今から5年前の投稿したこの記事。私が28歳になった日に書いた話である。本記事で使った画像はその当時、その記事用に撮影したもの。
「置き去りにされたような狭間の世代」とファンの歌手が28歳を目前にして書いた3rdアルバムのあとがき。5年前の2009年に28歳なった私であり、28歳つながりで紹介したものであるけれど、28歳当時の私は、そんな「置き去りにされたような狭間の世代」と感じてはいなかったかな、と思う。今より幸せで、そんな事を感じる隙もないくらいな気持ちでいたことは違いない。
5年後の今になってようやく、「時代」に「社会」に「同年代」はおろかそれより下の世代からも、「置き去り」にされた事を実感する事になるとは思いもしなかった。きっと私が気付かなかっただけで、28の頃も既に時代にそして社会に同世代はおろかそれより下の世代からも置き去りにされていたのだろう。情けない話だか、こんな今があると言うことはきっとそうなんだろう。
置き去りにされた事からくる寂しさがないと言えば嘘にはなるけれど、それは哀しさでもあって。とはいっても、もはや、遠退いた背中に追い付ける気もしないし、追い付きたいと思ってもならない気がして。置き去りにされないための競争や自分さえよければ他人を害することもいとわないくらいな生存競争にはどうしてもついてはいけない――そう思った時点で、負けで、そう言葉にした時点で負けと言う「言ったものが敗者」と言う考えにもついてはいけない。置き去りにされたものの妄言や逆ギレだと言われようとも、それは、置き去りにされてみなければ解らない世界の話である。
「置き去りにされたような狭間の世代」とファンの歌手が28歳を目前にして書いた3rdアルバムのあとがき。5年前の2009年に28歳なった私であり、28歳つながりで紹介したものであるけれど、28歳当時の私は、そんな「置き去りにされたような狭間の世代」と感じてはいなかったかな、と思う。今より幸せで、そんな事を感じる隙もないくらいな気持ちでいたことは違いない。
5年後の今になってようやく、「時代」に「社会」に「同年代」はおろかそれより下の世代からも、「置き去り」にされた事を実感する事になるとは思いもしなかった。きっと私が気付かなかっただけで、28の頃も既に時代にそして社会に同世代はおろかそれより下の世代からも置き去りにされていたのだろう。情けない話だか、こんな今があると言うことはきっとそうなんだろう。
置き去りにされた事からくる寂しさがないと言えば嘘にはなるけれど、それは哀しさでもあって。とはいっても、もはや、遠退いた背中に追い付ける気もしないし、追い付きたいと思ってもならない気がして。置き去りにされないための競争や自分さえよければ他人を害することもいとわないくらいな生存競争にはどうしてもついてはいけない――そう思った時点で、負けで、そう言葉にした時点で負けと言う「言ったものが敗者」と言う考えにもついてはいけない。置き去りにされたものの妄言や逆ギレだと言われようとも、それは、置き去りにされてみなければ解らない世界の話である。