ちょろきんの戯言

主に毎日のごはん、イベント、想ってる小さなこと。

久々のふるさと鍋散策part1

2021-12-28 | ♪ふるさと鍋の~♪

 

超久々です。

鍋の街を歩く機会がありました。

ちーと今の様子を画像で収めてきたので、空と海との~麗しい~と歌いたい人たちに届けーと思って書きます。

今年最後の検診に行ったときに時間が少しありました。

菓子処つくしさんでお菓子を買いたかったので、体育館にクルマを置いて歩こうかと。

そのついでといっちゃーなんですが、2時間くらいあったのでね。ブラブラしてきました。

 そう、ここからの景色が私にとっての鍋なんよね。

 ちょっと見えにくいが、小島の先にあった塔です。子どもの頃は断崖絶壁のように見えたあの場所は今は公民館の敷地内の一角にあります。

この後、旧大正町あたりをぷらぷらです。

 醤油屋さんの通りを通って 東湯の跡地がこの角です。

 

 赤い車がある駐車場がいのくちストアー跡。変わったよねー。まぁ、私が覚えてるのは半世紀近く昔の景色だもの。

変わるに決まってる。

 酒井の二重焼き屋さん(左)と、藤岡電機さん(右)は移転したので、その跡も更地になってました。この通りを通ってみる。

 私が覚えてるのはこのシャッターの部分。ヤクルトがあったなぁ。

 ぎゃ、アラセ美容院の隣あたり。金とかかれたこんこんさんって言われてたお寺的なものがあったよね。

なくなっとる。

 この位置からお宮が見えるなんて・・信じられん。バス通りにあった、上野のあらもんやさんが左の白い建物か、いや、

ヤマサキのパン屋さんがあの建物かの。並びに小さい文房具やさんもあったなぁ。花火を夏になったらバラ売りしとったお店。名前は知らんのよね。

小林医院の隣。

 この通りは変わらなんね。先生んちの石垣はそのまま。保育所でお世話になった先生のお宅。

 この角は結構重要な角なんですよ。

 左手は大正橋に行く道。が、しかしあの左手にあるアパート。補修してるけど、私が小さい頃からあるよ。相当古いと思う。

そのままあることにはうれしいけど、耐震とか考えたら結構ヤバイよね。右手が白天龍。もうお酒がないのが寂しいね。結局、私自身呑んだことないんじゃないかと思う。

 そして、さっきの角の右手はこちら。かつての商店街へのアプローチだった道。

  左手白天龍にたいして、3軒あるお店は右から、東芝の電気やさんだったと思う。真ん中のお店は化粧品やさんで、左はやまねの衣料品や。

私の中ではその並びが記憶。

 右手がやぎの魚屋さんの自宅。(同級生がいたから、よくこの玄関からお邪魔してた)

左手は十河の魚屋さん。その手前には小さいお肉屋さん、そのもひとつ手前にはわれらが『天金』という中華そばとかいなりとかが美味しいお店があった。

天金で押しずしというものを初めて食べた記憶あり。私はいなりが好きだったけど。

この石垣の上にあったお宅。どういう方が住んでたのか名前は知らんのやけど、ここのお宅に祭前になるとヤブの衣装が干されてたんよね。それを見るたびに衣装だけなのに、ドキドキしてた記憶がある。小学生だった私。子どもながらにそれだけで怖かった。

 お宮への上り口。白い窓枠のところはタカキベーカリーのパン屋が、右手の更地のところには化粧品やが、ありましたねー。

 やぎの魚屋さん。2軒とプロパンやさんはまだあるよね。

居酒屋さんてきなお店の前はなんじゃったんじゃろーか、その先には天ぷら(総菜)を売る小さなお店があってね。クジラの天ぷらが美味しくてよー買いよったな。

 右手にはでいえの八百屋と左手のあきちは、ハマナカの駄菓子屋があったなぁ。なかやまの散髪屋とか。

バス通りまではこんな感じ。いつもの私のテリトリ範囲なんで、変化に気づけることはまだ多い。

もう少し上まで歩いてみるか。お宮のほうに上がってみるかね。

 右手がお宮。左手が平和幼稚園に行く道。(あんちょこな言い方でスマンネ。でも、こういう表現が1番しっくりくるなよね。)

