吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

平泉再訪 その4

2022年11月15日 | 紀行
滞在2日目。
朝、東北本線平泉駅の前で奥州市在住の健友さんと待ち合わせ。

去年あたりから、ツイッター上で推しの伊藤健太郎くんの魅力について
たくさんの健ラバの方々とやりとりさせていただいていて
中でもひときわ萌えポイントが共通しているお友達と意気投合。
今回、平泉を再訪するにあたって、ぜひ会いましょうということになり
お時間作っていただいたのです。

まずは、駅前の平泉観光協会事務所へ。
ガラスケースに今年5月の義経公東下り行列の写真が展示されています。
撮影許可をいただき、反射するのでわざわざガラスの扉を開けてくださいました。
残念ながらSNS掲載はNGです。

健友さんと二人で、ひとしきり事務所の方たちと
今年の盛り上がり具合とその後の反響について質問し
全国から24万人が観覧、
前日から行列ルートの下見に訪れた人も多かった
などとお話を聞くと、
やはり健太郎効果は絶大だったのだと確信しました。
「さすがに2年連続同じ配役はないですよね~?」
と水を向けると
「前例がないですね~」
と所長さん。
「来年のポスターは販売しないのですか?
もし販売されたら購入したい人たくさんいると思いますよ」
例年、前年度の義経公の写真が中央にドーンと映った
ポスターを作成されているので、
来年度は健太郎義経公が
メインビジュアルになる予定。

ただ販売は、運営の規定上難しいと思いますとのこと。
あくまで行政主催の行事なので民間のように小回りは利かないのでしょう。
その辺の事情はお察ししたうえで
「お祭りの協賛金を募集してその返礼品としてポスター配布とかいかがですか?」
なんてアイデアもぶっこんでみました。
きっとそういうご意見もすでに届いていることと思います。
まあ、成就するかは置いておいて
熱は伝わったと思います。
うざくてすみません!

観光協会さんを後にして、
健友さんがクルマで周辺の観光名所にお連れくださいました。
まずは、私のリクエストで
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ。
前日、毛越寺で披露されていたお神楽の伝わっているお寺です。




岩肌に食い込むように建てられたお堂が、すごい迫力!

延暦20(801)年、朝廷から初代の征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が、
蝦夷を平定した戦勝を記念して戦いを司る毘沙門天をまつり、
国を鎮める祈願所とし建てたお堂だそう。
坂上田村麻呂が建立に尽力した京都の清水寺の形を真似て作られています。
何度か火事で焼失・再建を繰り返し、現在の建物は昭和36年に再建された5代目とのこと。
毘沙門天は寅年の守本尊で、悪鬼を払い財宝・地位・知恵・寿命などの福を招くのだそう。
寅年生まれの私は何かご縁を感じる。
いいことがあるかな?
とりあえず12月の健太郎関係イベントは日程ことごとく都合つかず。
まあ、これからに期待ですね。

お堂に向かって左側の岩壁には、摩崖仏が彫り込まれています。

写真ではわかりにくいですが、少し離れて肉眼で見ると、得も言われぬ尊さを感じます。
本来は全身が掘られていたものが、
明治29(1896)年の陸羽地震で大きく崩落し、
現在は肩から上だけが残っています。
資料によると地面から頭頂までの高さは15m94cmもあるそうです。

お堂のすぐそばでは今まさに発掘調査が行われています。

掘る女、興奮~!
何が出てくるのかドキドキですね。
できることならば作業に加わりたかった(笑)

続いて健友さんが連れて行ってくださったのは
有名な厳美渓。勇壮な渓谷の景色にしばしうっとり!


ここの名物は「かっこうだんご」

対岸にある団子やさんからロープウェイのように吊り下げた籠に
お金を入れて隣にある板を木づちでトントンとたたくと
お店の人がロープを引っ張って籠がお店に到着。
お団子とお茶の入った籠が戻って来るというシステム。
ちゃんと熱々でおいしいお茶が紙コップに入っていて
その上にお団子の箱がかぶせるように置いてあります。
不思議にもお茶はまったくこぼれていないのです。

お団子やさん、すごい技だな~!
一人前500円でこの量!

