今日はね、子ども達が卒園した幼稚園に行ってきたのさ。
っていうのも私がいつも日記に書いていた(mixiかもしれん)前、園長先生の舅にあたる名誉園長先生が今年の初めに天に召されました。
享年101歳でした。
トモダチからメールが来たときに、広めないで・・という前、園長先生の意向なので、参列もNGと言われ、残念でならなかった。
でも、お花だけは、、と仲間に加えてもらって後にお礼状をいただいたんだけど、
ゼヒ、追悼礼拝をして欲しい・・という要望が多々あったらしくセンパイ方が場を設けてくださったという訳です。
今月の初めに園の行事に参加したから久しぶりではなかったけど、でもこの門をくぐるたびに懐かしい気持ちになる。
例年、この時期には必ずある 朝顔たち。年長組さんたちが育てます。先生方は同じように植えても、全部が全部同じように育つわけでなく枯れてしまいそうで危ないものは、ソッと植え替えたりして子ども達の何かを育てる気持ちを大切にしてるのよ、、という話を聞いたことがあります。毎日登園すると、すぐに水やりから始めるわが子の姿もついこの間のような気にさえもなります。(もう5年も前のことやけど。)
こんなコレクション箱を見つけました。そういえば、ウチの長男がこのダンゴ作りの名人でした。
入園したころは喋ることさえもままならない子でしたが、なのでトモダチと遊ぶというよりもヒトリで黙々とダンゴを作る・・・・といった毎日を当分したようです。
ダンゴにかけてはダレにも負けてなかったかと。それをダレにも気づかれないようなところに隠して帰るというのが日課でした。お迎えにいくと、『ここ、ここ・・』と指差して今日作ったダンゴを見せてくれる長男。
あー、懐かしい。。可愛かったぁ。あの頃・・・・
いや、今も可愛いんですよ。でも、その歳にしかない可愛さって、過ぎてしまえば懐かしい、、可愛い、、、その一言です。
青年になって、やれ『ババア金。』なんてぬかしたら、袋叩きぢゃ~
名誉園長先生とは、長女の入園式にお会いしてそれ以降はほとんどお会いしてない状態でした。
でも、今考えるとまだ幼稚園など程遠い頃。そう、長女が2歳くらいの頃か。。
夕方になると機嫌が悪くなる長女をでよく散歩をしていた頃にこの名誉園長先生と偶然お話する機会があったんです。
園の前を通りかかったとき、初めてここに幼稚園があることを知った私。
住宅地に埋もれてちょっとわかりにくい場所にあるので、全く知らなかった。
たまたま門のところに出ていた名誉園長先生に呼び止められ、どうして東京生まれの私がこの広の地に来たか、、、牧師になったか、、、などと延々話を聞かされました。
そうです、その時は別に聞きたくなかったのに、そういう流れに私ももういいです・・とは言い出せなかったんです。だってまだ若かったから。。
その頃から見えない赤い糸で繋がっていたのかもしれないなぁ~と想ったりして。
長女を入れたいと思ったポイントは
1.モンテッソーリ教育をしてる園だったこと。(手先を使うお仕事は絶対子どもにはいいよ。とトモダチに勧められた)
2.縦割りのクラス編成なので、上下関係が築けること。(一人っ子さんが当時多かった。兄弟がいなくても縦割りなら疑似体験が出来るからって。)
3.園児数が少ないので目が行き届くところ。(1学年定員30名ですから。。3学年で100名足らずの小さい園です。)
でした。結局姉弟が通った合計年数は6年。
私の人生で濃い6年だったと思います。(とはいえ最初の3年はそうでもなかったな。)
残り3年間は役員生活にドップリ浸かってましたからあっという間の3年間でした。
でも、楽しかったな・・
礼拝は賛美を歌うことからはじめ、祈祷、聖書へと続きます。
難しそうに聞こえるかもしれないけど仏教徒な上素人な私でも入り込める世界です。というよりやっぱり6年間で培ってきた成果とは思いますが。
私ね、賛美って結構好きなんよね。。というよりカラオケは嫌いだけど、コーラスは好きそっちの方が正しい表現かもしれない。
そして賛美歌は曲がてもキレイなんです。歌いやすい親しみやすい曲なのが、好き
在園のときに歌ったことのある歌もあり、懐かしさでいっぱいになりました。
思い出と称して、大昔の保護者の方からのお話もあり歴史とともに、代々繋がってきた保護者の力にびっくりしました。
この方たちのお子さんは、なんと私と歳が変わらない方たちばかりですけー。
なんて元保護者の団結がなされた幼稚園だろう。。って思いません
礼拝が終わり、故名誉園長を偲んでおやつをみんなで食べるとともに歓談しました。
すべてOGによる手作りのケーキやタルトたち。これがこの園の特徴だとも言えると思う。
器用な人が多いんです。買うことは簡単だけど、手づくりのものでお金をかけずにすることに意義があるかと。持ち寄りですけー。私はよばれただけですけど。
なので飲み物も自宅から持参です。
あーなんだか故郷に帰ってきた気分よぉぉ。
この気持ちをどうやって活字にしたら1番いいか自分でもよーワカランよーになってきた
前、園長先生に久しぶりにお会いできたこと、これが1番嬉しかったこと。
こられた人の中にも同じことを言ってたひとがいたな。
園長先生と話をすると涙が先に出るって・・顔を見た途端、涙が出るって・・
私も2人きりで話が丁度出来たんだけど、途中涙が出てしまった。
これってなんなんだろ・・サムエル教とか○○子先生教(園長先生の名前)っていう表現、ヘンな意味でなく当たってるんよね。
子どもは卒園しても親はまだ気持ちの上で卒園してないっていうか。。いつまでも園や先生のことが気になるっていうか。。
こうやって世代を超えた人たちが集えことをとても幸せに感じました。
色んなことがあって充電が切れ掛かっていたところだったので、私にとってはいい充電日と相成ったわけで・・・
明日からまたガンバロ・・・と思えたひと時だったわけで・・
もひとり、、『あおちゃん』(園長先生が広島からわざわざ連れてきてくれた、かつての子ども達のアイドル)にも久しぶりに逢えて嬉しかったな。。
なんと25歳だそうです。今までの卒園生であおちゃんを知らない子どもはいないと思います。何人の子ども達があおちゃんにちょっかいを出して噛まれたことか・・・
陸上の試合を終えた卒園生(高校3年生)も駆けつけてくれて、昔話に花を咲かせていました。
総勢31名。(関係者除く)上は7タブン70過ぎの方から下は現役の保育士20台まで。
この園の特徴は他にもありました。
かつて、保育士として働いていた人もわが子を入れたい幼稚園なんだって。
普通、内部のことを知ってるからわが子は入れたくない人も多いらしいね。
でも、この中で元保育士でわが子を入園させた今は保護者の人は3人はおりますけー。ましてや、某幼稚園の保育士さんをそれていた人は、子どもを敢えてこの幼稚園に入れてますけー。
何か人それぞれに魅力がある園なのでしょうね。
いやいや、なんか自慢をしたかったように思われるかもしれないけど、一期一会というならば、私はここで出会えた人たちとの繋がりはホント大事にしていきたいな・・
と素直にそう思って今日は長々と想いも綴ってみました。
私自身の記録としても想いは残しておきたいしね。
さ、明日からまたガンバロ・・