m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

d e s t i n y

2005-08-18 | reflection
喜びを人に分かつと喜びは二倍になり、

苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。

by ティートゲ (ドイツの詩人)



良い言葉でしょ?

つい先日このことを痛感させてもらえることがありました。そのことを分かち合えたのはこのブログを読んでくれてる人だけど、あえて名前は出さなくてもいいかな。改めてありがとう!(^_^)

一方で今日ニュースでとある尊敬してた人(フランス人)が刺殺されたという悲報を知りました。

最初、本当に信じられなくてしばらく手が文字どおり固まってしまいました。一度も会ったことはないけど、もうずっと昔からその人の活動に感銘を受けていたので。ショックです。

犯人は精神的な異常が見られるようです。でもとてもたくさんの人がいる前で犯行におよんだようなんで、その場にいた人たちのショックはもっとすごいものでしょう。

先日もこのブログでもみなさんと意見交換することができたけど、ホント当たり前のことが当たり前じゃないんだなーと改めて痛感させられました。

家族はもちろんTakや剣ちゃん、隆平といった僕にとって大切な友人たち、昔からの知人たち、このブログをとおして出会わせてもらってる人たちひとりひとりをお前は本当に大切にしてるか?と今一度問われてるように感じます。反省(-_-)

みんな偶然に出会ったんじゃなくて、神さまが会わせてくれたんだって思うんですよ。言い換えればこれが「運命」ってやつかなって。

何十億という人間がいる地球上で、自分がひとりの日本人として、一つの家族の元で、九州のとある土地に、30年前のある瞬間に生まれたというのって「偶然」じゃなくて、やっぱり神さまがそれが僕にとってベストだからそうしてくれたんだと思うんですよね。で、出会うべき人たちも用意してもらったんじゃないかなって。

30年間いろんな人たちと出会ってきたし二度と会うこともない人たちも多いけど、やっぱりそのひとりひとりは僕という人間がここまで生きてきたことにみんな関わってるわけです。んで、その中でも長い間共にいさせてもらえる家族や親友たちは、なおさら特別。

こんなことを思いめぐらしているとものすごーく人生の素晴らしさに圧倒されます/(@,@)/

って前も似たようなこと書いたかな・・・?(- -;)
でも毎日感謝して生きていくべきだし、僕もしょっちゅそのことを忘れてしまってるからね!繰り返しもあり!

taddy


P.S. 隆平にとって大切な試合になる試合も残すとこあと2日です。
   当日応援行ける人も行けない人もあたたかいエールを贈ってやってください。
   一人でも多くの人の応援がヤツのパワー源になると思うんで。
   応援コメントはヤツのブログに!http://blog.ryuhei-sato.com/


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e a r t h q u a k e

2005-07-24 | reflection


ビッグでしたね、昨日の東京の地震。

震度5ってのは生まれてはじめてかもな。
みなさんはどこにいました??

僕は買うものがあったんでデパートにいたんですが、フロアを歩いてる時に、一回ドッカーンと全体が強烈に縦に揺れて足元がふらっとなったので、最初「ん?なにこれ?」って感じでした。

でも結構冷静な自分がいて、まわりの人たちがきゃーきゃー言ってたり店員さんが青ざめてる中で、もう揺れは来なさそうだなって判断したんで何事もなかったように、買い物続けてました(^_^) 僕ちゃんのしぶとさ、ゴキさま並みかも♪

大きな震度のわりには落下物とか少なかったな。
インテリアショップにいっても食器類とか落ちてなかったし。ただし、レンガのオーナメントは落ちて崩れてたり、古い建物だと壁の一部には亀裂が入ってたりしてました。レンガは地震に弱いみたいなんで、日頃からあまり近くにいかないようにした方がいいかも。

それよりもJRは改めて弱さを露呈しましたねー(-_-#)

全線止まってて、復旧までに2時間以上。線路の安全点検に時間がかかったようですね。

もちろん、安全性を確保するためにも線路の点検をきちんとやるのは当然ですし理解できますが、その間の対応のまずさはひどかった!

