昨日は隣県であった手芸フェスタのようなものに行き、
帰りはアウトレットに寄ったりして
一日、お買い物を楽しんできました。
手芸フェスタ、数年前は素材(布や糸、細々とした金具など)を
格安で販売するお店が多々あって
とても楽しかったのですが、
近年は素材というよりは、完成品を販売するお店の方が多数を占めるようになって
私としては少し残念・・・
帰りのアウトレットでは、
今年流行るらしいフリース素材のアウターを買ってみました。
近くに行くときには軽くて重宝しそうです。
さて、家に連れて帰りそのまま年を越した息子です。
とにかく、大学はどうするのか?という話をしなければなりません。
家にいて、少し手伝いをして、一緒にTVを見たりしている分には
息子は明るくふるまっています。
でも、どこに本音があるのかはさっぱりわかりません。
糸口がどこにあるのかも、わかりません。
でも、話さなければならない。
息子は本当に幼い頃から、怒ると黙ってしまう子供でした。
頑として動かない。
口を割らない。
言い返しもしない。
そのまま固まるのです。
これって、手強い。
今ならわかります。
私に対して、諦めていたのでしょうね。
自分の気持ちを言ってもわかってもらえる相手ではない、と。
私もそんな部分があります。
親には何を言っても無駄、こちらの気持ちは届かないと
何も話してきませんでした。
まぁ息子とは違って、表面上は優等生な私でしたけれど。
根っこは同じだったんでしょう。
私たちに話す気持ちのない息子と、どう話せばよいのか。
結局、いつも真面目に話そうとすれば
説教になってしまいました。
でも、私は何とか3月までには答えを出さなければならない、
という焦りがありました。
辞めるのか、再度1年生をするのか、休学するのか。
お金だって絡む話ですからね。
私と夫は、やはり大学は続けてほしいと思っていましたので
どうしても、そういう話になっていきました。
一年留年したとしても、大学に行った方がいい。
それは将来の選択肢が増える、ということだと考えていましたから。
息子自身はどう考えていたのでしょうね。
大学で特に何をしたい訳でもなく、なりたい職業があるわけでもなく。
周囲が行くから、入れる大学へ行った、そんな感じです。
それでも、入れたのだからその機会を大切にすればいいのにね。
そこまでは、思いがいかないようでした。
私たちの教育不足だったと反省です。
息子は何も考えていなかったのかもしれません。
流されるように生きていける、とだけ思っていたのでしょう。
甘いですね。
そして、私たちも甘いですね。
3月という区切りを私は重要視していましたが
今思えば、もっともっと時間をかけてもよかったのかもしれません。
息子からの自発的な考えが出るまで
待つ方がよかったのかもしれません。
なんでも「たられば」に思えてきます。
結局、私たちが主導するように
息子は再度、大学に戻ることになりました。
下宿もそのままにしてありました。
ただ違ったのは、私が時々上京することになりました。
私は不安でたまらなかったのです。
自分が不安でした。
このまま大学に戻しても、きっと同じことを繰り返すだろう。
どうにか、見守ることはできないだろうか。
私は忙しかった仕事を辞めることにしました。
仕事を辞め、1か月の半分を息子と一緒に、残りを自宅で過ごすことに決めました。
何なんでしょうね、この決断。
バカらしい決断だったと思います。
何も知らない、ってこんな結果を出すのですよね。
夫や犬には不自由をさせますが
私にとって大事だったのは、息子だったのです。
だから、傍にいたかった。いや、監視をしたかったのです。
意味ないのにね。
その時は、意味があると信じていたのですよ。
彼の生活のフォローをするから、一緒に頑張ろう。
そんな気持ちだけでした。
まだ、息子と私たちの距離も縮まっていないのに
こんな決断をしてしまいました。
その前にも、また息子はやらかしてくれるのでした。
(もう、皆さん、呆れてますよね。でも、もっともっとやらかすのですよ)
帰りはアウトレットに寄ったりして