お味も素朴で美味しい!

ほっこりしたところで、
「石のほとけ」の展示があると聞いていた
平泉世界遺産ガイダンスセンターへ。
盛りだくさんな展示につい見入っているうちに
ランチしてから一ノ関駅発の新幹線を目指すのにいい時間となりました。
センターの入り口にはマスコットキャラクターの
「ケロ平くん」。

けろひらと読むのですって。
平泉の「ひら」なんですね。


一ノ関駅近くの健友さんお勧めのお店でランチ。


新幹線の時間とのにらめっこで、
お店の人には急がせてしまって申し訳なかったですが
地元食材を使ってヘルシーなのにしっかりボリューム感あり
美味しかった~!
また食べに行きたい‼
Café 自休自足
https://www.instagram.com/cafe_jikyujisoku/?hl=ja

半日お付き合いいただいた健友さんには
本当にお世話になりました。
今回のアテンドのために、タイムテーブルまで作ってくださってたなんて
まるでツアコンダクター。
車中でたくさん推しの魅力について語り合えて、
リアルでは初顔合わせだったのに、
もう古くからの友人のような気になっているという・・・
素敵な出会いをくれた健太郎くんには
もう、「ありがとうの100乗」を送りたいです!
平泉への2回目の訪問は歴史探訪、食事、
推しの残り香、新たな出会いすべて充実で
身体だけでなく心にたくさん栄養補給した旅になりました。
長らくお読みいただいて、ありがとうございました。
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平泉再訪 その3

2022年11月11日 | 紀行

日も暮れて、中尊寺からゆるゆる下山し
そのあとどうしようかと思案。
お昼がかなり重かったし、
開いているお店もなさそうだし
朝通りがかった町営温泉施設に寄って宿に帰ろうかな?
なんて考えながら歩くも、どの道も真っ暗!
私の実家の方もそうだけど
日が暮れてから歩く想定になっていないんですね。
なので脇道にそれるのはあきらめて
車通りを宿方向へ向かっていると
ひっそりとした通り沿いに焼肉屋さんの灯り。
店名は「コーリャン」。
どうやら営業しているふう。
なんか面白そう、とノリで入ってみる。

座敷席に通されて、
まずお酒の注文
「日本酒がいいんですけど、銘柄は何ですか?」
とご主人に聞くと
「どんなのが好み?」
と返ってきたので、
「辛口が好きですけど、できれば地元のお酒がいいです」
と答える。すると
「じゃあ、呑み比べみたいにしてみる?」
え、そんなうれしい!
出てきたのがこの3本のボトル。

「好きに自分で注いで飲んでて」
だって、え~何という気前のよさ!うれしすぎる!
私的には一ノ関地元の「関山」が好みにはまっちゃいました。
お肉はハラミを注文。

これが、めちゃくちゃ美味しい!
このあたりは前沢牛が有名なので、
てっきりそうなのかと思ってご主人に聞いてみると
岩手南牛というブランドなのだそう。
お値段リーズナブルなのにこのクオリティ!!
いやこれは、棚からぼたもちかも?

隣りに女性2人組が通されて、
何だかすごい量を注文していらっしゃる。
常連さんなのかなと思っていたところへ
お客さんの流れがひと段落して手の空いたご主人が
私の席に来て、一緒に呑み始める。
お隣の女性2人も会話に加わり、すっかりなごやかな雰囲気に。

2人組は実は親子で、お母さまとってもお若くてびっくり。
見かけによらず(失礼)土建業の社長さんで
富山に本社、仙台に支社があり、
中尊寺の紅葉を見にいらした帰りたまたま寄ったとのこと。
すっかり意気投合して
私がジャズやブラジル音楽を歌っている話をすると
興味津々で、ぜひ富山でもライブしてくださいって
盛り上がってしまいました。
連絡先も交換したので、ぜひ実現しますように!

