1985年は僕のトライアスロン元年です。
まだスキーにも夢中で、
1月に蔵王
2月には越後湯沢の岩原スキー場
で数日間(多分3、4泊)を過ごしていました。
そんな中、6月のトライアスロン・デビューまで2つのランニング大会に出場しました。
1985年2月17日 青梅報知マラソン 30km
2:17’27 2,148位
天候:晴れ。。。前日、大雪でかなり積もり、どうなるものかと思いながら会場に行った記憶があります。 さすが歴史ある大会だなあと感心しました。
コース上の雪はきれいに除雪されており、前日の大雪がウソのようでした。
残念ながら、記録証とか写真が見つかりません。 見たような記憶があるのでいつか、どこかから出てくるかもしれません。
その時はここへ貼り付ける予定です。
肝心のレースの走りは20kmまでは調子良く走れましたが、急にお腹がすきガス欠状態に、
のこり10kmは失速しフラフラのゴールだったように覚えています。
1985年3月10日 佐倉朝日健康マラソン 42.195km
3:14’50 順位不明 (記録証あったようですが、見つかりません)
天候:晴れ。。。2度目のフルマラソンです。 当日、スキー仲間(友だち以上、恋人未満)だったA子さん(アッコ)が応援にきてくれました。
当時僕は新宿区上落合に住んでいて、彼女は浦和市でした。 (妻と出逢う2年以上前の話です)
上野あたりで待ち合わせたのかな? 携帯電話なんてない時代ですから、どちらかが遅れると大変。
無事遅れることなくレース会場の佐倉へ着きました。
彼女へは予想タイムを3時間30分でゴールと告げスタートしました。
しかし予想以上に快調な走りで20kmまではサブスリーのペース。
さすがに30km過ぎから足が思うように動かなくなりだし、ラスト2kmの上りは結構きつかった記憶が残っています。
(この時(多分、第3回大会)のコースはラスト約2kmが京成佐倉駅前から岩名陸上競技場に向かう上り坂でした)
2枚の写真に写った僕の表情ががそれを物語っています。
35kmあたり? レースナンバー:1312 表情は疲れきっています。
走りにも力が感じられません。
歩きだす人も出てくる頑張りどころです。
懸命の走り、表情も歪む。
岩名運動公園内の最後の強烈な坂。 競技場内のゴールまで数百メートル地点。
最後の力を振り絞りラストスパートをしようとします。 が、足が思うように動きません。
ゴール後、彼女の手作りの軽食を食べました。 A子さん(アッコ)。。。心の優しい素敵な女性でした。 男の子2人、女の子1人のお母さんになりました。
多分スポーツ大好き家族の家庭だと想像しています(今では年賀状だけのお付き合いです)
予想タイムより15分も早くゴールとなる岩名競技場へ戻ってきてしまいました。
レースとしては良い結果になったのですた、彼女としては僕のゴール予測を信じすぎたため僕のゴールシーンを見逃してしまいました。
「こんなに早く帰ってくると思わなかった」
僕自身も予想外でした。 ゴールの瞬間を共有できなかったのがちょっと残念でした。
さあ次はいよいよトライアスロン・レースへ初挑戦です。
ほんじゃあ~ね、また~See You Next Race!
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