「闇教育」について、「相模原障害者殺傷事件によせて」の所で書きましたが、それがどんなものであるか、何を指しているか、なにを危惧しているかを説明したいと思います。
闇教育
日本の文化の流れは、アメリカから来ています。それは、日本政府の政策としてアメリカ型社会を目指しているためではないでしょうか。
第二次世界大戦(別称、15年戦争)以後、日本政府の官僚は変身し、憎んでいたはずのアメリカ政府にすりより、アメリカ政府追随の政策をとっています。その理由は、内部にいた人に聞かないと判りません。
そのためかどうかは判りませんが、アメリカ文化が、そして社会問題が、20年遅れて日本にも起きるようになり、レイプ、家庭内暴力、子どもへの虐待を白日の下にさらし、いじめ、引きこもり、子どもの精神障害と自殺の増加、無差別殺人などが増加しています。
私は、北欧型社会、特にスウェーデンの社会を目指していましたが、今のスウェーデンの状態は、情報がなく判りません。特に、難民受け入れが進んでからどう変化したかが注目されます。
それは、スウェーデンはドイツで創立された社会民主党の世界的広がりで、社会民主党が作られ、一部はレーニンの呼びかけで共産党に参加しましたが、主流派は残り、政権をとり、その後のスウェーデン社会を指導してきました。労働者には広い住宅を作り、土地を買い上げて国有地や市有地を広げ、人による人への暴力を排し、人に優しい社会を作ってきたからです。もちろん、ボクシングや格闘技は北欧では、廃止させる動きが強いです。
ですから一時は、世界の文化の流れは北欧から始まり、イギリスを経てアメリカへ渡り、そして日本へ来ると言っていました。現在はどうでしょうか。社会福祉や、子どもへの事故防止、女性への暴行防止などの動きはそうでした。
アメリカが変化し、日本はそれに追随しているようです。アメリカでレイプが問題にされたのが、私の若い頃にアメリカでさかんだったウーマンリブの運動でした。レイプが問題にされると共に、女性だけでなく、子どもへの暴力(物理的、精神的)も問題にされたのです。
そのひとつの要因として、胎児期と乳幼児初期の育て方が大きく関与していると疑われています。
エリアシェフによると、1748年には教育者のJ・ズルツァーが「時間の経過とともに、子どもはごく幼い時期に経験したことをすべて忘れてしまう。その時期に、どうにかして子どもから意志(願望とそれを実現させようとする決意)を奪ってしまえば、後に自分が当時どのような意志を持っていたか決して思い出せはしない」と指摘していると言います。(ただし、これはいまだになぜか解明されていません)。子どもが乳幼児期に虐待を受けると、悲しみや怒りなどの感情を抑圧するようになり、その後の精神的発達を妨げることが判りました。それに光をあてたのがルーチュキイです。
ヨーロッパでは、19世紀から20世紀前半までは、親が子どものために愛情をそそぐことは、いわば保険をかけているようなもので、社会的地位の向上が二世代にわたって行われると信じられたり、それが子どものより良い将来を保証すると考えられていました。「子どものために」という建前のもとに、子どもはひどい虐待を受けていたというのです。
1977年ドイツのカタリーナ・ルーチュキイが「闇教育」というタイトルで、それまでのヨーロッパでの教育法を集めた本を書き、そのなかで「早期の条件付けによって、人は自分に何が起こったかを気づかなくするあらゆる方法が網羅されている」と言っています。
この「闇教育」の思想をフランスのアリス・ミラーが紹介して広がりました。そのなかの「闇教育法の原理」を挙げると、
「生きている人間を抑圧する手段は、以下の通りである。罠(わな)、嘘、かけひき、隠匿(いんとく)、操作、脅迫、愛情を与えないこと、孤立,不信、侮辱(ぶじょく)、無視、嘲笑(ちょうしょう)、恥辱(ちじょく)、そして拷問(ごうもん)を含めた暴力の活用」。
