吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

ツバメの伊勢おかげ参り その2

2023年04月24日 | 紀行
4月19日(水)
2日目の朝はまず、宿泊するホテルから徒歩10分くらいのところにある二軒茶屋餅角屋本店へ。
ここは海路でお伊勢参りにやってきた旅人をもてなした天正年間(1575)創業の由緒ある茶屋。

川のほとりに船着き場があり、側に大きな木が茂っています。
なんか登りたくなる形状。


お店に入ってお茶と名物の二軒茶屋餅をいただく。

朝ごはん食べたばかりで入るのか?との心配はただの杞憂。
ほどよい甘みの餡と柔らかく上品なお餅に絡まるきな粉の加減が好みにぴったりで、今まで食べた中で一番おいしいかもと思ったほど。
ぺろりといただきました。
健太郎くんのファンであることを伝えるとお店のおねえさんの表情がぱっと明るくなり、健太郎くんが来店してジャーナルの撮影をしたときのことを興奮気味に話し初めてくださいました。
2度目の来店だった撮影時、本当に謙虚で好青年で、応援したい気持ちが自然と湧いてきたと。
奥でお餅づくりの作業をしていた年配の女性(ご店主さん?)をわざわざ呼んでくださって、そのときの思い出話が始まります。
隣に座って写真を撮ったときはもう嬉しくて嬉しくて腕でも組もうかと思ったそう。その気持ちわかります~💕
みんな目がハートになっちゃいますよね。
お二人の女性は少女のように顔を輝かせて、もはや健太郎くんにメロメロのご様子。
いろんなところで愛されてるのがわかって、ファンとしては嬉しさ全開でした。

健太郎くんおばあちゃんおススメのお醤油と、健太郎くんお気に入りの赤白合わせ味噌を購入。
かなり重くはなりますが、ここでしか手に入らない貴重なもの。絶対買おうと決めていたので、大満足でした。

一旦ホテルに戻って荷物を置くために、勢田川に沿ってそぞろ歩き。


江戸時代の伊勢への交通と物流を支えた「川の駅」や米問屋、蔵など往時の面影を残す建物も保存されていて、かつて行き交う旅人で賑わった風景にしばし思いを馳せました。

さて身軽になって内宮へ、いざ出立いたす!
内宮は伊勢の中心といえるお社で、全国民の総氏神のように崇められる天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(こうたいじんぐう)の通称です。
五十鈴川にかかる宇治橋を渡るとそこからは神域と言われるだけあって明らかに空気が引き締まります。

自然のパワーを浴び、神の鎮座まします尊い森の懐に抱かれて、細胞から入れ替わるような感覚を味わいました。
これは言葉にならないありがたさです。
やはり日本人なんだな。理屈を超えた細胞レベルの話です。
まずは古くからの参拝者にならって、五十鈴川のほとり御手洗で手を清める。
神様の鎮座される場所では物見遊山はご法度と意識を高く持ちながらも、厳選したジャーナルの撮影ポイントでは、静かにご迷惑にならないようにちゃっかり撮影。


約1時間半かけてひととおりの社を巡り終えて宇治橋を渡る。

この旅を計画していたとき、地図上に内宮の向かい側に「大水神社クスノキ」と書かれているスポットを見つけ興味を引かれていて、時間があったら寄りたいと思っていたのですが、うってつけにランチの予約の時間まで少し余裕があるので寄ってみることにしました。
なにしろ「クスノキ」は舞台『背信者』で健太郎くんが演じた役の名前だし、伊勢内宮の向かい側に大きなクスノキがあるというだけで神秘的な縁を感じたのです。
タクシーの駐車場の奥に石段と鳥居を発見。なかなか人目につかない位置に社がありました。
石段を登って行くと清掃係の女性が「どうぞお参りください」と声をかけてくれました。
ここは内宮の摂社で大水(おおみず)神社。

小さなお社を参拝したあと、女性にクスノキの位置を尋ねると、内宮に向かって右側少し高くなっているところに石垣に食い込むようにそびえる立派なクスノキを発見。なんと樹齢600年だそう。

女性は問わずともこの地の歴史について語ってくれました。
石垣の上はかつて神職を要請する学びの場があったこと。
宇治橋を延長した先にあるお社は饗土橋姫(あえどはしひめ)神社と言い橋をお守りする神様であり、式年遷宮で橋を架けかえる際に一万回お参りしてお札を授かりそのお札を宇治橋の外側から2番目の擬宝珠(ぎぼし)の中に収めるという風習があるそう。
今ではそれが転じて当該の擬宝珠を触るとまた参拝に来ることができるという言い伝えになっている。これは尾ひれの方で、大切なのは宇治橋は饗土橋姫(あえどはしひめ)に見守られていることに感謝する気持ちなのだと。
このように後の世の拡大解釈も含めて、本来の趣旨から遠ざかったり、いつの間にかついた尾ひれが広く浸透し信じられるようになってしまうこともあると、ただそれを嘆くだけではなく、しっかり勉強して物事の真偽を見極める力をつけなくてはならないと。

