栗太郎のブログ

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東風吹きて筑紫の旅(2)大宰府天満宮

2016-07-06 23:15:28 | 見聞記 箱根以西

もう一度車に乗り込み東へ向かった先は、大宰府天満宮。
門前町、参道の賑わい。



太宰府天満宮は、全国約1万2千社ある天満宮の総本宮。
そりゃあもちろん、ここに天神様こと、菅原道真が眠るのだから当然である。
大宰府天満宮の創建は、道真が亡くなった2年後の延喜5(905)、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が御墓所に祀廟を建てたのがはじまり。

境内に入って右手にあるのが、菅公の歌碑。
「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
道真は都を立つときに、庭先の梅に別れを惜しみ、こう詠んだ。
その梅は主人のあとを慕い、一夜のうちに大宰府まで飛んできたという。



太鼓橋と心字池。
橋は三つあり、それぞれ過去、現在、未来を象徴するのだとか。



橋を渡ると、正面に楼門がそびえる。
現在の門は明治時代に焼失し、再建。



境内には、何頭かの牛がいる。道真と牛との縁は深い。
道真は、「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」と遺言し、その牛が動かなくなったところを御墓所と定めた。
このご神牛は、自分の身体の患っている個所と同じところを撫でると全快するといわれ、そのおかげで表面はテカテカになっている。頭部は知恵がつくらしい。



楼門をくぐると、ご本殿。拝殿はない。つまりここが、牛が動かなくなった場所ということだ。
現在の本殿は、天正19(1591)、筑前領主の小早川隆景による再建。
正面、唐破風造りの向拝は、まさに桃山時代の佇まいを残す。



道真が神様として祀られるようになったのは、その学者・政治家・文人としての遺徳による、、、なんてことを建前では言うが、
要するに、死後に起きたいくつかの天変地異が、道真の祟りによるものと恐れをなしたからだ。
味酒が祀廟を建ててから14年後の延喜19(919)、改めて朝廷が本格的な社殿を造営した。
もともとこの真下が道真のお墓のあったところなわけで、朝廷の真意は、好意というよりも、道真の霊に蓋をするようにして封じ込めるのが目的であったとしか思えない。
気になるなあ、そのお墓、いまはどんな状態になっているのでしょう?

すぐ横にある御神木の「飛梅」。
飛んできたという梅が、この梅というわけ。



梅の木の枝にはおみくじを結ばぬように、との札書きがあった。
まあ、基本的に僕はおみくじは買わないので、関係ないが。
買うとすれば、春日大社の鹿みくじとか、丹生都比売神社の犬みくじとか、そういう飾りや小物が目当てくらいなものだ。



あれ?
あった、そういうの。



フクロウのようなこの鳥の名は、うそ。
天満宮には「鷽(うそ)替え」という神事があり、それにちなむ。うそは、天神様のお使いでもある。
で、僕としてはこれなら買っちゃうわけだわな。
占いは、"小吉”。
旅の吉兆やいかにとみると、「旅行、途中にてなやみあり」とあった。
横をみると、J君も買っていた。
のぞいてみると、同じ”第二十番小吉”を引いていた。
Yちゃんを呼び寄せ、二枚のおみくじを並べて見せると、彼女は嫌な顔をしながら、そんなとこまで似なくてもいいのに、とぼそりと吐き捨てた。
僕まで一緒にしくじりをしたようで気に食わないが、「争事、控えるがよし」とあるので、J君をなじるのはやめた。
ううん、この我慢が旅の悩みなるものか?



ご本殿の回廊を抜けると、裏手には摂社末社が並び、その背後を夫婦楠が覆う。
ここでは、「楠」ではなく「樟」の字を使うようだ。境内には、約100本もの樟があるらしい。



こちらは、樹齢1500年ともいわれる大樟。国の天然記念物。
道真死後の風景を想像するに、道真の遺体を乗せた牛が止まったのは、つまりこの大樟の手前ということになるわけだ。
当時でさえすでに樹齢数百年。大樟の大振りの枝の影で一息つこうとしゃがみ込んだ牛の姿が目に浮かぶよう。



野見宿禰公碑と筆塚。
野見宿禰は、道真の先祖とされる。書道三聖とあがめられた道真は書道の神として信仰されている。



「梅の種」納め所。
梅の種にまで天神様が宿ると言い伝えられているそうで、種であっても粗末にしない。
集められた種はどうするのかと思ったら、あとでまとめて炊き上げをするそうだ。



御朱印。





このあと、一山越えた場所にある、九州国立博物館へ。通称、九博(きゅーはく)。
これが九博への入口。エスカレーターで異空間へ行けるようなワクワク感があった。それは、三内丸山遺跡へ抜けるトンネルを通り抜けたときと同じ気分。



目の前に現れたのは、巨大なガラスの壁!