また、手順のひとつに、「最初から子どもに間違った情報と間違った考えを伝える」というやり方があります。また、何世代にわたって伝えられた「闇教育の原理」の代表的なものに、以下のものがあります。
*義務感が愛情を生み出す
*憎しみは人をおしのけることで消せる
*服従により人は強くなる
*厳しさと冷たさは生きる上で役に立つ
*激しい感情の動きは有害である
*親は親というだけで尊敬に値する
*子どもは子どもであるとの理由でいかなる尊敬にも値しない
*子どもの価値を高く評価するのは有害である
*子どもの価値を重視しなければ親切な子どもになる
*優しさを示すのは、有害である(甘えた子どもになる)
*子どもの欲求に屈する必要はない
*見せかけの謝意のほうが、感謝の気持ちが欠けているよりはましである
*外見のほうが心よりも重要である
*親は神ではないので、些細な侮辱にも耐えられない
*肉体は、不潔でいやらしいものである
*親は欲動を欠いた存在であり、あらゆる罪を免除されている
*親はつねに正しい
以上が、エリアシェフ「楽園を追われた子どもたち」(新評論)に書かれています。
また別の本では、(それがどの本だったか失念してしまいました)
○赤ちゃんが理由もなく泣いたりわめいたりしたら、これはわがままの現れだから、体罰で警告しなさい。
○わがままは一掃しなければならない。
○3歳になるまでに必ず行わなければならない教育は、両親と目上の人への絶対の服従と不満をもたない習性を作ることである。2歳までにやれば子どもは覚えていない。
○あなたの息子を支配しなさい。服従させなさい。そのためには、体罰や食事を与えないことなども効果がある。(この時生き延びる為に従うが、感情を体験する能力を失う。)
○子どもが悪さをした時に、子どもをだまし、脅かし、誘導尋問して窮地に追いつめ白状させたほうが効果がある。(このようにされた子どもの屈辱感と自責感は心に傷を残さないはずがない。)
○子どもの長所をほめることはよくない。うぬぼれた子どもになる。
○うぬぼれた子どもには屈辱感を味あわせる以外はない。
○しつけとは、まず言葉でなく行為であり、言葉になったときは命令である。教育とは折檻という方法が必要である。(注:これでは優しい生き生きとした感情は育たない)
と書かれています。
上記の項目のどれかに、あなたは賛意をもちますか。それは、あなたの子どものためになりません。今すぐやめましょう。ドイツやフランスでは、今は間違った子どもへの考え方とされています。自分の意志を持たない子ども(長じれば大人)を生み出す原因になります。
子どもは類のないすばらしい授かり物として家族の中心に位置することになります。しかし、教育の実体、親子関係において、子どもたちは「子どものため」という名目でひどく虐待されてきたのが実情です。子どもへの虐待は、子どもの精神的発達を障害し、精神的な病気や問題行動を生じ、間違った論理をもつ大人を生んでしまいます。(今問題になっている子どもの発達障害[ADHD、アスペルガー症候群、学習障害]なども、環境と教育によって最小限の障害にできるという考えがあります。環境と教育が大切なのです。)
そこから「闇教育」の原理でできあがった国家が、自然にできあがる危険があります。それが、現実にあるといいます。ミラーはヒットラーが子ども時代に受けた教育を指しています。そしてできあがった国家がナチスによる国家だというのです。
このアリス・ミラーの紹介を、10年前にカロリーヌ・エリアシェフの「楽園を追われた子どもたち」で読み、最近その本を探している時に荒木ひさ子氏の論文を読みました。
そして、現在でもヨーロッパ、アメリカ、そして日本にもこの思想があり、子どもを「教育」とか「しつけ」の名目で虐待し、子どもはそれを心の中に抑圧します。
日本にも、子どもを親の所有物と考える思想がまだ残っています。子どもは、いつから一人の人間として扱うかについては議論がありますが、私は受胎してからと思います。少なくとも、生まれたら社会全体の子どもなのです。
