m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

w o u n d

2008-03-26 | cafe_monologue



ボクたちは、たくさんの「傷」をココロに負っている。

人生を歩んでいく中で、たくさんの「傷」をココロに負わせられている。

自分で傷つけたのかもしれないし、誰かから傷つけられたかもしれない。



だけど、「傷」はただ痛むだけのイヤなものなのだろうか?



水が溢れるほど入った一つの壷がここにある。

その壷に「ひび」が入るとどうなるか?

「ひび」の割れ目から水が周囲に溢れ出す。



ボクたちも、「自分」という「壷」の中に「自分の素晴らしさ」という「水」を溢れさせている。

その「水」が「壷」の中にあるだけでは、自分自身のみを満足させているにすぎない。

だけど、「壷」に「ひび」が入り「水」が外に溢れだすと、その「水」は周囲を潤す。



そう、ボクたちは自分の「傷」を通して周囲を癒していくことができる存在。

いや、「傷」を通してでしか、周囲に自分自身を与えることはできないのかもしれない。

そして、ボクたちは唯一無二の存在であり、自分たちの中にあるものの素晴らしさに気づかないといけない。

「自分の存在」というもの自体が、周囲を変えていくほどの素晴らしい価値あるものだということに気づかないといけない。



「癒し」とは「傷口」から生まれるもの。

「傷口」からあふれ出す「自分自身」から生まれるもの。

「弱さ」や「モロさ」は恥ずかしいものではなく、無上の可能性を秘めている。




taddy

l e s s o n

2008-03-25 | cafe_monologue



自分自身のせいなのだけれど、死にたくなるほど激しく落ち込んだ。
あたかも胸が刃物で貫かれたようで、何も喉を通らない。


堪え難い孤独感と虚無感が、時折波のように襲ってくる。
これほど落ち込むことは滅多にない。
ふと、枕元に置いている聖書に手を伸ばした。
「今のボクに必要な言葉を教えてください・・・。」
そう祈って、ページを開いた。


そこにはこう書かれてあった。


「あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしの示す地に行きなさい。」


一体、どういう意味なのだろう?
文字通り、この場所から離れろということだろうか?
大切な友人たちとも別れろということなのだろうか?


しかし、すぐにその言葉が示さんとしていることが分かった。
ココロの中にその言葉の意味が与えられた。


この言葉の意味。
それは、「執着しているものから離れて、本来いるべき所にいなさい」ということ。
もっと言えば、「人に執着する」のではなく、「人を愛しなさい」ということ。


誰でも自分の育った土地や、特別の思いと絆のある人々と離れることは簡単ではない。
種々の未練があるだろう。
しかし、それは時として正しい感情ではない。
なぜなら、土地や人への「執着」が生んだ心だから。
なぜなら、新しい可能性への入り口を閉ざしてしまうから。


自分にとって大切な人たち。
大切だからこそ、人生の素晴らしい時間をできるだけ共有したい。
大切だからこそ、最高の絆を作り上げたい。
けれども、その気持ちは、はたして純粋な「愛」に基づくものなのだろうか?
相手を失うことを恐れ、自分の所有物にしたてあげてしまってないだろうか?


「愛」は人を自由にするが、「執着」は自分も相手をも束縛してしまう。
束縛されては前進することもできない。
前進しない関係は、実りをもたらさない。


 愛は忍耐強い。
 愛は情け深い。
 ねたまない。
 愛は自慢せず、高ぶらない。
 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。


パウロが残したこの「ものさし」に、自分自身の言動をあてはめてみた。
そして、分かった。
ボクはまだ人を愛するということが十分にできていないと。
そこにこそボクの苦しみの源があるのだと。