お会計でまたびっくり!
あんなにたくさん飲んだのに、
1杯分のお値段で計算してくれてるのです。
美味しくて楽しくて良心的なお店、
ぜひまた行きたいです。

そんな予期せぬ素敵な出会いに満ちた
平泉滞在1日目は暮れて行きました。

翌日はさらに濃い出会いが待ってました。
乞うご期待!!
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平泉再訪 その2

2022年11月08日 | 紀行
わんこそばでお腹いっぱいになり
次は中尊寺へ向けてゆるゆる歩く。
店を出てすぐに史跡解説の小さな看板⁉
こういうの見つけると興奮するたちなんです。
白山社跡


奥州藤原氏の鎮守の一つと推定される神社の史跡。
思いがけず興味深いことに遭遇するのも
歩き旅の醍醐味。

月見坂を上って中尊寺に到着すると、
折しも菊まつりの開催中。
地元の方たちの手によって丹精込めて育てられた菊が
見事に咲き誇っていました。


前回中尊寺を訪れたとき、見逃していた「中尊寺ハス」を目指す。
本当は開花時期の7~8月に来たかったけれどかなわず
今回こそ見なければとの使命を帯びて、
金色堂と讃衡蔵との間の坂を下って行きました。
ここは健太郎義経公がすべての行程を終え
迎えの車に乗り込んだところです。

坂を下ると湿地のような低地が広がっています。
ここで育てられているのは800年の時を超えて発芽した
「中尊寺ハス」です。


昭和25(1950)年、
金色堂に安置されている藤原氏四代のご遺体の学術調査が行われた際、
第4代泰衡公の首が納められていた桶から
百粒あまりの蓮の種が発見されました。
大賀一郎博士とその門弟長嶋時子氏による研究と丹精の末、
平成10(1998)年、ついにその種からの発芽に成功したのです。
このお話を知ったときから、
その情熱と不断の努力、
そして蓮の生命力に感動したものですが、
その蓮が育てられている池を
実際に見ることができて感慨深い想いに浸っていると
先ほどまでの好天が一変。
急に小雨が降り出しました。
わずかの間でしたが、これは何かのお告げか?
平泉で無念の死を遂げた義経公の涙ではないかと……
そこで一句。

蓮池に 義経公の 涙降る
          京花

今は極楽浄土で安寧にされていることを願います。

すぐに雨もおさまり、日の入りが早い東北の地に
夕闇が迫ってきました。

境内では期間限定(10月末~11月中旬)のライトアップ。
美しさにしばしうっとり。



金色堂もライトアップで幻想的に。


暮れなずみ 秋の装い 光堂
           京花

春の藤原まつりでは、
行列と法要を終えて金色堂前に主要役者が並び
締めくくりのインタビューに答えていました。
あの時の健太郎義経公の
達成感に満ちた晴れやかな表情が思い出されます。

その3 夜の部へつづく。
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平泉再訪 その1

2022年11月06日 | 紀行
11月1日~3日まで世界遺産の町、平泉にて行われた
「秋の藤原まつり」を目指して、
11月3日4日の2日間気ままな一人旅に出かけてまいりました。
2022年5月3日に3年ぶりに行われた
「春の藤原まつり源義経公東下り行列」に
わが推しの伊藤健太郎くんが義経公役で登場とあって、
満を持して初めて訪れた平泉。
平安装束に身を包んだ地元の方々とお馬さんたちが繰り広げる時代絵巻と
伊藤義経公の極楽浄土から舞い降りたような美しさを目の当たりにした感激が
今もまだ体内を巡る。
その鮮烈な記憶が薄れないうちに、
紅に染まった平泉の風景に義経公の面影を重ね合わせたくて
この機会を逃さんぞ!と勇んで出かけたのでした。

2日の夜に平泉に到着。
毛越寺(もうつうじ)側の浄土の館(じょうどのたち)に宿をとる。
3日朝は相当寒いのでは?と警戒していたのに反して、
さわやかなちょうどよい気温。
朝靄に包まれる幻想的な毛越寺。



素泊まりなので朝ごはんを買いに駅前まで散歩がてら歩くと、
写真館のディスプレイには今春の義経公の写真が。
これだけでもほっこりした気持ちに。



宿で簡単な朝餉を済ませ、目当ての毛越寺での「延年の舞」
開始の11時までにはまだ時間があるので、
前回訪問時に時間切れで断念した「平泉文化遺産センター」へ。
その途中、町営の日帰り温泉施設があって、
夜9時までやってるから寄りたいな~?と目論む。