虐待された子どもは、無意識に自分の子どもにこれを繰り返します。また、親のまねをして他の子どもにしているのが、いじめなのかも知れません。その悪循環を断ち切り、優しい社会にしたいと思います。いじめられていることに気付かないのは、学校だけではなく、親の責任でもあります。その対処には、父親の役割が必要です。
そして子どもの虐待は、身体的な虐待、ネグレクト、心理的虐待、性的虐待があり、その陰に教育による虐待(隠された虐待)があるといいます。
荒木ひさ子氏は、日本では、第二次世界大戦(15年戦争)まで、忠・孝・恥が教育の中心であり、戦後に忠は抜け落ちたが、孝と恥は残り、この思想が、親が子どもを虐待する時、虐待していると言う意識を取り除くといいます。1970年代のアメリカのフェミニズムが、それまで社会の禁忌であったレイプの実態を白日のもとに引き出しました。この運動は自然の帰結として、家庭内暴力、児童虐待に行きついたのですが、日本では人権意識が低く、子どもは自分の持ち物という封建思想が残り、社会的関心はまだ低いのです。
エリアシェフは、これが子ども長じて大人の精神神経障害やいろいろな犯罪につながると警告しています。「育児室からの亡霊」(モースとワイリー著)では、それを犯罪に結びつけています。日本でも起きている親殺しや少年犯罪(とくに殺人事件)や、大人による無差別殺人事件なども同じ精神病理から来ているのではないでしょうか。(親殺しや兄弟殺しの子どもの親に教育者が少なくないこともささやかれています。)また、引きこもりやいじめなども、同じ病根からきているのではないでしょうか。
少年Aの問題が再燃して思いだし、昔読んだ本を探して、当時よりもっと強く、優しい社会への展開を希望します。もちろん、以前私も心の病気になり、手塚治虫の「ブッダ」の漫画から、ラディカル・ブッディズムに傾倒し、それで心療内科の自律訓練法などを取り入れていたこともあり、こころ優しくなりました。でも、まだまだ人に優しい原始(根本)仏教にはおよびませんが、努力していきたいと思っています。
本のあとがきを引用しましたが、相模原障害者殺傷事件が起きて、池田小事件も思い出させられ、本では多くの人に読んでもらえないので、ブログに載せることにしました。
私の考えは、知識はすべての人々のもの、広く知らしめねばならないものと思い、私が知ったことは、皆様にお知らせしなければいけないと思うのです。私の病原環境論は、ともすると、社会的に生じた障害者、社会的なさまざまな弱者に対して、傷つけることがあると思いますが、遺伝子検査や染色体検査、羊水検査などを排除し、マイノリティの人たちを助け、そしてそれを生みだした社会を変革することにより、社会的弱者をなくすことを成し遂げたいと思っています。社会的に作られたもので、個人的なものではないのです。気が付いたらそうなっていたのだと思います。
ある医師は、先天的な障害者は親が作ったものだと言って非難していますが、私は社会的に作られたものだと思います。先天異常は、遺伝子によるものが多いのですが、その人たちが成人にまで成長する時代になっても、その生まれる確率がここ50年変化して(増えて)いないのです。難産や早産は子どもの先天異常を産みます。日本の周産期医学は進歩していますが、いくら小児科医が頑張っても、産科医や助産婦さんたちが、妊婦の妊娠中毒症や太り過ぎを予防しないと、先天異常を減らせません。一般の人は、そういう知識がないからです。ある親は、産む時の痛さに泣きわめき、その結果、親は酸素不足になると泣き止みますが、胎児はその影響で低酸素脳症になり、脳障害を持って生まれました。
これは親の責任か、それを教育しなかった医師の責任かが問われます。私は、医師の責任だと思います。そのための母親(両親)教育ですし、それを高校で教えなければいけない時代に来ています。子どもを産めば、いつでもどこでも連れて行かなければなりません。昔、私の若いころに、交換留学制度でアメリカに行った女子高校生が語っていた新聞記事がありました。