「愛」は「感情」ではなく、「意志」。
「好き・嫌い」ではなく、無条件に自分を相手に与え尽くす「意志」。
なにがあっても揺らぐことのない、固い「意志」。


ボクは今、「お前自身のココロが変わらないといけないのだよ」と教えられている。
「人を愛する人間にならないといけないのだよ」と教えられている。


家族、友人、隣人。
ボクの人生に与えられているひとりひとりに改めて感謝した。
現状から逃げず、見返りを求めず、彼らを無私にただただ愛そう。


苦しみが持ってきてくれたこの「レッスン」に、ココロからありがとう。




taddy


e a s t e r

2008-03-23 | cafe_monologue



凍てつく冬があるからこそ、春のぬくもりがわかる。

痛むほどの苦しみがあるからこそ、喜びの価値がわかる。

だから、「春」や「喜び」にと同様、「冬」にも「苦しみ」にも感謝しなくちゃいけない。



「春」は「冬」の直後にやってくる。

「冬」の直前ではなく、直後にやってくる。

そして、「春」は必ずやってくる。



自然界はボクたちに教えてくれる。

闇の先には、必ず光があることを。

苦しみの先には、必ず希望があることを。

冷たい死の先には、必ずあたたかい復活があることを。



どんなに冷えこみ不毛に思えても、

どんなにこごえて枯れてしまいそうでも、

人生の「冬」に耐えた人は、人生の「春」を迎えることができる。



そして、思い出して欲しい。

凍り付いた「冬」の大地の中でも、種は生き続けていることを。

「春」の太陽が昇ったときに、美しく花開くことを。







happy easter!!




taddy

t i b e t

2008-03-18 | cafe_monologue



ここしばらくボクのココロの中に引っかかっているのは、チベットのこと。


今回のチベット騒乱では、中国側が武力行使し100名近くが亡くなっているようです。
中国共産党の発表では10名程度となっていますが、情報操作しているにすぎません。
現地に海外のメディアは入れません。
ウソで凝り固まった中国メディアの信用価値などゼロ。


おもしろいことに、中国政府は武力行使など一切していないと主張しています。
そうであれば、海外のメディアをシャットアウトする理由などどこにもないはず。
見られてまずいものがあるから、シャットアウトしているわけです。


チベットは、1950年代に中国人民解放軍の侵攻をうけて、中国に併合されてしまいます。
このことを中国では「解放」と呼んでいます。
「解放」などとはまったく馬鹿げた話です。


「セブン・イヤーズ・イン・チベット」などの映画でその時の様子が描かれていますね。
人民解放軍が若い僧侶に拳銃をもたせ、年老いた僧侶を撃たせているシーンが未だに記憶に残っています。


その後、50年間で120万人ものチベット人が殺害されてきました。
一時は2,711あった寺院が、70年代には8寺院まで激減。
同時期、僧侶の数も31万人から800人に。


チベットでは漢民族の移住政策が進んでいます。
これは、ナチスがユダヤ人やマイノリティーに対して行った「民族浄化」と同じ。
漢民族化を推し進めることで、チベットの文化や歴史、そしてチベット人自体を抹殺しようとしているわけです。
このようなことが、隣の国で現在進行形で行われているんです。


頼んでもいないのに、勝手にやってきて国を占拠した中国人たち。
彼らは我がもの顔で暴力と殺戮を繰り返す。
共産主義体制を押し付けて、自分たちの自由や権利、宗教や文化を奪い取っていく。
チベット語の使用は禁止されて、「愛国教育」を受けさせ中国化して行く。
ボクたちがチベットの人たちの立場だったら、どう感じ、どうするでしょう?


中国が国連の常任理事国であるせいで、国連も動けません。
国際的調査団を派遣さえできません。
海外からの批判の声に、中国政府は「内政干渉だ!」とヒステリックに反論しています。


内政干渉だなんてとんでもない。
中国が崩壊すれば、大量の難民が発生し、日本を含めた周辺諸国に逃げてくるわけです。
内紛になれば、戦争が勃発して周辺諸国に多大な被害をもたらす可能性もあるわけです。


世界は千年前の世界ではない。
おらが村で自己完結した世界ではなく、地球規模で物事が動く時代です。
一カ所で起こることは、次々と連鎖して他の所にまで影響を及ぼします。


そもそも苦しんでいる人たちの声に耳を傾けることに内政干渉なぞないことでしょうに。
何人たれ、人として自由に生きる最低限の権利を持っているはず。
それが行使できない人たちがいたら、正義の下に正すことが隣人のつとめでしょう。


これに対し、日本も含め、各国政府は弱腰の対応しかできていません。
なぜなら、中国とは経済的な利害関係があるから、おいしい蜜を吸い続けたいからでしょう。


しかし、目先の利益に捕らわれていると、最終的には自分のところにしっぺ返しがくることを分かってない。
曖昧な態度をとることで、間接的に人殺しに加担していることを分かっていない。
利益が人の命より優先されている現状に怒りさえ覚えます。


