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KTOOONZ BLOG

ktooonzのオシラセBLOGです。

悪い

2012-05-17 10:14:07 | 

 

↓一個前の夢記録日記を読み返して思った事。

 

私が夢が好きなのは、

普段思っている事、対象として捉えている観念などを、自己体験しつつ、対象化できるから…

何か適切な良い言葉が出てきませんが、

単純に言ってみれば、見つつ体験できるからです。

現実と同じじゃん、と言えばその通りですけど、

夢の方がある種冷静でいやすい部分があると思っています。

 

「悪い」

 

アダムとイブの話から、さてはチンパンジーの行動まで、

私は常日頃、この「悪い」という意識が、人間が人間になった事と

大いに関係あるのだろうな、とは思ってはいるのですけど、

ではそれが何故か?というと、ほとんど良くわからない。

自分自身の「悪い」という意識と、自分の始まりとの関係が見え難いからです。

 

でも前の記録の夢で、私は生きたまま揚げられるアンコウのようなフグのような魚に

「悪い」というか、激しい抵抗、否定意識を持つわけです。

その時、夢の中で私の意識が始まっていました。

 

子供時代の記憶などからも、「悪い」という意識は強烈な記憶と伴っている気もしますが、

嫌な事は忘れてしまう、というのも同時にあると思います。

人が言語化意味化するのは、対象が「わからない」という恐怖心から始まった、という説もあるそうで、

それは実感として良くわかる部分もあります。

対象の意味化という言語化は私が毎日やっている事だからです。

 

「悪い」から来る抵抗意識が、意識の始まり、という見方もあるんじゃないか?

正に「悪い」から突然始まった夢が、そんな実感をイキイキと持たせてくれます。

ちょっと面白かったりします。

 

「悪い」という意識は良いと思います。

それで人間が人間になったと仮定すれば、「悪い」こそが言語以前の初めの一歩かもしれません。

親は子供に生きていってもらいたいがために、いかに「悪い」「めっ!」を教えるか。

酷い怪我をしてからでは遅いので、「良い」よりも「悪い」の方が、まず大事かもしれません。

時々過剰に教えすぎてしまう時もあるかもしれませんけど。

 

でも、「悪い」という観念を知ったその先は何があるのか?

次から次へと覚えた「悪い」を当てはめていく?

それとも「良い」でしょうか?

観念や対比じゃない、本物の「良い」?生きる「良い」存在を目指すべき?

 

もし、意識が「悪い」から始まったとしたら、

「悪い」という観念から、少なくとも私自身の抵抗意識の部分はなくしてみたらどうなるのか?

面白い実験のような気がします。

 

多分「悪い事は悪い」です。

できたら、悪いとかズルいとか思う事はしない方が、関わらない方が良いとは思います。

でも、すでにそこにある何か「悪い」と思われる事、物に、

対処はともかく、激しく心で抵抗する必用はあるのでしょうか。

勿論悪を憎む心は非常に人間らしい、ある意味美しいとも言える。

(罪とやらを憎まず人こそ憎んで、になっちゃう、逆の人間らしい美しいと言い難い例も多いと思いますけど…)

でも私がその対象を憎もうが憎むまいが、抵抗しようがしまいが、

全く同じ制御行動はできるかもしれません。

 

私は、自分や他人の命や健康や精神的な心情の幸せを助けるため「悪い」に対処するのではなく、

自分が「良い」「正しい」と見せたくて、鬱憤を晴らしたくて、

自己満足したくて、ケンカがしたくて、他の人に見せるために、カマトト良い子ぶって、習慣として、

「悪い」と思わないと「悪い」ような気がして、悪という対象を創って憎んで見せたりする時もあると思います。

でも、時にその結果、「危険」「困難」「トラブル」「対立」という、

正に「悪い」状況をかえって増やしてしまう事もありそうです。

 

「悪い」に抵抗心を持たなければ、

自分の中の「悪い」にまつわる「悪くも何ともなかった」ハッタリに気がつきやすくなるかもしれません。

 

世の中のかなりの「悪い」」が減ってくれそうでもあります。

遊んでみます。

 

 

画像は漫画『ヘンタイ天国』まだ制作中、何年やってるんだ!遅すぎる!悪い!

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夢なのにお金の心配…

2012-05-17 09:02:22 | 

 

…少し前に見た夢の記録から…

 

『夢のバイキング&バーゲン』

 

私は現実に仲の良い男性であるAさんと、バイキングレストランの中にいる。

夢の中で意識を自覚したのは、そこで見た凄まじいものに驚き、嫌悪し、抵抗してからだ。

それまでの二人が何をしていたか、夢の記憶は無い。

 

バイキングの会場は、とても広く、足元には水族館レベルの水槽があって、

ふと見ると、河豚かアンコウのように見えるグロテスクな大きな魚が、

口を大きく上に開いて固定されたまま、衣をつけられて、煮え立つ油のプールの中で

まだ生きて泳いでいるのだ。

 

美味しそうだとも思うが、あまりの残酷さに

「ひどい!何でこんな残酷な事を!」と騒ぎ出してしまう。

隣には別の大きな魚が、衣をつけたまま、泳いでいた。

 

ただし、まだ生きているとはいえ、どうせ魚は死んではしまうだろう。

そしてここはレストランなのだ。魚も食べる店だ。

私は感傷的にカマトトっぽく騒ぎすぎてはいないだろうか?