それには、アメリカのある高校での経験でしたが、男子と女子のカップルを作り、生卵を小さいバスケットに入れてそれをその二人に一つ持たせ、どちらかが必ず責任を持って持っていなければいけないと教えて実践させていたというのです。それが子どもを作った時の、しなければいけないことで、それは大変な苦労で、それを教えていたのです。
やはり、すべて教育で教えなければいけないことなのです。
私は、「惨劇に歯止め 歴史に学べ」ではありません。子どもの人権を守り、生まれたら一人の人間として扱うことを教えるべきだと思います。
子どもも一人の人間です。親の所有物ではありません。もっと、昔のように、子どもに対していろいろと教えてあげましょう。周りの人が教えないとなかなか教えてもらっていない大人がいます。でも難しい世の中になっているようです。
しつけは教育であり、強制や矯正ではありません。教育は、教え込むことで、子どもにやっている所を見せて、やりたがるようにさせ、やりたがったら正しい方法を教えることです。
お箸の持ち方などもそうです。私の知っている幼稚園で、3歳の子にうさぎの餌を包丁で切ることを教えていました。それは一年上の子が教えるのです。それが、大人が教えるよりも効果的な方法なのを知っていたので、それを実践していたのを見てびっくりしました。
ハサミもそうで、少し上の子が教えると、ちゃんと言われた通りにします。決して、違う持ち方や他のことに使ったりしません。それでけがをすることがないのです。
それが幼児教育です。
ですから、今の時代には、「闇教育」を止めないと、つぎつぎと惨劇が繰り返されると思います。アメリカで報道されている無差別大量殺人はその一端でしょう。日本でも時々見られます。
イスラム国やイスラム原理主義による、大量殺人とは同じではないのです。
ですから、なかなか止めることは難しいと思います。
これは、あくまで私の個人的な、しかし歴史を見るとその流れを持つ見解で、私のオリジナルではありません。ご批判はあることを承知の上です。まず歴史的な流れを見て下さい。
2016.8.4.
闇教育
日本の文化の流れは、アメリカから来ています。それは、日本政府の政策としてアメリカ型社会を目指しているためではないでしょうか。
第二次世界大戦(別称、15年戦争)以後、日本政府の官僚は変身し、憎んでいたはずのアメリカ政府にすりより、アメリカ政府追随の政策をとっています。その理由は、内部にいた人に聞かないと判りません。
そのためかどうかは判りませんが、アメリカ文化が、そして社会問題が、20年遅れて日本にも起きるようになり、レイプ、家庭内暴力、子どもへの虐待を白日の下にさらし、いじめ、引きこもり、子どもの精神障害と自殺の増加、無差別殺人などが増加しています。
私は、北欧型社会、特にスウェーデンの社会を目指していましたが、今のスウェーデンの状態は、情報がなく判りません。特に、難民受け入れが進んでからどう変化したかが注目されます。
それは、スウェーデンはドイツで創立された社会民主党の世界的広がりで、社会民主党が作られ、一部はレーニンの呼びかけで共産党に参加しましたが、主流派は残り、政権をとり、その後のスウェーデン社会を指導してきました。労働者には広い住宅を作り、土地を買い上げて国有地や市有地を広げ、人による人への暴力を排し、人に優しい社会を作ってきたからです。もちろん、ボクシングや格闘技は北欧では、廃止させる動きが強いです。
ですから一時は、世界の文化の流れは北欧から始まり、イギリスを経てアメリカへ渡り、そして日本へ来ると言っていました。現在はどうでしょうか。社会福祉や、子どもへの事故防止、女性への暴行防止などの動きはそうでした。
アメリカが変化し、日本はそれに追随しているようです。アメリカでレイプが問題にされたのが、私の若い頃にアメリカでさかんだったウーマンリブの運動でした。レイプが問題にされると共に、女性だけでなく、子どもへの暴力(物理的、精神的)も問題にされたのです。
そのひとつの要因として、胎児期と乳幼児初期の育て方が大きく関与していると疑われています。
