
1983年12月、年末のある日のこと、
書店でこの雑誌を手にしたような記憶。
この雑誌ではなかったかもしれないが、とにかく
アイアンマン、ハワイ大会の特集記事(当時はアイアンマンは本家、ハワイだけ)を見て衝撃のようなものを感じた。
その後どうしてもアイアンマンのことが忘れることができず、でも雑誌名が思い出せず、年が明けて書店を探し回り、
神田の書店街の本屋でこの雑誌をやっとみつけて購入することができ、じっくりと熟読し、アイアンマンの正体を知ることとなった。
トライアスロンへの挑戦物語は始まった。
当時、目的もなくただ身体を動かすことが好きというだけでスポーツジムに時々行っていた。
東京、新宿区、高田馬場のJR駅に隣接している商業ビル、BIG BOXの4Fにある西部アスレティッククラブへ。
新宿区上落合に一人暮らしをし、地下鉄東西線で通勤していた。地下鉄を出た目の前にあるスポーツジムだ。
ジムへ行く前にBIG BOX2Fにあるミズノスポーツと書店にはよく立ち寄った。
1983年の年末に近いある日、その書店でアイアンマンの記事(多分この雑誌)に出逢ったのが運命。
雑誌の表紙を見て「なんだろう? このシーン?」
ページをめくると
「すげ~!3.84km泳いで、179.2km自転車漕いで、42.195kmも走るのか!」
こんなに大勢が一度に泳いで大丈夫なのか?ぶつらないの? 溺れないの?
とにかくこのスタートシーンの写真に度肝を抜かれるような衝撃が走る。
記事を読んでいくうちにやってみたくなってきた。
日本にも大会あるんだろうか? 向かって右の写真はハワイで通算5度の優勝をすることになるMR.IRONMANことDAVE SCOTT、最も好きなトライアスリートだ。
その後、何度かIRONMAN JAPANにやってきて当然のように優勝。 '85年のびわ湖のカーボローディングパーティでこのDAVE SCOTT氏に胸をたたかれ
”Nice body"と言われTシャツの胸にサインをしてもらった。 ものすごく良い思い出。
夕闇が迫る中、遠いゴールを目指し走る。 疲れ切った身体で足で走るフルマラソン!
フルマラソンを走ったことのない僕には想像を超えた世界だ。 スポーツだ。
男女の優勝者のゴールシーン。 優勝する人でもこんなに疲れ果てた表情、すごいことになっている。
左の女性はカナダのPUNTOS(プントス、ピュントス、パントース。。いろいろ読み方あるみたいで)姉妹の一人(パトリシアかシルビアか忘れてしまった)
僕は勝手につけた愛称で「プンちゃん」と言っていた。
双子の美人姉妹。1,2位を独占した。 数年後TVでこの83年のレースを見た時に印象深いシーンが流れた。
BIKEの途中で姉妹の一人がパンクをして出遅れる。 先行する妹(?)、後を追う姉(?)
そのまま1位、2位の順位でRUNへ突入、 妹がRUNを折返して暫く走った地点で遅れた姉とすれ違うことに。
数十メートル先に遅れた姉を見つけた妹は、突然立ち止まり姉に大きなゼスチャーで声をかける。
聞こえないのでどう声をかけたか想像の範囲だが、多分「あと少しで折返しだよ!。。。。。頑張れ!」(当然 in English)
このシーン、とてもトライアスロンらしく、感動的だったことを覚えている。
右上の写真のトライアスリートはSOCTT TINLEY、総合2位でゴール。
当時DAVE SCOTTの後塵を拝して2位に甘んじていた。 びわ湖にも何度かやってきた。
その後SOCTT TINLEYがデザインし売り出されたトライアスロンウエアは僕のお気に入りとなり愛用していた。
IRONMANのゴ-ルは暗くなってからが本番。 ゴ-ルエリアは遅くなればなるほど感動のシーンが連続し、熱狂に包まれながらこの祭りは深夜0時まで続く。
この写真を、レポート記事を読み終えた時には心は決まっていた。
できるかどうかではなく、やってみたいだった。
問題はいつから、どのようにしてやるかだけだった。
この雑誌以外には情報もなく、まわりには当然トライアスロンを知っている人もなく。。。to be continued
いつもご訪問いただきありがとうございます。
良かったらこちらもご覧になって下さい。
いろいろなトライアスリートの いろいろなジャンルのブロガーの
ブログをご覧になれます。 情報が満載です。 人気ブログランキング
※ブログランキングにも参加中です。1日ワンポチで応援よろしくお願いします

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます