ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

おっしー。

2010-04-24 13:43:26 | Weblog
今朝の新聞で三谷さんちのおっしーの最期を知った。
おっしーとは、脚本家の三谷さん宅の飼い猫。
朝日新聞に三谷さんが連載されているコラムで先週、
その19歳になるおっしーがいよいよ危ない、と書かれていた。
だんだんに食が衰え、静かに寿命を終えようとするおっしーを
何とか仕事で家を空けられていた奥さんが帰宅するまで
眠らせないようにする様子が、細かく温かく、
そしてふと気がつくと涙をためながら、口元は微笑みたくなるような
ユーモアに包んで書かれていた。
見ず知らずの猫だけれど(勿論、三谷さんも一方的に存知あげるだけ)
彼の最後が気にかかり今朝の新聞が待ち遠しかった。
おっしーはちゃんと奥さんの帰宅を待ち、
幸せな時間を過ごし、そうして奇跡的に少し持ち直し、
三谷さんとも心温まるステキな時間を共有して天国へ行ったそうだ。

改めて、命あるものはいつか消え行くのだな、と思う。
19歳だから大往生、なんじゃない。
家族にとっては、19歳だって20歳だって、いや50歳だって
長生きの大往生ではない。
いつまでだって、永遠に時間を共有したいと思う。
でも、命はいつか、消える。
消えるんだな、と知らされる。

消えたらどうなるのだろう。
うちのわんこも、最近とみに、食欲が落ちている。
体重は1キロ減り、一回り小さくなった。
ひょこひょこ歩きになったし、尻尾は上がらない。
一日中寝ている。
うんともワンとも言わず、居る気配すらないときが殆どだ。
それでも、居る。
居ることを知っている。
居て当然だから、当たり前だから、居ないなんて想像できないから。
それでも、その当たり前が当たり前でなくなる日が
いつか、来る。
絶対に来る。

それを思うと、堪らなくなる。

時々、自分の死を思うと苦しくなる。
当たり前だけれど、死は絶対に経験するのにその実体験を教えてくれた人はいなくて
その瞬間のことも、それ以後のことも
想像するしかない。
とてつもない恐怖なので、考えても考えても答えがでないので
いつもは棚上げしているのだが
(人間は等身大の悩みでしか苦しまない、というのは本当だと思う)
おっしーのことを考えると、やっぱりふっとその恐怖がよみがえる。
動きたくない気持ちに鞭打つことなく、
無理に食べることもしないで、段々に近づく死を避けることなく
正面から受け入れていく動物って
つくづく偉いと思う。
悪あがきをするのは、人間だけじゃないのだろうか。
そういう私は、人一倍悪あがきをしそうで
だから人よりずっと、死が怖いんだろうと思う。
こんなに怖いのなら、生がなければ死もない訳で
ならいっそ、生まれ存在しない方がいいのかも、
と思うこともあるけれど、
現実には存在しているのだから仕方ない訳で
それならせいぜい、愛し愛され泣き笑い、沢山のことを感じたもん勝ち、
なんていうところにしか、落とし所を見つけられないのが
もどかしい。
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