エリアシェフによると、1748年には教育者のJ・ズルツァーが「時間の経過とともに、子どもはごく幼い時期に経験したことをすべて忘れてしまう。その時期に、どうにかして子どもから意志(願望とそれを実現させようとする決意)を奪ってしまえば、後に自分が当時どのような意志を持っていたか決して思い出せはしない」と指摘していると言います。(ただし、これはいまだになぜか解明されていません)。子どもが乳幼児期に虐待を受けると、悲しみや怒りなどの感情を抑圧するようになり、その後の精神的発達を妨げることが判りました。それに光をあてたのがルーチュキイです。
ヨーロッパでは、19世紀から20世紀前半までは、親が子どものために愛情をそそぐことは、いわば保険をかけているようなもので、社会的地位の向上が二世代にわたって行われると信じられたり、それが子どものより良い将来を保証すると考えられていました。「子どものために」という建前のもとに、子どもはひどい虐待を受けていたというのです。
1977年ドイツのカタリーナ・ルーチュキイが「闇教育」というタイトルで、それまでのヨーロッパでの教育法を集めた本を書き、そのなかで「早期の条件付けによって、人は自分に何が起こったかを気づかなくするあらゆる方法が網羅されている」と言っています。
この「闇教育」の思想をフランスのアリス・ミラーが紹介して広がりました。そのなかの「闇教育法の原理」を挙げると、
「生きている人間を抑圧する手段は、以下の通りである。罠(わな)、嘘、かけひき、隠匿(いんとく)、操作、脅迫、愛情を与えないこと、孤立,不信、侮辱(ぶじょく)、無視、嘲笑(ちょうしょう)、恥辱(ちじょく)、そして拷問(ごうもん)を含めた暴力の活用」。
また、手順のひとつに、「最初から子どもに間違った情報と間違った考えを伝える」というやり方があります。また、何世代にわたって伝えられた「闇教育の原理」の代表的なものに、以下のものがあります。
*義務感が愛情を生み出す
*憎しみは人をおしのけることで消せる
*服従により人は強くなる
*厳しさと冷たさは生きる上で役に立つ
*激しい感情の動きは有害である
*親は親というだけで尊敬に値する
*子どもは子どもであるとの理由でいかなる尊敬にも値しない
*子どもの価値を高く評価するのは有害である
*子どもの価値を重視しなければ親切な子どもになる
*優しさを示すのは、有害である(甘えた子どもになる)
*子どもの欲求に屈する必要はない
*見せかけの謝意のほうが、感謝の気持ちが欠けているよりはましである
*外見のほうが心よりも重要である
*親は神ではないので、些細な侮辱にも耐えられない
*肉体は、不潔でいやらしいものである
*親は欲動を欠いた存在であり、あらゆる罪を免除されている
*親はつねに正しい
以上が、エリアシェフ「楽園を追われた子どもたち」(新評論)に書かれています。
また別の本では、(それがどの本だったか失念してしまいました)
○赤ちゃんが理由もなく泣いたりわめいたりしたら、これはわがままの現れだから、体罰で警告しなさい。
○わがままは一掃しなければならない。
○3歳になるまでに必ず行わなければならない教育は、両親と目上の人への絶対の服従と不満をもたない習性を作ることである。2歳までにやれば子どもは覚えていない。
○あなたの息子を支配しなさい。服従させなさい。そのためには、体罰や食事を与えないことなども効果がある。(この時生き延びる為に従うが、感情を体験する能力を失う。)
○子どもが悪さをした時に、子どもをだまし、脅かし、誘導尋問して窮地に追いつめ白状させたほうが効果がある。(このようにされた子どもの屈辱感と自責感は心に傷を残さないはずがない。)
○子どもの長所をほめることはよくない。うぬぼれた子どもになる。
○うぬぼれた子どもには屈辱感を味あわせる以外はない。
○しつけとは、まず言葉でなく行為であり、言葉になったときは命令である。教育とは折檻という方法が必要である。(注:これでは優しい生き生きとした感情は育たない)
