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急行特急は行く…

急行特急THが、気のみ気のままに形創るブログ

Mind Feeling0408-3 4月8 日

2009年04月08日 22時53分21秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
今日は4月8日。お釈迦様の日…になるんだろうか?
何時かに書いたが、釈迦の日と言うと、私はある小説の主人公を思い浮かべる。温厚で心温かいなベース弾きとして描かれている。日頃、他人に対して余程の事がないかぎりは怒らない。周囲から、仏の…という冠がニックネームにつくという主人公は、4月8日生まれである。
昨今は、苦しい時の神頼みでは相手にされないだろうが、世界の中枢にお釈迦様が現れて、悩める人類を救っておくんなさいまし、と言う所である。

Mind Feeling0408-2 月と桜と青信号

2009年04月08日 22時43分11秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
夕暮れの幹線道路の交差点↓


何ということないシーンだが、月と咲き誇る桜が綺麗だったので撮ってみた。信号機が青になってるのは、狙ったもので意味は深くない。
気の利いた言葉でも書ければ、と思うが出てこない何時ものオチ。
満月に近い月は、これから欠け、薄紅色のは散り行く。互いに一瞬の美しさを表し、競いあっていたら、どちらが勝つのか。多分、引き分けるだろう。双方共に美しいのだから。

Mind Feeling0408-1 霞む?昇陽時

2009年04月08日 06時54分16秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
天気が悪くなる前触れ、なんだろうか?それとも単なる霞みなのか良く解らない。或は、単に、私の心色の現れで本当はどこにでもある1日の始まりの空なんだろうか?
腕組んでそれを眺めている自分自身を思い描いても絵にはならないなぁ…と思いつつ、なんか知らないが零れた言葉達をとりあえず書き下ろしたものの支離滅裂で期待ハズレ。だから、ぐしゃっと丸めてクズ籠へ。
まとまりきれず、形にならず、それでも想いはある。それを多い隠す様な靄が現れた、とするとそれなりに、形造られる何かがありそうである。

Mind Feeling0407-1 Morning on Tuesday DJ:RINKO SUZUKAZE

2009年04月07日 06時58分13秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「始まりました~、涼風鈴子のモ~ニングコ~ル(ブー、という音が入る)……じゃなかった、モーニングオン、火曜日、だ・よー~ん、と言う風な出だしをやってくださいと言うメールをペンネーム、得する名前希望さんから頂きました。が、‘‘毎回、訳の解らぬ不気味に明るい感じの深夜っ気の抜けないモーニングオンを聴かせてもらっています,,まー夜明け時ですからねぇ、多少そんなダークな色もあっていーんじゃないかしらねぇ」 「(ヘリュウムガスを吸った声)こんなに陽が高くなっても夜明け時?」
涼風「…多分ね(ブー、という音が入る)。あらダメなの?まーいーけどさ。‘‘ネタで、涼風さんのモーニングコールの話をしてみましたが、涼風さんならどんな風にやりますか?,,そりゃきまってんじゃにないの。早く起きて、モーニングオン聴かんか~い!(エコー)……とやると、つまらないので、(セクシー声)ねぇ…起きて。モーニングオンのじ・か・ん。聴いて、あたしの放送」
「(ヘリュウムガスを吸った声)気持ちわりーんだよ!」
涼風「という具合にですね、あたしにモーニングコールなんかさせても似合わないんで、やっぱり、モーニングオン、ここで言いたいほーだい喋る、それしかないのよ、キャハハハ~、笑っても空しいので、今日の動きに入りますかねぇ、皆様。何、都合が悪くなったからって急に良い子ぶるなって?だんな~、しょーがないんですよ、時間ですから~」
「(ヘリュウムガスを吸った声)猿芝居してないで、とっととやれよにんべんに為でぃーじぇーがっ!(雷)」
涼風「はいっ、いつものヲチが出た所でまいりましょうか。4月7日きょーはー…」

トレイントーク0406 ~0407 快速急行・準急・準特急・新快速・多摩急行

2009年04月07日 00時06分11秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
世の中に、

「快速急行」

「準急」(=準急行)