文化遺産センター入り口エリアは写真撮影OK。
かの有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の一番の目的地は平泉だったとか。
悲運の武将、源義経公が無念の最後を遂げた地であり、
浄土思想を体現した平和な国を実現しようとした
奥州藤原氏が四代にわたり独自の黄金文化を花開かせた土地。
俳人の創作意欲を大いに刺激したのでしょう。


折しも町内の発掘調査速報展示が行われており、遺跡好きにはウハウハでした。




さてそろそろ毛越寺へ向かわねばということで、
その前に毛越寺お隣の観自在王院跡で、
ほやほやの発掘調査速報の写真で見た現場へ。
「車止め跡」つまり平安時代のリムジンだった牛車を留めるところは
こうなっていたんだとしばし平安の貴人の香りに思いを馳せる。


毛越寺はまさに紅葉の見ごろ。


本堂から義経公ご一行と出迎える藤原秀衡公がお出ましになった。
秀衡公の前に跪く義経公のお姿の美しさたるや…


これは5月の東下り行列の伊藤義経公の登場場面

藤原秀衡公の前に跪く姿

境内では「延年の舞」に先立ち平泉の郷土芸能が披露されていました。
これは達谷窟毘沙門神楽(たっこくのいわやびしゃもんかぐら)というもので、毛越寺から少し離れたところに位置する達谷窟毘沙門堂に伝わるお神楽です。


いよいよ能舞台にて「延年の舞」が始まります。
義経公東下り行列の時には扉が閉められていたので気づきませんでしたが、
三方の扉が開放されると見事な能舞台が現れます。

舞台の梁を囲うように吊り下げられている装飾のような切り紙は
「雑花(ぞうか)」と言って舞台と外を隔てる結界の役割なのだそう。
毛越寺独自の紋様の型紙が48種類あったそうですが、
現存する型紙は12種類。
植物や家紋を表すデザインが面白いです。



まず貫主さんが登場し、
「延年の舞」のいわれや演目の説明をしてくださいました。
「延年」とは文字通り「寿命を延ばす」という意味。
有力な寺社で大きな法要が執り行われた後に
厄払いと健康長寿を願って奉納される歌舞を総称して
「延年」と呼ぶそうです。
平安時代中期ごろから盛んになったものの、
時代とともに廃れ現在でも継承保存されている例は
全国でも数えるほどとのことです。
毛越寺に伝わる「延年の舞」は重要無形民俗文化財に指定されています。
そのような貴重な芸能を見る機会とあらば、逃す手はありません。

当日は
「路舞・唐拍子(ろまい・からびょうし)」
「若女・禰宜(じゃくじょ・ねぎ)」
「王母ヶ昔(おぼがむかし)」
の三曲ほど披露されました。
貫主によると舞を継承するのは並々ならぬ努力があるとのこと。
稚児舞は今は中学生が担当していますが、
本来はもっと小さい子どもが舞うもの。
舞手を育成する活動も徐々に行っているそうです。
少子高齢化の中で伝統文化を守るのは大変ですね。




私事ながら、もうすぐ還暦を迎える身。
延年の舞で厄を払い健康長寿を授かった気分。
ありがたさを噛みしめました。
そこで一句

延年の 舞でことほぐ 六十路かな
京花

舞の鑑賞のあとは紅葉に染まる毛越寺の美しい庭園を散策。



毛越寺を出てお昼はわんこそばで有名な芭蕉館へ。

歴代の義経公役のタレントさんもいらしたお店で、
写真やサインが玄関に飾ってありました。
残念ながら健太郎くんのはありません。
スケジュールの都合で行列が終ったら即帰らなければならなかったと
ラジオでお話されていました。

この量!食べられるか?との心配もよそに、
お椀には本当に一口分だけがよそってあるので、
ツルツル~っと行っちゃいました。
薬味がいろいろあるので味変を楽しめるのもよいですね。

お腹いっぱいになったところで、次へつづく。
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