吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

いざ!平泉 その3

2022年05月14日 | 音楽雑記
5月4日
前日に健友さんたちと酌み交わした祝杯も心地よく、
義経公東下り行列の余韻さめやらぬまま翌日を迎えました。

以前から興味のあった平泉の世界文化遺産登録の歴史資産群を
一人気ままに探訪といきましょう。
まずは前日行列が通過した中尊寺通りをたどる。

昨日は健太郎義経公目当てに、
自分も含めあんなにたくさんの人々がひしめき合っていたのに、
今日はこの静けさ。

つわものどもが夢のあとを体感。
(意味的にはちょっとちがうけど)


踏切では東北本線の通過に遭遇。ラッキー!



無量光院跡の背後を通過する貨物列車!
手前の作業車両も併せて、平安時代と現代が交錯する異空間体験。




一昨日時間切れで入れなかった義経公終焉の地、高館義経堂(たかだちぎけいどう)へ。
高台から見下ろす北上川と背後の山々の風景、
薫風にそよぐ若葉や花々があまりに美しく、
心の中で「平泉の自然よありがとう~!」と叫んでいました。



このような急階段を上った先に社が



内部には義経公の像

社の下には小さな資料館
義経公の足跡が辿れます。


私の故郷である山口県下関市の壇ノ浦で平家を滅亡に追いやる戦功をあげたのに、
兄弟間の確執で追われる身となってしまった義経公。
鉄道も車もない当時、海越え山越え、平泉まで大移動でお疲れ様です。
精神的にも兄者にうとまれてさぞや辛かったろうとお察しいたします。
それを自らの危険も顧みず、寄る辺なきものを受け入れ保護する藤原秀衡公の
あっぱれな心意気に感じ入るのでした。
しかし、それも束の間。
秀衡公の死後、鎌倉殿=源頼朝の圧力に耐えきれなくなった
藤原氏4代目の泰衡公は義経を襲撃。
もはやこれまでと自害した義経の首を鎌倉殿に差し出すも、
結局難くせつけられて攻撃され、
奥州藤原氏は滅亡の憂き目にあったのでした。
ぜんぶ鎌倉殿のせい?

歴史は理不尽なことでできている。
おっと、今もか・・・・


無念の最後を遂げた義経公と滅亡を余儀なくされた奥州藤原氏に思いを馳せ
500年後にこの地を訪れた松尾芭蕉が読んだ句の碑が北上川を見下ろす。


夏草や 兵どもが 夢の跡

私もあやかり一句
若武者の 果つる高館 若葉萌ゆ
京花




義経堂を中尊寺方向へ下っていくと
芭蕉に同行した弟子の曽良が

卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな


と読んだ「卯の花清水」と名付けられた湧き水に出会う。
義経公の配下で、妻と子の守役であった老臣・兼房の無念さを慮る句です。



長くなってきたので、その3は一旦このあたりで。
その4に続きます。

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