THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

"The tornado"

2013年08月12日 | 日記

こんばんは~(*-д-)-з 何日この地獄のような暑さがつづくのだろうと、ため息を出したくなるほどの暑さだね~ι(´Д`υ)アツィうちの方は、今日も夕方になってゲリラ豪雨、そこまで凄くはなかったけど雷がゴロゴロ~と長い間鳴ってましたねぇ。

今日は、特にいまのところ取り留めもない日なのですが、ジムも休みなので1時間くらい土手を走って来ようかな?と思ってます。だけど、雨が降ったりやんだりしているので、しっかり止んだら走ってきます。┗(^o^)┓=3=3=3

以前は、よく走っていたコース~家の近くの川の土手を走るのですが、なにせ狭い土手なので雑草が夏になると所狭しと伸びまくりとっても走りづらいんです。おまけに街灯もほとんどなし、女子が一人で走るにはお勧めできない…、男のオレが走っていても突然物音がすると『ビクッ!!』(*゜ο゜)!としてしまうくらい不気味で暗い土手なのです~。

ランニングコースは、土手をず~っと走る訳ではなく1.5kmくらいで水門にぶつかるので折り返し、それにつらなる親水公園を自宅に向かって走り親水公園を走破して近所の七曲がりの道を駅の方へ~線路を越え土曜日にバレーの練習をしている小学校の陸橋をわたり~人気のない静かな通りを抜け自宅へ~って感じで大体1時間ちょいくらいのペースで走る。

今日なんか走ったらどんだけ汗かけるだろう、iPodのヘッドホンが汗でダメになるくらいかきそう~((((;@ロ@))) とにかく腹減ったので飯をくって一休みしてから考えよう!雨ももう止んだかな?Σ(  ̄□ ̄;)手

そうそう、野茂の記事が気になったのでコピペしておきま~す!いまの大リーグでの日本人の活躍を語るには『NOMO』は外せませんな!!偉大なる『HERO』野茂~英雄!こころから、敬服して止まないアスリートだ!!Σ(・∀・|||)

「NOMO!」

日本人ファンの姿が目立つと思っていた。だが、実際にはそうではなかった。

8月10日(現地時間)、日本の野球選手にメジャーへの扉を開いた野茂英雄氏が、ドジャースタジアムで始球式を行った。先着5万人には同氏の首振り人形もプレゼントされた。その記念すべき日に、多くの日本人ファンが足を運ぶと思った。野茂氏が登板するたびにスタンドのあちらこちらで日本人の姿が見られたように――。

だが実際には、多くの地元ファンがドジャースタジアムに詰め掛け、野茂氏に熱い声援を送った。野茂氏がグラウンドに出てくるとスタンドから「NOMO!」という声と拍手が大きく響き渡った。球場のスクリーンに活躍をたたえる映像が流れた後、場内 アナウンスで紹介された野茂氏は、腕を高々と挙げてファンに応えた。ドジャーススタジアムでの野茂氏のテーマソング「上を向いて歩こう」が流れる中、マウ ンドへ。トレードマークだった“トルネード投法”でボールを投げ込むと、立ち上がったファンは一層大きな歓声を挙げた。

そこにいたのは、“日本人が誇る野茂”だけではなかった。ロサンゼルスで生まれたメジャーリーガー。つまり“ロサンゼルスが誇る野茂”がいたのだ。ドジャースタジアムを埋め尽くしたファンは、チーム史に残るかつてのヒーローに惜しみない拍手喝采を浴びせた。

マウンドを降りて5年 “The tornado” 再び

1995年に近鉄から米大リーグのドジャースに入団した。1年目から13勝を挙げて同シーズンの新人王を得ると、翌年とレッドソックスに所属していた 01年にノーヒット・ノーランを達成。ア・ナ両リーグで同快挙を成し遂げた、メジャー史上4人目の投手となった。ルーキー時と2001年には各リーグの最 多奪三振も記録した。

大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独自の投法は“The tornado(竜巻)”と呼ばれ、そこからバシバシ三振を奪う勇敢な姿が人気を呼び、米国で“野茂旋風”が巻き起こった。

劇的なデビューから18年が経った。始球式を前に記者会見場に現れた野茂氏は「グラウンド(現役時)の方が緊張しなくて良かった。今日は少し緊張しています」と話した。現役時は数々の大舞 台に立ってきた大物投手。それほどの選手の「緊張」という言葉に「なぜか?」という質問が向けられると「分からないです」と苦笑いを浮かべた。

少年野球の日本選抜チームを連れて毎年夏にロサンゼルスを訪れる野茂氏だが、ドジャースタジアムは5年ぶりだという。自分が連れてきた少年たちにはドジャースの練習を間近で見られる機会を与える。しかし、自らが少年と一緒にグラウンドに現れることはない。

それだけに今回の始球式の要請を受けた時は「どうしようかと思った」と言う。しかし「こういうことができるのも最初にスタッフの人たちが、自分がパ フォーマンスをやりやすいように環境を作ってくれたおかげ」。当時のオーナー、ピーター・オマリー氏やトミー・ラソーダ元監督らへの感謝の気持ちから受け 入れることにした。

野茂氏がメジャーに足を踏み入れてから、数々の名選手が海を渡り、ヤンキースのイチロー選手や黒田博樹投手、レンジャーズのダルビッシュ有投手ら米大リーグの歴史に名選手として名を刻むレベルの選手も出てきた。

それに伴い、自らの記録が塗り替えられる時代もやってきた。しかし野茂氏は「僕の成績はそんな大したことないですし、ダルビッシュだと僕よりも全然レベ ルの高いピッチングをしている。野球は実力社会ですしそれはしょうがないです」。そう言った後、「しょうがないというより、楽しみに見ています」と言い直 した。

自らがメジャーのマウンドから降りて5年が経った。久しぶりに16番のユニホームに腕を通した感想を聞かれ、しばらく間を置いた後にポツリと言った。「もう一度選手としてやりたい感じがします」

サイ・ヤング賞投手が語る ある日の光景

野茂氏の始球式を終えて、ドジャースタジアムのマウンドに立ったのはザック・グリンキー。レイズ相手に6回3分の1を6安打無失点の好投でドジャースに勝利をもたらし、自らも今季10勝目(3敗)をマークした。そのグリンキーは野茂氏のメジャーキャリア最後となる2008年に、ロイヤルズでわずかな期間をともに過ごした。

2009年のサイ・ヤング賞投手(ア・リーグ)はその時の思い出をこう語る。

「彼は40歳近い年齢だったのに、2時間にわたる打撃練習でもずっと球拾いをしていた。球拾いをやめて中に入ってはどうかと声を掛けても他の選手と一緒に ずっと球拾いをしていた。彼がキャリアでどれだけのことを成し遂げてきたかは誰もが知っていたけれど、彼は決してそれを鼻にかけるようなことはしなかっ た。ああいう一面を僕も見習いたいと思った」

多くの日本人選手が野茂氏を追い掛けてきた。しかし、同氏がメジャーに所属した12年の間に、日本人選手だけでなく多くのメジャーリーガーが、彼の背中を見て育ってきた。だから、「NOMO」は日本人ファンだけの思い出の選手ではないのだ。

野茂英雄は、日本の野球だけでなくメジャーリーグという世界に大きなインパクトを与えた。それゆえに、日本人ファンだけではない多くの人々が、ドジャースタジアムに集まった。そう、彼の功績を称えるために。