「準特急」

「新快速」

「多摩急行」

という列車種別が存在するが、準急を除いて、いつからか、それらを冗談のつもりで、、
「快速急行」→「快速特急」

「準特急」→「準急行」

「新快速」→「新快特」

「多摩急行」→「多摩特急」

という具合に、ネット上ではなく、面と向かって誰かと話す時に、皮肉や嫉妬を込めて、呼称していたら、いつしか「口癖」になってしまい(挙句、「拝島快速」も「拝島快特」と呼称する始末)、トラブルまで招く事態まで引き起こしている私は、愚か者である。
だが、皮肉やら嫉妬やら何やらあるにしても、個人的に、これらの種別名がしっくり来ない。
特に、「快速急行」と「準急」(「準急行」と呼称するなら、まだしっくり来る)、「準特急」は、どこか半端な感じがする。もっと言えば、「もどかしさ」がある。例えて言えば、京急の増圧ブレーキ装備車の1500形が快特に充当され、120Km/h運転の時間帯で110Km/hしか出さないようなものである。もっと言えば、高速で5速付きの車で、4速で100Km/hで延々と走る様なものである。
ガキの理由だが、新快速が新快特としているのは、大好きな京急の快特よりも速い事から来る嫉妬が強い。多摩特急は、7割ネタだが、皮肉もある。
快速急行は、快速特急という列車種別名がある中では、半端な感じがする。急行よりも速い、快適で速いという意味で快速急行となっているのは解るが、やっぱり、高速で5速付きの車が唸りあげて4速で100Km/hで延々と走るのに似た「もどかしさ」がある。準急もこれと同じ理由で、「もどかしい」感じがするし、「準急行」が正式名なのに、「略される」のがもどかしい。特急も「特別急行」が正式だが、特別急行というと、言うと、「雲の上の存在」という感じで、「偉そうな感じ」がして、しっくりこない。「特急」と略されると安心感があり、受け止められる。
話は変わるが、快速も、やはり「快特」が定着し過ぎてしまった所為か、快速を快特と自然故意的に呼称してしまう事がある。拝島快特というのも、その理由がある。
急行特急は、私、独自の呼称だが、本当は「快速特急」が良かったのだ。だが、やはり京急好きが講じ急行特急という種別を産んだ頃は、「快速特急」という存在を大切にしたい、という思いと、更にそれよりも上を行く種別名が欲しく、超特急という発想はさらさらないままに、快速の上は「急行」で、「急行特急」が産まれた面もある。
そんな我が儘勝手な話なので、笑われて終わりなのは承知だが、持論としてはそんな所である。

トレイントーク0406-3 「形」と「系」の個人見解

2009年04月06日 23時21分58秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
鉄道車両を語る上で、「形」と「系」表記があるが、私は正直迷っている。
詳しい定義を知らない愚か者の鉄道ヲタクな私であるが、今から10数年前、当時親しかった鉄道好きだった親人から、「お上に提出する書類は、‘‘系,,ではなく‘‘形,,である」という話を未だに信じ、例えば、E231系と言われても、頑なに「E231形」と私は、文面上書いている。
鉄道車両は「形式」という名称で、位置付けられている様に思う。車両の妻面に、その鉄道車両を識別がなされていると思ったが、系式ではなく「形式」とあり、例えば、形式:デハ1327となっていたように思う。故に、その「形式」を受ける物、つまり、車種番号の後につく、添字は、「形」だと思う。つまり、8500形であり8500系ではない様に思う。
しかし、京浜急行の1500形の様に、インバータ車と界磁制御車や編成組成数によって、番号が異なる場合は、「同じ系列に属する」という意味で、「系」を添字として使い、「総称的」に「1500系」と言う表現はあっても良いとは思うが、個人的には、何か違和感に似た物と、あくまで「総称」なので、例えば、インバータの1700番台を言う時は、「1500形の1700番台」と言う風に私はしている。本来は、「1500系の1700番台」のが正しく、みばえてきにも良いのかも知れないが、1500形のグループ編成なのでどうしても、添字は「形」にしてしまうが、あくまでも「個人的なやり方」でしかないので、強くは言えない。
また、「形」を「がた」と呼称される場合がある様だが、矛盾する様だが、それには、違和感がある。
形式は「けいしき」と読むはずで、「かたしき」ではない。よって、その添字となる「形」は「けい」と読むのが、自然な感じがするのだ。かたしきと読み時は、「型式」と言う文字が当たるが、これさえも「けいしき」と読もうと思えば出来るので、訳が解らない。
正式な答えは、1つ、でも、人それぞれ、というまとまりのなさがある様に思うが、個人的な見解を述べてみたくなったので、書いてみた。

Mind Feeling0406-2 夕暮れ時の飛行機曇

2009年04月06日 18時58分20秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
見上げた紅金色の空に、飛行機雲があった。



「部屋の窓の向こうに、飛行機雲をなぞって…」と“GARNET GROW”の『夏の幻』を口ずさんでしまう感があるが、春の風吹く夕暮れ時に生える景色だなぁ~と思う。
上り坂の季節本番で、日が延びて、切なさが少し和らぐようなそんな印象を受ける。故に、冬が切ないのだろうか?