今回の件をオリンピックボイコットに結びつけるなという声もあります。
政治とスポーツは別だからと。
けれど、オリンピック自体がすでに政治化・ビジネス化してますよね。
中国も、今回のオリンピックを成功させることで、国威を世界にアピールしたいのがそもそもの目的ですし。
莫大なお金が動くから数々のスポンサーがつくわけですし。


それに、かたわらで人々が殺されているのを知りながら、スポーツを通して平和を語るなど本末転倒。
ボクが選手だったら、良心が痛んで参加できませんね。
イタリアの新聞(La Repubblica)が行った調査では、イタリア人の96%がボイコットに賛成とのこと。
台湾でもボイコットの声が上がり始めています。


チベットの人たちが、自分たちの文化と生活を守ることができることを祈るばかりです。
チベットの人たちが、自由に生きることができるようになることを祈るばかりです。
そのためにひとりひとりに何ができるか?
そのことをいろいろと考えさせる日々です。



taddy



d e s p a i r

2008-03-14 | cafe_monologue



日々の生活、順調なことばかりではない。


職場や学校でのツラい出来事。
こじれてしまった人間関係。
才能の行き詰まり。


深く傷つき、絶望の淵に立たされることが度々あるだろう。


そんな時、ネガティブな思いが次から次に湧き上がってくる。
「自分なんかどうせ・・・。」
全てを投げ捨て、暴走したくなる。


寝ても覚めてもココロはネガティブな感情でいっぱい。
怒り、悲しみ、痛み、苦しみでいっぱい。
もう、そのことしか考えられなくなってしまう。
否定的な思いばかり反芻し続けてしまう。


それはあたかも暗く狭い部屋に閉じ込められてしまったよう。
その狭い空間にあるものしか見えない。
外の世界には目が届かない。


だけど、ココロの目は常にその壁の向こうにあるものに視線を向けていなくてはいけない。
「絶望」ではなく、「希望」にこそ視線を固定しなくてはいけない。


それはあたかも猛毒を食べ続けているよう。
その毒はココロと体を着実にむしばんでいく。
そして、さらに容態を悪化させていく。


だけど、ココロの口は常にしっかりした栄養ある固形食で養われないといけない。
「絶望」ではなく、「希望」をこそ食べ続けないといけない。


ネガティブな感情は、あなた自身とあなたの大切な人たちとの仲を破壊しようとしている。
だから、ひと時のネガティブな感情がささやく言葉に耳を傾けてはいけない。
だから、ひと時のネガティブな感情に流されてしまってはいけない。
その代償はとてつもなく大きなものになることだろう。


どんなに空が曇っていても、雲の上にはいつも太陽が輝いていることを忘れないように。
その太陽にこそ、しっかりと目を注いでいるように。
そうすれば、ココロの中の嵐に押し流されず、安全に港へとたどり着くことだろう。



taddy

r e n t

2008-03-06 | yujiro



うぉぉぉぉぉーっっっっっっっっっっっっ!!!!!


ワタクシ、少しばかり興奮して取り乱しておりますの。


やっと公けに発表になったみたい・・・。


ミュージカル「RENT(レント)」のキャストが!!





親友の白川侑二郎が「ベニー」役で出演するんですよぉぉぉぉぉ。

実際にこのような形で発表されると、感慨もひとしお。

グッとこみあげてくるものがあります。

ヤツがこの著名な舞台に出るという実感がようやく沸いてきたなぁ。

相当な競争率で、有名な俳優でさえ落ちるくらいだったみたい。


「ベニー」は主役ではないですが、物語の中でもヒジョーに大切な役どころ。

これはかなりのチャレンジだ!


そして、これまた不思議な縁なのが、キャストのメンツ。

以前、友人のマサのライブにみんなでお邪魔したとき、一緒に出演してた田中ロウマRyohei

この二人が今回キャストに入ってるんですよ!

ビツクリ (@o@)


ちなみに「RENT」は、NYのブロードウェイでロングランヒットのミュージカル。

80年代後半のイーストヴィレッジを舞台に、様々なボヘミアンたちの生き様が描かれた名作です。


ブロードウェイでは、今年の6月に12年の公演の歴史の幕がおります。

そして、11月には日本で日本人による「RENT」が始動。

さて、どんな舞台になることやら!


みなさんも、でっかいチャンスを掴み取った侑二郎を思いっ切り応援したってください!




taddy

g r a t i t u d e

2008-03-05 | cafe_monologue



昨日、尚玄から一通のメールが届いた。

活躍の幅が広がり、夢の実現に向かって日々邁進している尚玄。

忙しくなれば、お互い会える時間も少なくなってきてしまう。



そんな中で届いたメール。

多忙さの中でも友人のことを思い遣ってくれる内容だった。

何気ない言葉だけど、言葉の裏にある彼の気持ちがボクのココロの奥底まで届いてきた。

物理的に離れていても、ココロはいつもつながっているものだということを身につまされた。



こういう瞬間に痛感させられる。

「人生って素晴らしい。」と。



ココロを満たしてくれるのは、

生きている喜びを感じさせてくれるのは、

おいしいご飯でも、ぜいたく品でも、名声でもない。



誰かが自分のことを思っていてくれていること。

誰かにとって自分は大切な存在であることが分かること。

それが、人のココロを根底から満たし、養ってくれる。



まさに、人はパンのみで生きるのではない。

ココロを与え合って、そして、ココロをいただきあって、人は人として成長していくのだと思う。

体は食べ物で養えても、ココロはココロでしか養えない。



尚玄のメールを読みながら、目頭が熱くなっている自分に気がついた。

ボクは本当に素晴らしい親友たちに恵まれている。

己の人生を呪いながら暗く辛い道を歩いていたこともあるけれど、今はココロからこう言える。

「人生って素晴らしい」と。



人はひとりで生きていくものではないことも、

人は自分のためだけで生きていくものではないことも、

今はよく分かる。



ひとりでは生きていけないからこそ、

お互いがお互いを必要とするからこそ、

「人生って素晴らしい。」

なぜなら、そのことを通してはじめて、自分の存在価値も、そして、相手の存在価値もわかるのだから。

なぜなら、自分今ここにいることの意義、そして、相手が今ここにいることの意義が分かれば、人生は「ありがとう!」の連続になるのだから。





taddy

p a r t y

2008-03-03 | yujiro



3月、明けましておめでとうございます。


日曜の夜は我が家でプチホムパをやりました。
春めいてきたので、野菜をいっぱいいただこうと「バーニャ・カウダ」を準備。
そう。直訳すると「熱い風呂」ってヤツっすね。





アンチョビとガーリックのペーストの匂いが食欲をそそりーの。
アスパラにパプリカ。セロリににんじん。チコリとマッシュルームにジャガイモ。
彩りも鮮や~か。
バゲットも用意して、ひたすらディップ、ディップ、ディップ!


今回は、最近いつも遊んでるメンツだけのアットホームな感じでやりました。
みんなもイタリアーノな食べ物を持ち寄ってくれて、ブォーノ、ブォーノ♪
マブダチの侑二朗(白川侑二朗)の持ってきた肉の塊はジューシーでまいうー!
マサ(橋本昌彦)が持ってきてくれたオリーブは、おどろくほどライトでデリシャス!
あすかやマサコが持ってきてきれたパスタやチキンも、口の中でとろけちゃつた!
ドライなワイン片手に、食事も進みます。







一通り飲み食いしたところで、お口直しにキンキンに冷やした「リモンチェッロ」でおもてなし。
さすがアルコール度数が30%もあるだけに、すぐにほろ酔い気分。
ぷはぁ~っ。


最後は季節のフルーツタルトでしめくくり。
イチゴ、マンゴー、ブドウ、ブルーベリー、カキ、バナナ・・・etcがたぷーり!
昨日来ていたメンツのひとりが誕生日だったので、みんなでサプライズのお祝いしたんです。





いやいや、ホントにハートウォーミングな時間をみんなと過ごせました!
こうやって、損得関係のない気心知れた仲間たちとまったりできる時間って、最高の時間。
こじんまりとした少人数のパーティって、ひとりひとりとゆっくり話せるからいいもんですな♪




(横隔膜を上下しあって恍惚な表情を浮かべるマサと侑二郎の図)




taddy