まず、全線ストップしてるのに改札を通してしまってる。中に入ってもすごい人込みなだけで意味がないのに、誰も改札前でそのことをアナウンスしてませんでした。

中に入ったら中に入ったで、アナウンスがバラバラだし全然よく聞こえない。人込みを整理する駅員も一人もいませんでした。

「振り替え輸送を利用するように」というアナウンスをしつつも、改札前は行列の山。出たくても全く出れない状況です。

昨日はまだ暑さがゆるかったんでマシなほうでしたが、それでもあれだけの人込みの中で長時間待たされるとると具合が悪くなって当たり前(僕も今日体調良くないし・・・)。救急隊員に運び出される人たちもいました。こういう状況をきちんと計算して駅は設計されているのだろうか?と疑問を感じました。二次災害を引き起こしかねません。

もっとも一番利用されえるものであればあるほど、きちんとした緊急時対応できる体制が不可欠ですよね。しっかりしろ、JR!

一方で自然災害はいつでも起こりえるもの。
「全然大丈夫~♪」じゃなくて、日頃からいろいろな情報を個人でも調べておく必要がありますね。どの路線を使えば遠回りしてでも帰えれるとか、時期が時期だと具合が悪くなったり脱水症状になりかねないんで、薬や水、チョコレートなんかを携帯しておくとかね。

ここ数日「そろそろ来るなー」と感じてたとこだったのがぴったんこ来ちゃいました(>_<)
防災用具、ちゃんと用意しとこっと!

taddy

i m p e r f e c t i o n

2005-07-15 | reflection




人間って「不完全」な生き物ですよね。

でも「不完全」だからこそ、人間って素晴らしいんだなーと痛感する今日この頃。

もし、人間が「完全」な生き物だったら、自分ひとりで全部できちゃうわけですから、周囲の助けなんて不要でしょ?そしたらこの世界はものすごく味気ないロボットの集団のような世界になってたんじゃないかなって。

だけど実際は人間は「不完全」。
一人一人に長所・短所があって、自分が持っていない才能を相手は持ってるし、相手が持っていない才能を自分は持っています。一人一人がユニークな存在で、誰一人として不要な人はいないし、生きていくためにお互いがお互いを必要としていて、それぞれ補いあいながら生きているのが「不完全」な人間の世界。

体の器官で例えてみると分かりやすいかな。
目には目、鼻には鼻、手には手のそれぞれの役割があって、基本的に目が鼻の役割を持つことはできないし、鼻が手の役割を持つことはできませんよね。それぞれが独特な役割を持ってるけど、「目だけ」、「鼻だけ」、「手だけ」が自己主張しても意味がありません。お互いが自分の役割を発揮しあうことで初めて意味があります。そしてもしどこかの器官がうまく作用しなくなったら、それとまったく同じ機能をすることはできないかもしれないけど、他の器官が違った形でサポートしますよね。これらのことと似ていると思います。

つまり、僕には君が必要で、君には僕が必要ってこと。
これって素晴らしいことじゃないですか!

taddy

l o v e

2005-07-13 | reflection





しょっぱなから重い話&長い話になっちゃうけど、今日はネットでこんな記事を見つけていろいろ考えさせらいちゃいました。つい先日マスコミをにぎあわせたあの事件の後日談です。

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母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙

東京都板橋区の建設会社社員寮で先月20日、高校1年の少年(15)が両親を殺害し、部屋をガス爆発させた事件で、亡くなった母親(42)が少年のために内証で約20万円の預金をしていたことが12日、警視庁高島平署特捜本部の調べで分かった。少年は、両親から十分な愛情を受けていないという「思いこみ」から犯行に及んでいた。特捜本部では少年心理に詳しい専門官とともに、凶行に至るまでの心の変遷の解明を進めている。

◆家族で海水浴「1人遊んだ」◆

「小学1年か2年の時にどこかの海へ日帰り旅行に行った」。家族との楽しかった思い出を捜査員に尋ねられると、少年はうつむきながら記憶をたどった。「でも、僕は海で1人で遊んでいただけだった」

会社の社員寮で小学生のころから育った。共働きの両親は、土日も仕事で休みを取れず、一人息子をかまう時間は少なかった。小学生時代、友達が夏休みに東京ディズニーランドへ行ったと聞き、「うちも家族で行きたい」と思ったという。しかし、「寮を空けられないのは分かっていたから(両親に)言い出せなかった」と、当時の心境を捜査員に訴えた。寮の仕事を小学生時代から任されていた少年は、「両親との楽しい思い出はほとんどない」と漏らした。