まさに舞台背信者で扱っていたテーマではないですか。
定かでない情報が独り歩きし、いつのまにか真実から遠ざかってしまう。
「(下世話なことに食いつき噂話の好きな)民衆はバカ。でもシビア。いつまでもあると思うな可処分時間」byイザクラ編集長。
人はようやく削り出した自由時間を面白くなさそうなことには使いたがらない。
皆、定評のあるテーマパークや写真映えスポットへ押しかけ、その上澄みをさらいたがる。

来る前はクスノキの大木の写真を撮りにちょっと寄ってみよう程度に思っていたところが、非常に重要なお社だったことがわかったうえに、心に響くお話を伺えて予想をはるかに超えた有意義な体験となりました。

もっとお話を聞きたかったですが、ランチの予約の時間が迫ってきたので大水神社を後にし、五十鈴川縁に建つ由緒ある食事処の「とうふや」へ。自家製の豆腐とアナゴ料理が名物です。
とうふや御膳を注文。豆乳の味が濃く、味わい深い。寄せ豆腐も何もつけなくても美味しく食べられる。アナゴ天は一本丸々。アナゴ叩きずしはご飯がつぶれるくらいに押されているのが特徴。どれもよいお味で五十鈴川を臨む景色とともに大満足でした。

お腹が満たされたあとは、おはらい町とおかげ横丁を散策。
一旦おはらい町の内宮から一番遠い端まで行ってから戻って来ながら気になる店先を覗いていきました。
ちなみに「おはらい町」は伊勢神宮内宮の宇治橋前から猿田彦神社方面へ真っすぐ続く参道で、その中ほどにある赤福本店前あたりにつくられた商業エリアが「おかげ横丁」。江戸時代末期から明治時代初期の鳥居前町の町並みを再現した観光地で1993年に完成したそうです。

お昼が充実していたので、なかなかお腹がこなれないものの、何としても赤福本店では伊勢名物として一番有名な赤福餅をいただかねばと半ば使命感で来訪。
店先に「つばめの巣づくりにご協力ください」と表示があって、街全体で燕の営みを優しく見守っているのだなと実感。
おはらい町を歩く間中、ずっと燕が頭すれすれくらいに低く飛んでいて、それぞれの店の軒先に作られた巣で待つ子ツバメにひっきりなしにえさを運んで来る姿がほほえましかったです。


赤福本店の店頭で注文して番号が呼ばれるのを待ち、小上がりの席に通されました。
健太郎くんがJornal vol.2に掲載された写真で座っていたのは川を臨む縁側のようだったので、それとは別の席でしたが内宮お膝元の本店で赤福をいただけて満足。


ひととおりお土産物などを物色したので、おはらい町を端まで抜けた先にある猿田彦(さるたひこ)神社へ。
猿田彦大神は人々を良い方に導き世の中の行方を開く哲行(みちひらき)の神として知られることから、芸能人も多く足を運ぶと言います。うちの近所にもあり、親近感。
健太郎くんが弱虫ペダルのロケで、近くの伊勢志摩スカイラインに来ていたとき、撮影の合間に永瀬廉くんと坂東龍汰くんを案内して来たそうです。
ここでもJornalを真似て撮影会。

バスで伊勢市駅へ戻り、有名な「ぎょうざの美鈴」へ。

店の外までにんにくのよい香りが漂う。入店まで外で10分ほど待ったでしょうか、カウンターだけの店内に最初は3人と2人が離れた場所に着席。しばらくして席が空いたら、5人並べるように移動してもらえました。そのあたりのさばきも流石だなと思いました。
とにかく安くておいしくてボリューム満点。三重の地酒「鉾杉」も美味しくてコップで2杯飲んでしまった。健太郎くんのファンだと言うとお店の人が喜んでお話してくれました。
おばあちゃんも行きつけで、とにかく健太郎くんのお母さんの美しさが衝撃的だったとお話されました。お店を切り盛りするお姉さんもかなりの美人と思いましたが…。二軒茶屋でも思いましたが伊勢は美人が多いのでしょうかね。
壁には多くの有名人のサイン。もちろん健太郎くんのも見つけました。

歴史も食も深い考察も目一杯楽しんだ伊勢旅2日目でした。

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