右手に進む。

 この左手に昔、美容院があって、そこに母親が行ってて、待つ間外でヒトリで遊んでたら、おじさんに声をかけられたことがある。

『チョコレート買ったげるけ、おじさんといこう。』

 当時、そういう誘拐事件が流行ってて、絶対チョコレートっていわれてもついていかんのんよ。とキツク母親から言われてたんで、いや。と断ったらおじさん、坂道をあがっていったのを覚えてる。怖くなって、店に入っていまあったことを母親に伝えたら、えらかったねー。と褒めてもらったけど、チョコレートは買ってはくれんかった。泣

 お宮にあがってみた。閑散としてた。じいちゃんが1人散歩してたけど。

 小学校側からの階段。今はあんな場所にまでクルマを停めてるのね。この階段で、グリコ、チョコレートをするのが好きやった。

 お宮の上の段。ここのブランコはサイコーだったな。

 あれ、ブランコ小さくなってる?トイレまでできてる。

 そう、ここはちゃんとした公園なんじゃね。

 滑り台が低くなってました。

 シーソーが危なくない小さい形になってました。滑り台の後ろにあった横にブンブン揺れる遊具は既に撤去されてて、

今でいう危険な遊具はなくなる一方。確かに危なかったかもしれんけど、ちゃんと危なくないように遊んでたよね。昔って。

 さて、また元の道にもどろうよ。 ここです。ここ。

 えーと、とても斜度がパンパない坂です。 こんなとこ、よー走っておりよったなー。
と感心しかありません。こどもってすげー。

 行き止まりではないんだろうけど、ゼーハーするので、このままあがるより脇道にそれてみます。学校も見えるし。

目指すはうわ道路です。 あ、学校の裏門のほうに出る道かー。ここにつながっとんかー。お宮のオモテの道を上がってきたという設定の道につながるのですね。理解しました。

 が、しかしお宮のオモテからあがってくる道もハンパないなぁ。

 もう少しこのぶちきつい道をあがる。まじ、ゼーハーよりも足が痛い。ふくらはぎがお亡くなりになりそうだ。筋肉痛になるヤツだ。これ。

 こんなところに自治会館。ここらは7区なんか。私が住んどったんは8区やったな。

 お、うわ道路。この道覚えてる。この下の石が埋めてあったり、斜めに線が入ってるの、昔から変わらん・・

うわ道路から鍋小学校を見下ろして帰ってくることにしよう。

長くなりすぎるのでこの続きはpart2にて。

 

 

 

 

 

 

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4 コメント

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Unknown (M)
2022-04-19 22:20:01
めっちゃ懐かしかしくて、涙出てきたわ
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★Mさん★ (くるぱん)
2022-04-24 13:03:18
町並みが変わり過ぎてて、記憶とだいぶ、違ってきてると思います。
私なんて生まれて10年しか鍋にはおりませんでしたから。。
でも、不思議と路地の記憶もちゃんと残ってて、この奥に通り抜けれる道があったハズって、わかるんですよ。

あれ、なんなんか不思議なんですけど。
放課後の放浪が無駄じゃなかったな。。とこの歳になっても思います。
是非、今の鍋を歩いてみてください。
あの坂は元気なうちじゃないといけません。
ぜーぜー言ってもゆっくりあがれるウチに行きたいと、私も思ってます。1区の方から攻めてみたいんよね。(うわ道路を)
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懐かしい、、、 (s42生まれ )
2022-06-03 20:00:18
わたしは小3の秋に引っ越しで鍋を離れました。
 当時 住んでいたところは ヤクルトのとこからほんの少し歩いて 左手に1人分の奥に入る道を入ったアパートにいました。
 二重焼きもよく買ってもらいました。
夏はカキ氷をいつもイチゴで頼み 食べている間に母親がイノクチで買い物をし 終わると迎えにきてました。 また、家から大きな器を持っていき それにカキ氷を擦ってもらい イチゴをたっぷりかけて 新聞で上をおおい 母親と弟と走って帰ったりしました。
高木ベーカリーは同級生の家がしてました。
 りかちゃん、という同級生でした。
 その筋の薬局の息子さんも確か 上向井くん?かな? 同級生でした.
 小学校と神社の間にあった プロパン屋さんの息子さん、石田くんも同級生でした。
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★s42生まれさん★ (くるぱん)
2022-06-06 22:28:10
いらっしゃいませ。
私が4年生のとき2年生におっちやったですね。
しかも、住んでた場所がとても近い。
いのくちストアー、毎日のように行ってました。

プロパン屋さんあったねー。ドレメの隣じゃったか。なんと、私も懐かしいです。
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