今年も8月6日がやってきました。
丁度お江戸旅行から帰ってきた翌日ということもあり気持ちもカラダもホッとしていうことをきかない状態でしたが、午前8時15分には家族全員で黙祷をしました。例年は平日のことが多いので、子供たちとテレビの前で黙祷をしています。
窓の外からもサイレンが聞こえていました。セミの鳴き声とあのサイレンを毎年耳にするたび、心がきしむ気がします。
色んなところで夏休みの全校登校日の話が出ますが、広小学校も今年は8/8が全校登校日です。とはいえ今年は土曜日だから登校日にはなりえないのかもしれませんが、確か去年などは白岳小は8/6が全校登校日でした。
現在の学校教育では、私達が小学生だったころのようには戦争のことを学ばなくなっています。
私達の頃は必ず、体育館で黙祷を全校生徒でし、その後戦争の映画を見たりしていました。事に2年生の時に見た“ネコは生きている”という題名の戦争の映画(人形劇だった)はココロに今でも残っていて、場面場面を思い出します。それは原爆の話ではなく東京大空襲の話でした。
子供心に恐怖心を覚えました。
そして我が家(嫁ぐ前の)恒例の戦争を考える日は決まって毎年、8/15の終戦記念日でした。お盆の送り日?(字が定かではないけど)に帰ってきた先祖の霊を送り出すためにまず、仏壇に灯をともします。これは霊が帰るために暗くないように。お線香は帰る道順を示してくれるらしく当分の間絶やさずつけます。その際必ず、部屋の電気を消し仏壇の明かりとろうそくの灯だけで家族全員で話をします。(でも決まってみんな寝転んでたけど。リラックスモード全開でした。)
そこで必ずといっていいほど戦争の話が出てきていました。亡き父は太平洋戦争に参加した大正生まれの人でした。亡き母も昭和一ケタの生まれの人なのでともに戦争経験者です。
被爆者の人たちが原爆のことを口にしたくない。という話をテレビなどで聞きますが、父も戦争のことは話したがりませんでした。ただ1つよーーく覚えている言葉があります。ある時父が「わしは、絶対成仏はできんと思うとる。なんでかゆーたら、戦争で人を当たり前のように殺してきた。じゃけん、わしは地獄にいくと思う。」とぼそっと言った言葉です。
その言葉を聞いたのは私が確か5年生位の夏の日でした。
とてもショックだったのを覚えています。自分の親が戦争のためとはいえ、そういう想いでいるという現実に当分、心の整理が出来なかった記憶があります。
父は三人兄弟でしたが、1番上の兄も戦死し、1番したの弟も被爆しています。
今おもえば、そういう話を怖がらずに聞いておけばよかったな~と思います。
私も戦争の事を知り尽くしているわけではないけど、両親がいなくなってしまった今、わが子にどうやってそういう過去を伝えていけばいいか・・と悩む立場になりました。
戦後60年という区切りの年となった今年、私は何ができるだろうか・・・と真剣に考えなければならない私にとっても区切りの年になりそうです。
丁度お江戸旅行から帰ってきた翌日ということもあり気持ちもカラダもホッとしていうことをきかない状態でしたが、午前8時15分には家族全員で黙祷をしました。例年は平日のことが多いので、子供たちとテレビの前で黙祷をしています。
窓の外からもサイレンが聞こえていました。セミの鳴き声とあのサイレンを毎年耳にするたび、心がきしむ気がします。
色んなところで夏休みの全校登校日の話が出ますが、広小学校も今年は8/8が全校登校日です。とはいえ今年は土曜日だから登校日にはなりえないのかもしれませんが、確か去年などは白岳小は8/6が全校登校日でした。
現在の学校教育では、私達が小学生だったころのようには戦争のことを学ばなくなっています。
私達の頃は必ず、体育館で黙祷を全校生徒でし、その後戦争の映画を見たりしていました。事に2年生の時に見た“ネコは生きている”という題名の戦争の映画(人形劇だった)はココロに今でも残っていて、場面場面を思い出します。それは原爆の話ではなく東京大空襲の話でした。
子供心に恐怖心を覚えました。
そして我が家(嫁ぐ前の)恒例の戦争を考える日は決まって毎年、8/15の終戦記念日でした。お盆の送り日?(字が定かではないけど)に帰ってきた先祖の霊を送り出すためにまず、仏壇に灯をともします。これは霊が帰るために暗くないように。お線香は帰る道順を示してくれるらしく当分の間絶やさずつけます。その際必ず、部屋の電気を消し仏壇の明かりとろうそくの灯だけで家族全員で話をします。(でも決まってみんな寝転んでたけど。リラックスモード全開でした。)
そこで必ずといっていいほど戦争の話が出てきていました。亡き父は太平洋戦争に参加した大正生まれの人でした。亡き母も昭和一ケタの生まれの人なのでともに戦争経験者です。
被爆者の人たちが原爆のことを口にしたくない。という話をテレビなどで聞きますが、父も戦争のことは話したがりませんでした。ただ1つよーーく覚えている言葉があります。ある時父が「わしは、絶対成仏はできんと思うとる。なんでかゆーたら、戦争で人を当たり前のように殺してきた。じゃけん、わしは地獄にいくと思う。」とぼそっと言った言葉です。
その言葉を聞いたのは私が確か5年生位の夏の日でした。
とてもショックだったのを覚えています。自分の親が戦争のためとはいえ、そういう想いでいるという現実に当分、心の整理が出来なかった記憶があります。
父は三人兄弟でしたが、1番上の兄も戦死し、1番したの弟も被爆しています。
今おもえば、そういう話を怖がらずに聞いておけばよかったな~と思います。
私も戦争の事を知り尽くしているわけではないけど、両親がいなくなってしまった今、わが子にどうやってそういう過去を伝えていけばいいか・・と悩む立場になりました。
戦後60年という区切りの年となった今年、私は何ができるだろうか・・・と真剣に考えなければならない私にとっても区切りの年になりそうです。