一日、お買い物を楽しんできました。
手芸フェスタ、数年前は素材(布や糸、細々とした金具など)を
格安で販売するお店が多々あって
とても楽しかったのですが、
近年は素材というよりは、完成品を販売するお店の方が多数を占めるようになって
私としては少し残念・・・
帰りのアウトレットでは、
今年流行るらしいフリース素材のアウターを買ってみました。
近くに行くときには軽くて重宝しそうです。
さて、家に連れて帰りそのまま年を越した息子です。
とにかく、大学はどうするのか?という話をしなければなりません。
家にいて、少し手伝いをして、一緒にTVを見たりしている分には
息子は明るくふるまっています。
でも、どこに本音があるのかはさっぱりわかりません。
糸口がどこにあるのかも、わかりません。
でも、話さなければならない。
息子は本当に幼い頃から、怒ると黙ってしまう子供でした。
頑として動かない。
口を割らない。
言い返しもしない。
そのまま固まるのです。
これって、手強い。
今ならわかります。
私に対して、諦めていたのでしょうね。
自分の気持ちを言ってもわかってもらえる相手ではない、と。
私もそんな部分があります。
親には何を言っても無駄、こちらの気持ちは届かないと
何も話してきませんでした。
まぁ息子とは違って、表面上は優等生な私でしたけれど。
根っこは同じだったんでしょう。
私たちに話す気持ちのない息子と、どう話せばよいのか。
結局、いつも真面目に話そうとすれば
説教になってしまいました。
でも、私は何とか3月までには答えを出さなければならない、
という焦りがありました。
辞めるのか、再度1年生をするのか、休学するのか。
お金だって絡む話ですからね。
私と夫は、やはり大学は続けてほしいと思っていましたので
どうしても、そういう話になっていきました。
一年留年したとしても、大学に行った方がいい。
それは将来の選択肢が増える、ということだと考えていましたから。
息子自身はどう考えていたのでしょうね。
大学で特に何をしたい訳でもなく、なりたい職業があるわけでもなく。
周囲が行くから、入れる大学へ行った、そんな感じです。
それでも、入れたのだからその機会を大切にすればいいのにね。
そこまでは、思いがいかないようでした。
私たちの教育不足だったと反省です。
息子は何も考えていなかったのかもしれません。
流されるように生きていける、とだけ思っていたのでしょう。
甘いですね。
そして、私たちも甘いですね。
3月という区切りを私は重要視していましたが
今思えば、もっともっと時間をかけてもよかったのかもしれません。
息子からの自発的な考えが出るまで
待つ方がよかったのかもしれません。
なんでも「たられば」に思えてきます。
結局、私たちが主導するように
息子は再度、大学に戻ることになりました。
下宿もそのままにしてありました。
ただ違ったのは、私が時々上京することになりました。
私は不安でたまらなかったのです。
自分が不安でした。
このまま大学に戻しても、きっと同じことを繰り返すだろう。
どうにか、見守ることはできないだろうか。
私は忙しかった仕事を辞めることにしました。
仕事を辞め、1か月の半分を息子と一緒に、残りを自宅で過ごすことに決めました。
何なんでしょうね、この決断。
バカらしい決断だったと思います。
何も知らない、ってこんな結果を出すのですよね。
夫や犬には不自由をさせますが
私にとって大事だったのは、息子だったのです。
だから、傍にいたかった。いや、監視をしたかったのです。
意味ないのにね。
その時は、意味があると信じていたのですよ。
彼の生活のフォローをするから、一緒に頑張ろう。
そんな気持ちだけでした。
まだ、息子と私たちの距離も縮まっていないのに
こんな決断をしてしまいました。
その前にも、また息子はやらかしてくれるのでした。
(もう、皆さん、呆れてますよね。でも、もっともっとやらかすのですよ)
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