自分だって魚の揚げ物を食べているじゃないか?

そういう自問自答も同時に感じていた。

 

するとAさんは、騒ぐ私の言葉なんか全く聞いてもいなかったのように、

どこかからモリを取り出して、目の前の2匹の揚げ物を楽しそうに突き刺して、

自分の皿のような籠のような入れ物に入れた。

 

魚は死んだのかもしれない。

 

何とも主体性がないと思うのだが、

私はこれで良かったのかなと急に思ったりする。

 

Aさんは無言だが、変わったレストランに夢中の感じに見える。

私たち二人で、その2匹を食べられる量なのかすらわからないのに、

花道のような細い足場を挟んだ、隣の水槽にイキイキと目を光らせている。

 

隣の水槽は油でなかったのかもしれない。

 

魚達に衣はついてないので、どんな魚なのか良くわかる。

ただ、全て現実には見たことの無い魚に見える。

私は、こんなに食べられない、とは感じている。

Aさんはお腹がすいているのだろうか?現実の食べられる量を超える魚を取ろうとしているようだ。

 

2匹モリでさし、籠のような皿のような入れ物に入れる。

魚は軽く30センチくらいあるのだ。

 

でも、私も、美味しそうだ、どんな味がするんだろう?と

興味が沸いてくる。

 

目の前に30センチはあろうかという、大きな紫の金魚(身体が丸っこいタイプ)が泳いでくる。

淡水なのだろうか?人間が手を入れて造った魚だろうか?

 

「これも取りなよ」

 

さっきまで残酷だと騒いでいたくせに、もうこんな事を言う私・・・

Aさんは網で金魚をすっとすくって皿籠みたいなものに入れた。

(この入れ物の形態の記憶はありません、夢の中でも変わったものだと思いました)

彼はその後、見た事もない海の生き物のような魚を取っていた。

 

私は急にお金が心配になる。

 

とても豪華なレストランだと感じてきた。

客も優雅に見える。(今思い返すと実際はそうでもなかった)

私もAさんも貧乏だと思う。

こんな見た事も無い魚をすごい設備で出すレストランで大丈夫なのだろうか?

でも、Aさんは目の前で魚を取っているのだから、

大丈夫だと判っていて取っているのだろう。

いやでも…彼のことだから、そういう現実的な判断はあまり期待できないかもしれない。

 

私は食べなければ大丈夫だろうか?

でも紫の金魚は、私が取れば?と進めたし、私が食べたかったのだ。

それに最初の揚げ魚だって美味しそうだ。

後のことなんか気にしないで、この経験を逃さないほうがいいだろうか?

私のお金が足りなくてもAさんが奢ってくれるかもしれない。

 

こんな事を思っている厚かましい私。

お金の心配は少し消えていた。

 

バイキングにはジュースもあるらしい。

珍しい、特別な、良い果物を、その場で自分で搾れるのだ。

 

「手絞りのオレンジジュースにしようよ」

「いいね!」

 

二人はそんな会話をしている。

 

果たして飲み食いはしたのか。

初めてのご馳走のエクスタシーは記憶から消えたのかもしれない。

 

その後、同じ会場の奥だったのか、

私は海外の物と思われる、洋服やウール地のぎっしり吊るされた倉庫のようなブティックにいる。

 

そこには比較的最近知り合った年配の夫婦もいた。

 

何となく、レストランも服の売り場も、ツアー旅行のような一環に含まれているような気がしてくる。

 

皆むさぼるように服や布をバッグに入れていく。

Aさんも服を物色しているようだ。

 

全てがそうだと思わないが、素晴らしい服もある。

ウールは見た事もないくらい美しく感じる。

でも、私はノロノロしている。幾つかは是非欲しいとは思っているのに、

代金が気になっている。でもその場をウロウロと見ている。

 

「あなたも選んで買えばいいのに?」

 

誰かにそう言われているような気がしている。目が覚める。

 

 

夢はタダです。タダなのに金の心配をしている、何とも滑稽な私・・・

ついでに言うと、夢は無制限なので、量も関係がありませんね。

きっと、いくらでも持てるし食べられるのでしょう。

そもそも私は自分が幾ら持っているのかも知らないわけなので、

この心配は何の現実的具体性すらもありません。

 

夢で心配してしまうほど、

結構お金の事を考えて(意味の無い心配して)いるのだなと思いました。

 

お金の事を意味無く心配するのにエネルギーを使って、興味のある事にもカマトトぶって、

楽しめる現実を自ら楽しんでない…経験ができない…

そんな自分も、おそらく現実上にこそいるのでしょう。

行動の前に、意味の無い心配が先に立って何もできないかのような、

とてもナンセンスな気がしてきました。

 

面白いけど、私のナンセンスでみみっちい心配が残念な夢でした。

 

画像は、イラスト『ムシノユメ』

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