事件前日、少年は父親に「お前は頭が悪い」などと言われ、頭を押さえつけられていたことから、当初、これが犯行の動機になったとの見方もあった。しかし、特捜本部では、殺害には直接的な動機はなく、少年が両親からの愛情を渇望し、それがかなわずに仕事ばかり任される「不満」が「あきらめ」に変わり、最後には、「殺意」になったとみている。

「高校に入ったころには、寮の仕事で部活もできない状況だった。友人を積極的に作ろうと思わなかったようだ」。少年の弁護人も、当時の心境をそう代弁する。

◆「お父さん・お母さん、天国へ行って」◆

「父親がやるべき仕事を自分に押しつけられていた。両親を殺して解放された」。調べに対し、少年は、寮の仕事の量が徐々に増えてきたことへの不満を強調。母親に対しても、「母親の仕事まで手伝わされた。最初から殺すつもりだった」と供述した。

ただ、少年は母親の愛情に気付いていなかった。事件後、特捜本部で自宅を捜索したところ、母親が少年のためにためていた少年名義の預金通帳が見つかった。逮捕されて以来、両親殺害を人ごとのように淡々と話していた少年は先月末、捜査員から通帳を見せられ、涙を流した。

「なぜお母さんを殺してしまったのか」。今、少年は毎日、こう祈っている。「お父さん、お母さん、天国へ行ってください」と。(石間俊充)

(読売新聞) - 7月13日14時43分更新

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人間にはいろんな「欲」がありますよね。「三大欲」以外にも「名声」、「金」、「モノ」etc...でも、これらって「+αの欲」。なくても生きていけますから。

じゃ、人間が生きていくために根源的なものは何かというと、「愛」につきるんじゃないかな。
・「誰かから自分は無条件に受け入れてもらえている」ということを実感できること。
・「誰かを愛することができる」こと。
この両方。

僕自身も周囲の「愛」を感じるのが難しいときがあります。「自分は誰にも愛されていない」と感じることほど苦しいことってないんじゃないかな。「誰からも必要とされていない」、つまり「存在価値がない」と感じることですもんね。記事にある少年の苦悩、わかる気がします。

でもね、こういうふうに感じてるときって、「ジコチュー」になっちゃってると思うんですよ。少年もそう。家庭状況的に責めることはできないけど、自分の不幸ばかりにフォーカスを当てていくうちに母親の小さな愛に気づくことができなくなってしまったんじゃないかなと。

以前「愛」ってなんだろう?って考えてたとき、僕なりに感じた定義があるんですね。愛とは「感情ではなくて意思」であって、しかも「無条件に自分を与えつくすこと」。つまり、「愛」ってコロコロ変わる「好きキラい」とは別次元のものだし(親は我が子が犯罪者でも愛することをやめないでしょう!)、「愛」は「自分中心」じゃなくてとことん「相手中心」だと思うんです。

そして「無条件に」ってとこがポイントで、言い換えれば「見返りを求めない」ってこと。「自分はこれだけ愛しているのに、なぜ相手は自分を愛してくれないんだろう?」って思うのはすでに「見返り」を求めちゃってますよね。そうなるととても苦しくなる。自分を自分で追いこんじゃってるようなもんです。僕もよくいろんな場面で自分を追いこんでます・・・(反省ザル)

でも、尊敬しているマザー・テレサが生前こう言ってました。

「痛むまでに愛してください。」

そう、「愛する」ってことは常に痛みが伴うんですよね。なぜなら相手を思い通りにコントロールはできないし、見返りを求めないで自分を与えつくすってことは自分への「チャレンジ」ですから。その「痛み」から逃げるなら、本当の意味で人を愛することっていつまでもできないのかもしれませんね。

エラそうなことつらつら書きつづってるけど、僕もこれ日々激突してる挑戦。
人一倍ワガママ野郎だし、強い人間でも聖人君主でもないから、しょっちゅうジコチューになってますよ、正直。そんな状況でも、せめて自分に与えてもらっている大切な人たちは無条件に愛せるよう、「痛み」から逃げないで自分自身にチャレンジして行きたいなと。

だってlife is beautifulですから!

taddy