吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

近江八幡の旅 その1

2023年06月26日 | 紀行
少々前のことになりますが、
ゴールデンウイークに羽を伸ばした思い出をつづります。

5月3日に富田ジャズストリートと高槻ジャズストリートに出演するので
せっかくなら行きたかった近隣の土地を訪れようってことで
4月30日のことですが、まずは滋賀県近江八幡市にやって来ました。

近江八幡は琵琶湖とつながる水運の要ゆえ
古くから栄えた近江商人の街として知られています。
江戸時代の風情を残す有名な八幡堀は
たびたび時代劇の撮影地となっています。
わが推しの伊藤健太郎くんがゲスト出演した
必殺仕事人2019でも登場しました。
てなわけで、ロケ地巡礼も兼ねての旅でございます。

早朝、東京を出発して10時ごろに到着。
まずこの街の歴史を知ろうと路線バスで市立資料館へ。

第一印象、道が真っ直ぐ!!
資料館のある新町通りは歴史的景観が保存されていて、
さながらタイムスリップしたよう。
このような景観を保存するにも相当なご苦労があることと思います。



ざっくりとした街の歴史はこう。

1582年、本能寺の変で命を落とした織田信長の居城だった安土城が
信長の死後ほどなくして焼失し、
時の天下人、豊臣秀吉が、
安土城からすぐ近くのこの地に城を築くよう甥の豊臣秀次に命じ、
1585年築城とともに城下町が開かれました。
その後、秀次は不運にも秀吉から疎まれ自害することになりますが、
秀次亡き後は水運の要衝である立地条件を生かして
商業都市として発展しました。

ということを今回初めて知った、遅れて来た歴史かじり虫です。
道が真っ直ぐなのも、城下町として開かれた際に
碁盤の目状に道路が整備されたからなのですね。

八幡堀を掘削した際に出た残土は、
もともと湿地であった街の西側の埋め立てに使われたことや、
飲むのに適した水が手に入らなかった西側に水を供給するために、
地下に竹筒が埋め込まれた「古式水道」が整備されていたことなど、
とても興味深い展示を見ることができました。


資料館の中庭にあるカフェでランチ。
地元食材を使った煮込みハンバーグ。
美味でした。


食後は徒歩で八幡堀へ。


かつて近江商人の物資輸送を支えた堀は全長約5Kmに及び、
堀端には江戸時代かと錯覚する景観が広がっています。
ドラマでは、健太郎くん演じる実直な商人の弥吉さんが
悪徳商人の上総屋清右ヱ門(西田敏行さん)にそそのかされて豹変。
武家の娘との結婚を勧められ、
将来を誓い合ったおたねちゃん(飯豊まりえさん)を
亡き者にしようとする場面で登場します。

事前確認不足で
ドラマに使われたのがどこのスポットか特定はできませんでした。
それでも、堀沿いに散策するだけで
日頃の垢を落としたような気分。
すっかり癒されました。

散策のあとは、八幡堀から近い日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)に参拝。
近江八幡の地名の由来ともなり、2世紀に創建された由緒ある神社だそう。
毎年3月に行われる華やかな左義長祭(さぎちょうまつり)が有名で、
織田信長も自ら参加したという記録があるそうです。


日牟禮八幡宮の背後にそびえる八幡山を上るロープウェイで山頂へ。
ロープウェイからは街が一望できて壮観。
やっぱり道が真っ直ぐなのがよくわかります。


頂上に到着すると、反対側に琵琶湖を臨めます。


琵琶湖の名前の由来は楽器の琵琶に形が似ているからとも、
さざ波の音が琵琶の音色に似ているからとも言われます。
八幡山頂上からの目視では、そこまではっきり形がわかるとも言い切れない?
でも航空写真もGPSもない昔むかしに、
きっとどこか高い所から見た人がいたんだろうな?
なんて想像も膨らみます。

これは西の湖

ネコもいる


戦国時代には山頂に豊臣秀次(秀吉の甥)が築城した八幡山城がありました。

眼下の美しい風景を堪能しながら
ロープウェイで下山しました。
続きはのちほど。

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