本当に感動し、驚きました。


そして、あの「ウワサ」のフェロモンむんむんの王子の眼差し ☆
オーディエンスの一人一人をじっと見つめるあの瞳に何人の乙女たちが白目むいたことでしょ w w w
エロすぎです。罪作りなオトコですよ、まったく。


トークも面白くて、会場中が爆笑の連続。
青いハンカチを取り出して汗をふきふき。勝負靴下ということで赤の靴下を披露してくれたり。
つかみはOK。


5曲披露してくれましたが、やはり「Shooting Star」とmy favorite oneの「あふれ出す歌」は最高でした。
鳥肌たちましたし、涙腺がゆるみそうでやばかったです。一晩明けた今でも驚きと感動を引きずってます。







次に登場は我らが孝介さん。
昌彦さんも濃いけど、輪をかけて濃い孝介さん (←自分で言ってました w)


毎度同じことを言うのですが、本当に究極の「癒しの声」ですね。
実はちょっと体調が良くなかったんですが、彼の声を聞いているとどんどん自分の中身が癒されるのを痛感しました。
ココロが落ち着き、ココロが洗われ、そして深い瞑想に陥っていく感覚になるのです。


昨日もグランドピアノにあわせてのパフォーマンス。
ピアノってとても表現豊かな楽器だと改めて感じます。そして会場中をふるわす孝介さんの素朴でパワフルな唄声。
「ホンモノ」と「ホンモノ」、「西洋」と「東洋」がぶつかり合い、絶妙なハーモニーを生み出しますね。


 白と黒の間に
 真昼の花火
 それぞれに
 思い出のすぐそばで
 波の果てに
 家路


どれも素晴らしい名曲ばかりですが「家路」は何度聞いても素晴らしい。
「家路」の最後に、一人一人の幸せを祈るように両手をあわせて頭を深々と下げていた孝介さんの姿が印象的でした。
そして11月にはいよいよ待望のワンマンライブ!!







最後に登場の山田タマルさん。
「かっこいい女性アーティスト」って感じですね。ギターを片手に歌う姿に惚れ惚れしました。
それ以上に彼女の美声にも惚れ惚れしましたけどね!


資生堂のマキアージュのCM主題歌、「My Brand New Eden」を歌っているのは彼女です。
どこかジャズっぽく、どこかスイングっぽく、どこかフォークっぽく、そしてグルービーであり、同時に落ち着いている。
そんな不思議な魅力が彼女の歌声と音楽にはあり、聞いているとその独特なタマルワールドに引き込まれていきます。


これからの時期にぴったりの音楽だなと思いました。
内省的、つまり自分の内なる世界に入っていくような、深みのあるアーティスティックな音楽でした。要チェックですね!



今回はまさにラテン語の「VOX(声)」が示すように、ボーカルの歌声で魅了するアーティストばかりでした。
非常の充実した時間を過ごさせてもらいました。
帰り際にいかに素晴らしかったか伝えるために挨拶しようと思ったけど、みなさん関係者席だったので遠くから手を振って会場を後にしたのでした。



taddy
 
 

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b e a u t i f u l

2006-09-06 | cafe_monologue



この世界は「美」で満ち溢れている。



道端に咲く名も知らない花。

芳しい香りの果物。

遠くから聞こえる鳥の鳴き声。

見事な模様を誇る蝶の羽。

宝石のように夜空にきらめく星。

朝の澄んだ空気。

愛に溢れた恋人どうしの眼差し。

無垢な子どもの笑顔。

親子の睦まじい会話。

お互いを労わる隣人たちの姿。



この世界は無数の「美」で満ち溢れている。



これらの「美」に接すると、ココロは光を受けたように高揚する。

口元に微笑が浮かんでくる。

自分の奥底から新しい命が湧いてくる。

あたかも、自分自身が変えられていくように感じる。



けれども、ボクたちが自分自身の中に閉じこもるならば、

これらの「美」に気づかなくなる。

「この世界」の中からではなく、「ボクたちの世界」の中から「美」は存在しなくなる。



生きるのをキツいと感じているならば、

世間は闇だと悲観しているならば、

今一度、周囲をよく見てごらん。

そこには、ボクたちを祝福し、光と力を与えてくれる「美」が無数にあるのだから。



taddy



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g r a t i a

2006-09-03 | cafe_monologue



blog上でのコメントやメールでココロを砕いてくれたみなさん。
みなさんのあたたかい言葉に改めてありがとう。


昨日は合宿を終えた剣ちゃんが心配して電話をくれました。
彼もいろいろと大変だから余計な心配させまいと思って黙ってたんです。
だけど、「もう、taddyさん、言ってくださいよぉー。」と怒られました。
本当に気遣ってくれている嬉しい一言ですね。


「アメリカ物語」という映画の主題歌に、ボクの大好きな歌詞があります。
気づくとその歌詞が頭の中にふと浮かんで口ずさんでいました。


 Somewhere out there
 Beneath the pale moonlight
 Someone's thinking of me
 And loving me tonight

 どこか向こうの
 淡い月の光の下で
 今夜誰かがボクのことを考えてくれて
 そして愛してくれている。 


今いる場所はそれぞれ違うけど、同じ空の下で、お互いのことをココロにかけていることを歌っています。


人間とは、自分の「存在意義」や「存在価値」というものを確認しつづけながら生きる生き物です。
それを探し求め、確認するために、ある人には地位や成功がはかりとなります。
ある人には財産や周囲の賞賛がはかりとなります。


けれど、もっと奥深く、もっと根本的な部分で誰しもが「自分」を認識するために求めていること。
それは、「誰かに受け入れられていること」だと思います。
ただ受け入れてもらえれば良いのではありません。
「損得無しに無条件に受け入れられていること」が実感できるまでは、誰も落ち着いて生きることはできないのです。


人は誰も完全ではなく、自分に無いものを相手が持ち、相手にないものを自分は持っています。
お互いに補いあっていくことで、人は完全なものとなって行きます。
だから、一方通行の人間関係はありえないのです。
自分のエゴを押し付ける関係は、人間関係を醜悪にし、やがて破壊します。
ひとりひとりは弱く、お互いを必要とし、お互いを受け入れてボクはアナタとなり、アナタはボクとなる。
そうやって一体となっていけるからこそ、人間は強く、美しいのです。


taddy



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