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江州中原氏の崇峻天皇から始まる系図を調べてみる。(1)

2023-07-29 | 中原氏バラバラ情報
此のブログでは今まで【近江国御家人井口中原系図】を主に調べていたのだが、実は江州中原氏にはもう一つ系図がある。

【江州中原氏系図】
崇峻天皇の息の定世親王ー左大臣常世の系からはじまる系図。
中原氏の祖である『定世親王』の註に【信じ難し】とあるため、いままでは注目してこなかったのだ。
信じ難い系図を、しかも天皇の名前まで冠している系図を、なぜわざわざ作ったのか、そこに秘密があるはずである。

『定世親王』とは、どなたのことだったのか。號『中原親王』ともある。

崇峻天皇とは殺害されたことで知られているが、欽明天皇の息で【泊瀬部皇子】と言われていた。
兄弟姉妹には、用明天皇・穴穂部(間人)皇女がいる。
聖徳太子の伯父に当たることになる。
そのためか、崇峻天皇の息を聖徳太子が匿っていた。

用明天皇の皇子か孫の高向王ー孫か曾孫の漢皇子がいる。
高向王の妻が宝皇女であり、後に離縁か死別かの為舒明天皇に嫁いでいる。
そこで生まれたのが、天智・天武天皇である。

近江国御家人井口中原系図の方は天武天皇より始まっている。
つまり、天武天皇の母と思われる宝皇女とつながっている。

関裕二氏の本の中に、たしか漢皇子はイコール天武天皇とあったような記憶がある。つまり高向王が父となる。母は変らず宝皇女である。

さて、どこに繙くための糸が出ているのだろうか。









上記のアドレスの【7】にある。
その他の地方の中原氏もどこかしら接点があると思う。


私的memo ↓


椿集落の歴史

崇峻天皇の皇太子、定世親王の御子常世より出ずと傳ふ。
発祥は近江国より美濃国一色邑の見延城は中原氏の居城と傳ふ。
落城か開城の後、文明時代に未開の地椿を居住地としたと傳ふ。
天正検地(古文書)以降末孫として現在に至る。
また菩提寺である本巣郡見延の法雲寺正善寺は始め天台宗と傳わるも、有為天変、文明三年(一四七一)真宗本派本願寺となり現中原一族が傳宗せり。

*****
私的 謎 memo

泊瀬部皇女…天智天皇の娘 暗殺された人と同じ名を付けるだろうか?

崇峻天皇は殯の儀式もなく、すぐに埋葬されたそうだ。




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