と書かれています。
上記の項目のどれかに、あなたは賛意をもちますか。それは、あなたの子どものためになりません。今すぐやめましょう。ドイツやフランスでは、今は間違った子どもへの考え方とされています。自分の意志を持たない子ども(長じれば大人)を生み出す原因になります。
子どもは類のないすばらしい授かり物として家族の中心に位置することになります。しかし、教育の実体、親子関係において、子どもたちは「子どものため」という名目でひどく虐待されてきたのが実情です。子どもへの虐待は、子どもの精神的発達を障害し、精神的な病気や問題行動を生じ、間違った論理をもつ大人を生んでしまいます。(今問題になっている子どもの発達障害[ADHD、アスペルガー症候群、学習障害]なども、環境と教育によって最小限の障害にできるという考えがあります。環境と教育が大切なのです。)
そこから「闇教育」の原理でできあがった国家が、自然にできあがる危険があります。それが、現実にあるといいます。ミラーはヒットラーが子ども時代に受けた教育を指しています。そしてできあがった国家がナチスによる国家だというのです。
このアリス・ミラーの紹介を、10年前にカロリーヌ・エリアシェフの「楽園を追われた子どもたち」で読み、最近その本を探している時に荒木ひさ子氏の論文を読みました。
そして、現在でもヨーロッパ、アメリカ、そして日本にもこの思想があり、子どもを「教育」とか「しつけ」の名目で虐待し、子どもはそれを心の中に抑圧します。
日本にも、子どもを親の所有物と考える思想がまだ残っています。子どもは、いつから一人の人間として扱うかについては議論がありますが、私は受胎してからと思います。少なくとも、生まれたら社会全体の子どもなのです。
虐待された子どもは、無意識に自分の子どもにこれを繰り返します。また、親のまねをして他の子どもにしているのが、いじめなのかも知れません。その悪循環を断ち切り、優しい社会にしたいと思います。いじめられていることに気付かないのは、学校だけではなく、親の責任でもあります。その対処には、父親の役割が必要です。
そして子どもの虐待は、身体的な虐待、ネグレクト、心理的虐待、性的虐待があり、その陰に教育による虐待(隠された虐待)があるといいます。
荒木ひさ子氏は、日本では、第二次世界大戦(15年戦争)まで、忠・孝・恥が教育の中心であり、戦後に忠は抜け落ちたが、孝と恥は残り、この思想が、親が子どもを虐待する時、虐待していると言う意識を取り除くといいます。1970年代のアメリカのフェミニズムが、それまで社会の禁忌であったレイプの実態を白日のもとに引き出しました。この運動は自然の帰結として、家庭内暴力、児童虐待に行きついたのですが、日本では人権意識が低く、子どもは自分の持ち物という封建思想が残り、社会的関心はまだ低いのです。
エリアシェフは、これが子ども長じて大人の精神神経障害やいろいろな犯罪につながると警告しています。「育児室からの亡霊」(モースとワイリー著)では、それを犯罪に結びつけています。日本でも起きている親殺しや少年犯罪(とくに殺人事件)や、大人による無差別殺人事件なども同じ精神病理から来ているのではないでしょうか。(親殺しや兄弟殺しの子どもの親に教育者が少なくないこともささやかれています。)また、引きこもりやいじめなども、同じ病根からきているのではないでしょうか。
少年Aの問題が再燃して思いだし、昔読んだ本を探して、当時よりもっと強く、優しい社会への展開を希望します。もちろん、以前私も心の病気になり、手塚治虫の「ブッダ」の漫画から、ラディカル・ブッディズムに傾倒し、それで心療内科の自律訓練法などを取り入れていたこともあり、こころ優しくなりました。でも、まだまだ人に優しい原始(根本)仏教にはおよびませんが、努力していきたいと思っています。
本のあとがきを引用しましたが、相模原障害者殺傷事件が起きて、池田小事件も思い出させられ、本では多くの人に読んでもらえないので、ブログに載せることにしました。
私の考えは、知識はすべての人々のもの、広く知らしめねばならないものと思い、私が知ったことは、皆様にお知らせしなければいけないと思うのです。私の病原環境論は、ともすると、社会的に生じた障害者、社会的なさまざまな弱者に対して、傷つけることがあると思いますが、遺伝子検査や染色体検査、羊水検査などを排除し、マイノリティの人たちを助け、そしてそれを生みだした社会を変革することにより、社会的弱者をなくすことを成し遂げたいと思っています。社会的に作られたもので、個人的なものではないのです。気が付いたらそうなっていたのだと思います。
ある医師は、先天的な障害者は親が作ったものだと言って非難していますが、私は社会的に作られたものだと思います。先天異常は、遺伝子によるものが多いのですが、その人たちが成人にまで成長する時代になっても、その生まれる確率がここ50年変化して(増えて)いないのです。難産や早産は子どもの先天異常を産みます。日本の周産期医学は進歩していますが、いくら小児科医が頑張っても、産科医や助産婦さんたちが、妊婦の妊娠中毒症や太り過ぎを予防しないと、先天異常を減らせません。一般の人は、そういう知識がないからです。ある親は、産む時の痛さに泣きわめき、その結果、親は酸素不足になると泣き止みますが、胎児はその影響で低酸素脳症になり、脳障害を持って生まれました。
これは親の責任か、それを教育しなかった医師の責任かが問われます。私は、医師の責任だと思います。そのための母親(両親)教育ですし、それを高校で教えなければいけない時代に来ています。子どもを産めば、いつでもどこでも連れて行かなければなりません。昔、私の若いころに、交換留学制度でアメリカに行った女子高校生が語っていた新聞記事がありました。
それには、アメリカのある高校での経験でしたが、男子と女子のカップルを作り、生卵を小さいバスケットに入れてそれをその二人に一つ持たせ、どちらかが必ず責任を持って持っていなければいけないと教えて実践させていたというのです。それが子どもを作った時の、しなければいけないことで、それは大変な苦労で、それを教えていたのです。
やはり、すべて教育で教えなければいけないことなのです。
私は、「惨劇に歯止め 歴史に学べ」ではありません。子どもの人権を守り、生まれたら一人の人間として扱うことを教えるべきだと思います。
子どもも一人の人間です。親の所有物ではありません。もっと、昔のように、子どもに対していろいろと教えてあげましょう。周りの人が教えないとなかなか教えてもらっていない大人がいます。でも難しい世の中になっているようです。
しつけは教育であり、強制や矯正ではありません。教育は、教え込むことで、子どもにやっている所を見せて、やりたがるようにさせ、やりたがったら正しい方法を教えることです。
お箸の持ち方などもそうです。私の知っている幼稚園で、3歳の子にうさぎの餌を包丁で切ることを教えていました。それは一年上の子が教えるのです。それが、大人が教えるよりも効果的な方法なのを知っていたので、それを実践していたのを見てびっくりしました。
ハサミもそうで、少し上の子が教えると、ちゃんと言われた通りにします。決して、違う持ち方や他のことに使ったりしません。それでけがをすることがないのです。
それが幼児教育です。
ですから、今の時代には、「闇教育」を止めないと、つぎつぎと惨劇が繰り返されると思います。アメリカで報道されている無差別大量殺人はその一端でしょう。日本でも時々見られます。
イスラム国やイスラム原理主義による、大量殺人とは同じではないのです。
ですから、なかなか止めることは難しいと思います。
これは、あくまで私の個人的な、しかし歴史を見るとその流れを持つ見解で、私のオリジナルではありません。ご批判はあることを承知の上です。まず歴史的な流れを見て下さい。
2016.8.4.
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