

2006年の篠原美也子のアルバム『レイディアント』から、『感情』を聴いてみる。
描けない真っ白なキャンバスに、美しくも、巧くもなく、誰もの目は、引かなくてもいい。ただ、描きたい、描いていたいものを、形にすること、それが、この曲か?とも思う。
描けない真っ白なキャンバスに、美しくも、巧くもなく、誰もの目は、引かなくてもいい。ただ、描きたい、描いていたいものを、形にすること、それが、この曲か?とも思う。

篠原美也子『淋しいのは』(1998年)を、マキシシングル“Still”(1998年)から、聴いてみる。
1998年も2018年の今も、相変わらずな私の日常にある、淋しさ、は、変わることはない。それでも、1998年当時は、淋しいなんてことは、ない。それを肯定したら、周囲に敗れる!と息巻いていたのは、否定しない。

1998年の篠原美也子のマキシシングル“Still”から、“Life is a Traffic Jam”を、聴いてみる。
我が人生の滞り、未だに、解消されず、日々は、流れ行く。

篠原美也子“Still”(1998年)を、マキシシングルから聴いてみる。この歌も、『ガラスの靴』同様に、リリースから、20年経過する、廃れたナンバー。でも、未だに、私は、忘れることの無い、1曲。

篠原美也子の1998年のシングル、『ガラスの靴』を聴いてみる。
篠原美也子のガラスの靴の輝きは、18年前に触れた、インターネット、にあったな、と思う。
インターネットが、なかったら、もう2度と逢うこともない、アーティストだったことだろう。

篠原美也子、1995年のナンバー、『名前の無い週末』を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』から、聴いてみる。
週末も歳末も似たようなもんだ。
駆けろ、光と影の間を、無名・無題・孤独を背負って、今日を生きる希望を背負って――

篠原美也子の1993年のアルバム『海になりたい青』から、『心のゆくえ』を聴いてみる。
2018年終わって、また、皆様方の心模様は、変わり、私は、ひとり、今のままなんでしょう。

2009年の篠原美也子のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』から、“our song”を、聴いてみる。
不意に、思い出して、聴いてみるナンバー。
私は、未だ、私達、には、なれないままに、今ここにいる。今さら、私達を、望んでも遅いが――。

篠原美也子“I KNOW”を、2017年のアルバム“STAY FOOLISH”から聴いてみる。
また、明日が来る。
望む明日ではない、としても。