企画展では「兵馬俑展」が開催中だった。僕は東京で観たので、待ち合わせ時間を確認し、ひとりで常設展へ。
さっそく初めの展示品に見入りながら、近くにいたお姉さんにちょっと質問すると、「詳しいものを呼びましょうか?」というので、ついついお願いしてしまった。
このパターンはいつもの流れ。当然、やって来たボランティアスタッフのオジサンに、あれやこれやほじるくようにいろいろ聞いた。実に楽しい。
展示品はもちろんなのだが、今、興味があるのは大宰府の政庁のほうで、と言うと、オジサンの得意科目もそちらだったようで、ここではなんなんでと、場所を変えてまた話し込む。
・・・と、ふと気が付きゃいつの間にかタイムアップ。オジサンにお礼を言い、展示物の半分も観れなかったことを名残惜しみながら待ち合わせ場所へ。
そこには、「兵馬俑展」にすぐに飽きていたJ君が待っていた。どうやらJ君には博物館は退屈らしい。


ぼちぼちお昼になろうとしていたので、昼飯を食べに、参道へ。
J君の生気がみるみる蘇ってくるのが手に取る様によくわかる。



昼は、ふくや大宰府店へ。
中で食事もできる。当然、明太子茶漬け!864円也。
ご飯は何杯でもお代わり自由。具の種類が多いのでいろいろな味が楽しめた。



レジ横で、DVD『めんたいぴりり』が売っていた。
福岡の地方局作成のTVドラマ『めんたいぴりり』は、ふくや創業者川原俊夫の立身出世物語。
博多華丸と富田靖子のご当地キャストで、関東でも深夜枠で放送していたやつだ。

めんたいぴりり [DVD]
博多華丸,富田靖子,光石研,野村宏伸,博多大吉
よしもとアール・アンド・シー

僕は以前、バイト帰り深夜に帰宅したとき、たまたま点けたTVで数話目の放送を見た。
これが、めちゃくちゃ笑って、めちゃくちゃ泣ける。
翌週もまた見た。
また笑って、また泣いた。もう僕は虜になっていた。
最終回まで僕の心をつかんだままのドタバタ泣き笑い。とても素敵な物語だった。
そうか、博多華丸が一時期丸坊主になっていたのは、この撮影があったからだったのだ。
見損じた前半数話分をネットで検索しても動画が見当たらず(まああったところで違法なんですが)、迷わずDVDを買い求めた。
子供の頃の自分とシンクロするような昭和が、そこにあった。
帰りにお土産を買いながらレジのお姉さんに、このドラマ泣きました、って言うと笑顔を返してくれた。


僕は、二人を置いて先に店をでて、別行動をとった。
すぐに、梅園という、老舗然とした和菓子屋が目に入った。
雰囲気に誘われるまま店内に入ると、物腰も柔らかに試食を勧められた。
「宝満山」は、たっぷりの卵をふんわりしっとりと蒸かしたような、かるかんのような菓子。
小さく刻んだ一口大の大きさを頬張ると、ねっとりまとわりつきながらも上品な甘さが広がる。
うすい甘味の食べ物に慣れた現代ではくどいくらいの甘さだが、創業した昭和のはじめの頃であれば、贅沢な極上品であったろう。
もうひとついただいたのは「うその餅」。
当然、鳥のうそがモチーフ。緑色の寒梅粉(だと思うが)をまぶした求肥餅が、ほんのりとした梅の香りで包まれている。

で、どちらもお土産に購入。
とくにこちら、「うその餅」には、うそがいる。



どういうことかと言うと、ドッキリTVで落とし穴におちて発泡スチロールまみれになったようなうそが・・・、




いました!

ちんまりした小粒の図体のくせに、この冷たそうな眼付が妙にかわいい。
こちらは「土うそ」というらしい。正月から2月中旬ころまでは木彫りの「木うそ」が入っているそうだ。




さてさて、話は戻り。

そこから僕は天満宮の裏手に走った。
そこは、梅林が広がる公園のようになっていて、たくさんある梅の木は、花の時期も若葉の時期もとうに過ぎ、初夏の日差しを遮るにはちょうどいいくらいに葉が茂っていた。
梅の花が咲くころは、随分と賑やかになるのだろう。
僕は、その梅林を囲むようにある、いくつかの茶屋の中の、お石茶屋という店に寄った。



この茶屋は、”筑前三美人”にも数えられたえらいベッピンさんの安垣イシさんという方が始めたらしい。
この時期、天満宮の裏手でありながら、どんな客を目当てに商売をしているのかと聞いてみたら、このさきに天開稲荷というお社があるという。
そのお稲荷さんは、鎌倉末期に伏見稲荷から勧請された社で、九州では一番古いお稲荷さんらしく、その参拝者が一休みによるのだとか。
そんな話を聞きながら、僕は、外にしつらえた茶席に腰を掛け、梅が枝餅を二個と、冷やし甘酒を所望した。
参道の店に立ち寄って一服するのもいいが、梅の木の木陰でのんびりと味わう梅が枝餅も、また格別の至福感で満たされた。



近くの梅の木を見上げてみると、実がなっていた。夏も近い。



一息をついて、さらに奥へ。
突き当りにはレンガ作りのトンネルがある。「お石トンネル」という。
イシを気に入っていた筑豊の炭鉱主・麻生太吉が自費で開いたトンネルだ。
いうまでもなく、麻生太郎の曽祖父。
お石さんは、茶屋から小さい山を越した向こう側に住んでいて、毎日、茶屋まで迂回して通ってくるのを見かねた麻生が、お石さんを楽にしてあげようと掘ったらしい。



入り口側にまわると、灯籠がある。神社への通り道だとわかる。



で、戻り道を歩きながらまた別の店に寄って、お土産分の梅が枝餅も買った。日持ちはしないので5個だけにした。
おばさんが、どこから来たね?と聞いてきたので、今日栃木から、と答えた。
どこまで行くね?と聞くので、今日帰ります、と答えた。
二度見された。
なぜか気の毒そうな顔をされながら、これはおまけと、一個余計にくれた。
その梅が枝餅は、このあと合流したJ君のおなかにあっという間に収まってしまった。




しょうがない、また、自分で作るとするか。


(つづく)



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