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Kumaのトライアスロン・シニアライフ My Big Challenge, Road to Kona

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MY TRIATHLON MEMORY Vol. 2-  トライアスリートへ 1984年~1985年

2011-03-27 00:39:33 | 昔の思い出・レース備忘録 1983-2007

 1984年2月に走りだし、最初は2kmの距離からでした。

 まずはフルマラソンを完走することを目標として走りだしたのですが。。。

 8月までは他のスポーツ、スキーやテニスの誘惑もあり、ダラダラやってました。  

 

 何を思ったか、いきなり9月にホノルルマラソンにエントリーしました。 

 そしてこの頃よりトライアスロンを意識してスイムのトレーニングを始めました。

 カナヅチではありませんが、クロールでは長い距離を泳いだことはありません。 25mまでです。

 平泳ぎなら200m~300mくらい行けましたが、正しい泳法ではなく、おそろしく遅かったと思います。

 クロールで25mを何度も行ったり来たり、続けては泳げません。

 初日は400mくらいおよいで終りました。

 

 ホノルルマラソンという明確な目標を持ったことで、

 9月からはモチベーションが急上昇し、自分なりに走りこめた3カ月でした。 

 10月には代々木公園のトリムコースを利用して一人でフルマラソンの距離を完走しました。

 無知は凄いです。 無補給で最後まで走り切りました。 4時間30分くらいでした。

 

 そして12月には本番。 ホノルルマラソンを目標タイム(サブ4)を軽くクリアし完走!

 初マラソンがいきなりのフルマラソンだったのですが、頭の中ではもうすでに次はトライアスロンだと思っていましたので、

 ゴールした後ホテルに戻り、30分くらいプールで泳ぎ、それからマラソンのゴール地点へ遊びに行きました。

 僕の後にもまだまだ沢山のランナーがゴールを目指して走っていました。

 

 ホノルルから戻ったころ、ランナーズからトライアスロン・ジャパンというトライアスロン専門誌の1号は発売されました。

 まだまだこの頃、トライアスロンを知っているのは、そして目指しているのはほんの一部の人だけです。 今と比較にならないほどです。

 トライアスロンジャパンで多くの情報を得られるようになり、どのようにトレーニングをするべきかを知ることができるようにもなりました。

 大会情報も届きます。 4月に宮古島で第一回大会が開かれることも。 

 この宮古島が今のような素晴らしい大会に育つなんて、その頃は想像もしていませんでした。

 BIKEを持っていれば、BIKEのトレーニングを始めていればこの第1回を出て見たかったです。

 まだまだ冬はスキーに夢中でした。 宮古島大会の模様はNHKで放送されました。

 ゴールデンウイーク中(多分4月29日あたり)だったので越後湯沢の岩原スキー場で春スキーを楽しんでいました。 

 夜、民宿でそのレースの模様を見ました。

 ああ、、これがトライアスロンか! みんな楽しそうにやっているのが放映され、トライアスロンがメジャーなメディアで紹介された日となりました。

 日本にトライアスロンの火が付いた瞬間だったと言えると思います。

 

 4月に発注したBIKEが5月のゴ-ルデンウイーク中に完成しました。

 阿佐ヶ谷のフレンド商会でロードレーサー作ってもらいました。 トライアスロン用バイクなんて存在しない時代です。

 夕方受け取りに行き、初めて乗った時の視線の高さに驚きました。 ちょっと怖かったです。

 新宿のアパートまで約7,8kmをコワゴワと乗って、歩道をゆっくりフラフラと走って帰ったことを覚えています。

 いきなり車道を走れるようなテクも勇気もありませんでした。

 

 バイクの注文と並行してトライアスロンデビューとなる大会にエントリーをしていました。

 

 6月30日に日本で初めて開催されるアイアンマンレースです。

 アイアンマンジャパン びわ湖大会はハワイ大会の予選を兼ねていました。

 1985年からはハワイへ出るためには世界各地での予選で資格を得ることが必要になったのです。

 前年、1984年までは直接ハワイへエントリーできたのです。 僕もそのつもりでした。

 ハワイへ出て、これがアイアンマンか!と体験して辞めるつもりでした。

 ハワイへ出るまで辞める訳にいきません。 だからこんなに長くトライアスロンを続けているのだと思います。

 

 バイクを得てからバイクの本格的(?)トレーニングを開始しました。

 どこで? 日曜日皇居まで行って、皇居前の広い道が自転車専用道路のように解放されていましたので。

 そこの道(1kmたらず)を何度も往復するのです。 その内、テクニックも向上し、皇居の周りを何周も周回できるようになりました。

 でもフレンド商会の店長にアイアンマンレースのことを話すと、即「180km? 無理だから辞めとけ!」でした。

 もちろん辞める気持ちなんてさらさらありませんでしたが。

 

 そして、6月になり、どうやって準備し、調整をしたのか、遠い昔なので記憶がうすらいで覚えていません。

 トライアスロンは準備が大変です。 3種目もあるので荷物も多く、持っていくのも一苦労です。

 びわ湖へはバイクをバラシて専用のバッグに入れて輪行しました。 夜行の各駅停車で行きました。 

 準備で予定外にお金を使い、予算がなかったのだと思います。。。よく覚えていません。

 東京駅を23時50分頃に出発する大垣行きに大荷物を抱えて乗り込みました。

 

 とにかく1985年6月30日にトライアスロン・デビューしました。 29歳でした。

 いきなりのアイアンマンディスタンスでしたので身体がびっくりしたと思います。

 アイアンマンの洗礼を受けました。 身体はボロボロになりながらも一歩、一歩ゴールを目指し、なんとか完走だけはしました。

 

 とにかく暗中模索のトレーニング、科学的根拠も何もないやみくもに非効率的なトレーニング、でも楽しかった!

 今思うと若いって素晴らしい! 恐いものなんてなかったし

 

 

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